権力者や権力に擦り寄る勢力が発信する「愛国」に注意していきたい。国の概念もそこへの思いも個人の気持ちから生まれるものであり、一定の『型』にはめるものではないでしょう。その差を見極める目と心を持ち続けたい。 twitter.com/himakane1/stat…
絵本「日本ヨイ國」では、日本に産まれたから幸せだとし、そしてそんなヨイ國を守るため兵隊になってと。民間の一絵本の話ではなく、これが普通だった時代。そして権力者は決してそうは思っていない国。そこから生まれ変わろうとしたこと、忘れないでいたいです。
81年前の今日、1941(昭和16)年12月20日、絵本「日本ヨイ國」が発行されます。当時の日本の独尊感がよく伝わってきます。日本スゴイは、これを笑えない。誇るのはともかく、神話と現実を融合させて独尊感に浸っていてもねえ。そしてそれを信じようとしていたのが、一番苦労する庶民なんですよね。
これも万札溶かした( ゚∀ ゚) 日中戦争中の「戦勝ゲーム」。昔からあるパズル「箱入り娘」の派生品で、説明文は「重慶攻略」とあるので、1939(昭和14)年から1941年ごろのもの。日の丸の日本軍の駒を軸に動かし、蒋介石を大陸(箱)から追放すると。竹と紙箱という構成から、木の利用も窮屈なのかと。
81年前の今日、1941(昭和16)年12月18日発売のタバコ「鵬翼」。当時の新聞では、我が荒鷲の勇姿を表現というもの。威勢良い戦果報道と共に15銭で発売されますが、戦費を捻り出すためどんどん値上がり。1944年ごろには35銭と2倍以上になり、戦争に協力しているという意識を醸すため、戦時負担額表示も。
日本の防衛予算は現状、世界でもトップ10に常に入っている規模。それでも足りない、倍増だというのは、つい、金の使い方を間違ってないかと言いたくなる。特に、小銃も制服もなかなか更新できず、隊員の宿舎の整備が後回しとか聞くにつけね。
国を守っているのは軍人だけと思ったら大間違いだ。戦争にならないように外交するのも、経済や学術で世界になくてはならない存在となるのも、貧困や格差を世界から無くす努力も核軍縮も、そして国内の産業や文化を維持発展させるのも、みんな国を守っていることだ。
覚えておいてもいいでしょう。巨額の国家予算が動く時に、一番敏感なのは金融機関。防衛目的宝くじとか出てくるかもね。
収蔵している戦費関係資料。支那事変(日中戦争)国債ポスターは絵柄は名作ですが、文もフォントも弱く呼び掛け風。大東亜戦争国債は強力に押し出していて絶叫系。そして1944(昭和19)年の労務報国会は憎悪の力で貯蓄運動。そして富くじまがいの福券…。金融機関が戦争推進で一番力を発揮した事は(続)
戦争末期を感じさせる、和紙の慰問袋。色は写真より茶色っぽく、閉じるのは紙こより。慰問袋は衣料きっぷ無しで買えた布製品でしたが、品が無ければ入手出来ない。以前、紙製の慰問袋を入手しましたが、こちらは紙も払底してきて登場の感があります。資源ない国の戦争は、こんなモノを生み出します。
「軍の論理」が政治を覆い、文民統制が揺らぎつつある現状が危ういーと的確な警鐘。 〈社説〉防衛省世論工作 思想良心の自由を侵す|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト shinmai.co.jp/news/article/C…
私も権力者に対して最大に警戒が必要なのが、国内を戦時体制に置こうとする動きだと思います。緊急事態条項など、その最たるもの。そして脅威を理由に防衛費倍増で国民の生活には目を向けない姿や、防衛省世論操作計画は、その前段階でしょう。 twitter.com/tabataminoru/s…
81年前の今日、1941(昭和16)年12月8日、日本海軍が米国ハワイの真珠湾を空襲。太平洋戦争が始まりました。既に日中戦争で疲弊していた中、日中戦争解決の狙いで先制攻撃で開戦。当日の臨時ニュースを、当時長野市内の家庭で伝えたとみられるラジオとともにどうぞ。
79年前の今頃、1943(昭和18)年12月発行の「主婦之友」。国土防衛号と題して防空関連の特集ですね。笑顔はイカンと指導を受けてこんな表紙絵に。冒頭でいきなり「戦争に強い日本婦人」と来た! そして敵は焦って短期決戦に出てきているという妄想を開陳して安心させようとする姑息さ。(続)
世論調査だとだいたい6割ぐらいは反撃能力保持に賛成している。とても素朴な思いから抑止力になると思ってのことだろうけど、そこに、相手国内を攻撃すれば相応の反撃を確実に喰らうということ、先制攻撃になりかねない危うい運用が想定されること、もっと理解を深めて、その上ででしょう。
この平頂山事件、老若男女問わず、中秋の名月を家族揃って楽しんだ一般の住民を、何の調査もなく、近くの崖下に追い立て機関銃掃射などで虐殺したもの。その後遺体や集落を焼き、ダイナマイトで崖を崩して埋めてしまいます。戦後、それは掘り出されて、その時のまま保存されています。
を一気に読みました。生き残りの方が望まれたのは、事件を忘れないよう日本政府が現地に碑を設けてほしいと。裁判で事実認定されましたが、いまだ、その思いは実現されず。 しかし、この本の核は、歴史の事実を掘り起こす過程での日中双方のわだかまり解消にあります。生身の人間同士、理解を深めて。
リットン報告書公表前の既成事実作りで、満州国と日本が日満議定書を交わした1932(昭和7)年9月15日。深夜から翌日未明にかけて撫順炭鉱がゲリラに襲撃されます。そして16日、ゲリラと通じていると見なされた平頂山の集落のほぼ全住民、約3千人が関東軍に虐殺されます。その生き残りと訴訟団の記録(続)
そしてトンデモ本に捕まらないための参考書には「昭和史がわかるブックガイド」が良いかと。選者が本を紹介するのに加えて概説を載せているので、通読するだけで基本が分かり、興味の湧いた分野を深掘りできます。更に先に行くには、その本の参考文献を調達していくと。立派な沼が待ってます(*^^*)
釜ができて、とりあえず抽出した松脂もドラム缶がないので運べないとか。とにかく松根を掘っている間だけは無心に「戦争やってる感」に浸れたのでしょう。合理的思考ではなく、ただただ、追随させるという効果は間違いなく発揮したでしょう。戦争やり続けている間だけは、軍部も官僚も安泰ですからね。
78年前の今頃、1944(昭和19)年11月23日、大日本帝国政府次官会議で松根油の緊急増産が決定されました。そしてこちらのポスターも作られたのでしょう。既に実働は女性と子供に頑張って貰わねばという絵柄。でも、敵をやっつける意思で爆撃機の編隊を描いたのでしょうが、空襲下のイメージが…(続)
何しろ、収蔵品の1割ぐらいは、こうした寄贈の品々で、講談社の絵本とか、そうでなければ手に入らなかったし。地方のその時代の総合的な記録を、貴重な寄贈品が伝えてくれます。
あったのです。面と向かっては語れないが、死んだ後ならとの思いがあったのか、きちんと揃えて。写真ネガもまとめて。それらを託していただきました。いずれ、何らかの形でおじいさまの意思を生かしたいと思っています。
私に貴重な遺品を提供してくれた方がおられます。その方は「おじいさんは人を殺したことがあるの?」と小さいころ尋ねたけど、何も話さなかったと。しかし死後、遺品の中にかごにきっちりと日中戦争当時の日記と勲章が入れてあったと。おじいさんは、凄惨な体験、加害者・被害者として―を残して(続)