この程度で潰れる国なら潰れればいい。 twitter.com/hidenoridr/sta…
戦時報道は発表以上の事が書けなかったのは事実ですが、実際は冷静さを失い、既に誇大な発表を誇大な報道でさらに煽ったというのが実態でしょう。ソロモン海戦の勝利と煽った結果の貯蓄という組み合わせでご覧ください。メディアが普段からしっかりしないと、こういう事態に。 sensousouko.naganoblog.jp/e1668026.html
102年前の今頃、1921(大正10)年1月6日夕刻、長野県南条村(現-坂城町)の南条小学校から出火。駆けつけた中島仲重校長は御真影室に向かって校舎に飛び込み殉職。享年38歳。天皇皇后の写真のため、命を落としたのです。学校に奉安殿が造られるようになったのは、こうした事件がきっかけでした。(続)
こちら、1941(昭和16)年1月1日発行の小学館「こくみん三年生」付録の興亜行進双六。興亜と言いつつ、外部への関心は大陸の子と仲よくしましょうとあるだけで、基本は子供への指示です。上がりの中心は日本男児で、中国の子供が手にする旗は汪兆銘の傀儡政権の旗。反共スローガンが象徴的です。
中央の大手紙を名指しし、権力と報道の距離感に警鐘を鳴らす珍しい社説。自社を含む歴史上の反省を踏まえ、危機感が感じられる。 twitter.com/himakane1/stat…
〈社説〉国防と報道 「非常時」の歴史に学ぶ|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト shinmai.co.jp/news/article/C…
「徴兵して素人集めるのは近代戦では役に立たない」というウソと、「赤紙は退役者のみを対象としていて一般人には関係なかった」というウソは、共通点がある。いずれも「自分は関係ない」「普通の若者は関係ない」と思わせたいか、思っていたいという考えが混ざっているなあと。
餅を入れるのは、代用品では神様に申し訳ないという方も気にせず使えるようにとの心配りだったとか。こちら、以前に書いたブログで、長野県に初登場の雰囲気をお伝えします。しかしこの1年後に太平洋戦争に突入するんですよね( ´・ω・`) sensousouko.naganoblog.jp/e2202817.html
モノみな上がる昨今、我が家はプラケース入りの鏡餅購入を断念しました。その代わりに、戦時下の長野県須坂で売られていた陶器製鏡餅を使ってみました。1940(昭和15)年11月の米配給制(有料)導入を受け全国的に作られていて、長野県にもこの年の12月に登場します。中には餅を入れてあります。(続)
月刊誌「主婦之友」の新年号を並べました。1941(昭和16)年は340ページほどで笑みも感じられます。1943年、指導で歯を見せる笑顔が禁じられた影響が見えます。1944年、勤労女性にという指導を受け、笑みもダメなので顔を大きくする構図が無くなります。1945年は色もわずかで54ページまで減りました。
85年前の1938(昭和13)年元旦を迎え、出征中の中国で皇居遥拝する長野県松本市で編成の歩兵第150連隊。南京攻略を終え、太湖付近に移動し新年を迎えますが帰国の目処は立たず。そしてこの正月に向けた餅つき。説明文から、国土を戦場にされた民衆の苦難を感じます。信濃毎日新聞のグラフより。
81年前の今日、1941(昭和16)年1月1日の朝日新聞。真珠湾攻撃の写真解禁になり、紙面を飾ります。社会面ではバランスを取って陸軍のコタバル上陸作戦の特派員からの話題です。そして当時の特徴である皇室の特集も。広告も引き続き軍事迎合ものが出ています。そのうち、こんなのばっかりに。
@bluesmacky こういう感覚で満ちてたんですよね。 ( ´・ω・`)
▽ほかの国もやっていた ▽現在の価値観で過去を見るな 日本の戦時下を語るとき、よく出てくるテンプレ反応。 他がやっていたから問題なしとの主張は相対比較に過ぎず、免責にならないですね。そして問題視する事例は当時の価値観でもおかしい事がほとんどで、そういう視点で発言していきます。
自分は日本の構成員なので日本の将来に関心が高く、将来を皆が選択する為のひとつの素材にしてほしいと思い、自分の暮らす国の過去の失敗から教訓を拾って発信しています。 欧米の植民地政策に関心がおありならば、その国を批判するか、問題点を将来の日本に生かす方向で発信されれば良いと思います。 twitter.com/74706957nippon…
81年前の1941(昭和16)年12月30日の大阪毎日新聞掲載の広告。赤玉ポートワインで有名な寿屋は、物価高と増税を背負いながら戦地を思い貯蓄し債券を買おうという政府広報のようなもの……あれ、もしかしてこれ、現在の予言( ̄▽ ̄;)
圧政からの解放という大義名分がいかに空虚な宣伝文句だったかが明白です。 一方、明治神宮では時局に鑑み照明を付けられないので大晦日の夜間参拝を取りやめ、元日も日の出からと。燃料節約か。敏感な人は、こういう所から国情を感じたでしょうね。 広告ではレコード会社が戦意高揚で稼いでます。
81年前の今日、1941(昭和16)年12月30日発行の大阪毎日新聞。フイリピンやマレーで激戦続き、現地の人たちの思いはいかばかりか(´;ω;`) 「『ゴムだ』『錫だ』に勇士もにっこり」の見出しが、太平洋戦争の侵略性を表してますね。「軍需も民需も万歳」って、勝手に持ってくの? (続)
戦時下の犬猫献納は、最初は自主的な小規模のものでしたが、1944(昭和19)年には、軍需省の局長らが通牒を発し、県単位で取り組まれました。 「よく分からない団体の実施」などと断定される方がおられましたが、当方は資料をベースに文献を調べ、聞き取りも行っています。 sensousouko.naganoblog.jp/e2217566.html
@mou3dayo いえ、国の指示によって行っています。1944(昭和19)年末に軍需省の局長らが指示して全国で取り組んでいます。ただ、実際に役立てられたかどうかは地域差があったと思われます。sensousouko.naganoblog.jp/e2217566.html
豪雪地帯の環境を維持している人たちがいるからこそ、守られている都市部もある。ひとつながりの視点が欠けている。 古市憲寿氏、豪雪地帯での大雪被害に「大雪が降るような地帯にいつまで住むのかをある種、突きつけられている」(スポーツ報知) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/5a731…
太平洋戦争下、ガダルカナル島からようやく撤退した後の1943(昭和18)年6月に発行された「大日本資産家一覧鑑」。一応戦時標語をちょっと入れてあります。横綱は三井家9億円など億円単位が10人ほど。長野県では製糸の片倉氏が700万円と。並んでる福澤桃介は木曽川の電力開発で知られています。(続)
酷いと言えば、85年前の1937(昭和12)年11月13日の信濃毎日新聞の「首斬り免許皆伝」。当時北支に出征していた松本歩兵第50連隊所属の曹長が妻の実家に送った手紙を紹介した記事で、表現をそのまま見出しに。戦前の庶民的感覚か、中国への蔑視感か、こうした行為も表現も平気だったようです。
権力者の保証など、なんの当てにもならない。監視が無くなれば権力は暴走する。それは戦時下であろうとなかろうと同じ。
85年前の今日、1937(昭和12)年12月22日の新愛知号外。毎年ツイしてますが、「合法左翼派に鉄槌」「合法手段で勤労大衆左翼化の裏面」という見出し、作っていて疑問に思わないのか。当局と一緒に興奮して、当局の一方的宣伝に終始。権力者の監視を忘れたマスコミの姿です。そして権力が増長するのです。