日本はアメリカの舎弟だと言っている人が、一方で昭和天皇の写真を焼くのは不敬だとか言って愛知県知事リコールするとか。この二つを付き合わせるだけで、この人物が天皇に対する敬意も尊重もないんだなと理解できる。
歴史にはいいも悪いもない。あるのは事実と因果だけだ。それなのに史実を示されただけで死にものぐるいになって日本はいい事をしたんだって叫ぶ人は、なんだろう。今の自分たちは過去の上に立って他者と向き合う、それしかないじゃろう。故に、過去の事実にしっかり立脚しない言葉は空虚になる。
どさくさに紛れて、論議をせずに重大な疑義がある法案を通過させようとする手法は、正々堂々と主張できない事の裏返し。治安維持法も普通選挙法の裏で、合わせて成立した歴史を忘れてはいけません。 #検察庁法改正案に抗議します
こちらミッドウェー海戦を伝える1943(昭和17)年6月11日の読売新聞。戦争報道は大本営発表内容でと規制されており、戦争協力もしていた新聞ですが、国民に大敗北が伝えられなかった証拠品で、立派な歴史資料と言えます。歴史は決定的資料などなく、地味な重層的資料の積み重ねで把握するものなのです。
新聞に期待するのは記録性です。歴史資料に大事なのは客観的な事実の把握であり、誰が何を発言し、何が起きていたかを伝えるのが基本。後世の人が評価できるよう判断材料を残すのが大事なので、その点で新聞は有効。後世に隠れた事実が掘り起こされた時には、それが知らされなかった証拠にもなります。
これは戦時下の資料についても同様でして、同じ時期、日付のものを重層的に集めるのがポイントです。その点で1945(昭和20)年は紙自体の不足から出版物や書類まで手に入れにくく、苦労しています。最悪の状況になると、記録を残すのも困難になるのです。
これから460億円かけて届くかもしれないマスクを歴史資料として保管される方は、マスクはどんな経緯で生まれ、当時はどんな状況だったかを示す資料と一緒に保管されるのをおすすめします。それによって、資料の時代背景や出自をきちんと伝えられます。4月2、3、4日の新聞はオススメです。
先般、日中戦争初期のものではないかと推測した「愛国印 軍隊マスク」のツイートに対し「左から横書きしているんだから戦後の品に決まっとるだろう(ドヤァ)」(大意)とのリプがありました。ご説明しますと、日本語横書きが左からと決定したのは1942(昭和17)年7月18日の国語審議会総会(続)