近衛首相は日中戦争開戦時の首相だけど、太平洋戦争開戦時は東条首相だし、満州事変はまた違う。それに大日本帝国憲法でいけば、誰がなんと言おうと天皇がトップでしょう。
三国同盟が話題なので、戦時下の表象を見てみましょう。講談社の絵本「ヒットラー」では、日本代表は近衛首相。写真週報の表紙でも三国の少女が手にする羽子板も近衛首相。戦時下トップはもちろん天皇だけど、事務方トップを前面に出して、実は日本は一番偉いって表現しようとしたのかも。(続)
今朝の信濃毎日新聞に乗っていた記事「TV出演者、偏る男女比 NHK放送文化研究所調査」が興味深い。男性が6割と多いけど、問題は年代。女性は20代、男性は40代がそれぞれピーク。男が女子どもに教えてやる、導いてやるーという構図が明らか。「自然と男性目線の意見が多く発信されてしまう」と。(続)
これはストレートに素晴らしい地元資料。1940(昭和15)年に長野県上諏訪町(現ー諏訪市)の上諏訪郵便局が作った子供向け保険勧誘冊子です。小国民の知識「日本は情け深い國」は、中国がいつも乱れているから日本が出ていって中国の為に戦ってあげているんだと…。 盗人猛々しいとはこの事じゃ。
たった2人の高校生が呼びかけて50人の若者が集まり、歌を歌って歩くデモで停戦呼びかけたって…素晴らしい。仕事じゃなかったら一緒に歩きたかった。 ウクライナ危機 平和的解決求める若き訴え 長野市中心部で高校生らがデモ shinmai.co.jp/news/article/C…
せっかく関心を持たしてもらったので、これでもしっかり読むか。
太平洋戦争下の日本が今より食料自給率が高かったのに飢餓が広がっていったのと同じです。当時も運送の麻痺で港や農業産地に滞貨の山ができ、豆は芽を出しサツマイモは腐ると。 今なら産地へ買い出しに行こうとしても、鉄道はローカル線が廃線になってきているし、一層苦しいと思いますね。
ウクライナ侵攻に関連して日本の食料自給率を心配する声が出ています。実際に日本が封鎖されたら、燃料の不足が一番の問題となるでしょう。運搬が滞り生鮮品は腐る。肥料も農薬も生産できず運べず機械も動かないので、生産は縮小する。自給率どころじゃない悲惨な状態が予想できます。(続)
戦時下、国民は等しく苦労していた、なんてことはなく、官僚が国の設備を使って気ままにしていた記録がこちらです。武井武雄さんが残してくれて感謝。 twitter.com/himakane1/stat…
77年前の今日、1945(昭和20)年3月9日の深夜から明日未明にかけて大量のB29が東京に侵入し、空襲しました。こちら、当時ばらまかれた焼夷弾と同じ型のものです。これだけでも1.3キロ。実際は焼夷剤も詰まってもっと重い。これが雨のようにと。そんな攻撃と並び、日を消せと命じた国の姿勢が犠牲を…
77年前の今頃、1945(昭和20)年3月の長野県丸子町常会徹底事項。飼い犬を差し出す指示が出ました。毛皮は軍需に、内臓は薬品に役立てるから、11日に警察署裏へ連れてこいと(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`) 忘れちゃいけない。権力者は、庶民のささやかな生活なんて考えちゃいない。
84年前の今頃、日中戦争下の1938(昭和13)年の雛祭りに合わせて作られたとみられる変わり雛です。皇軍万歳の旗と、女子青年団の見送りで戦地へ。 長野県軽井沢町の出物で、当時の信濃毎日新聞に同型の変わり雛が店頭に出ているとありました。 子供の幸せを願うお雛様がこんなになって(´;ω;`)
この発言、先日ツイートした竹槍事件の懲罰召集と同じ発想。現実に効果があるかどうかではなく、こころよく思っていない勢力を叩くため戦争を利用している。 twitter.com/hashimoto_lo/s…
これは昨日流すべきだったやつですが、78年前の1944(昭和19)年2月23日発行の毎日新聞。「竹槍では間に合わぬ」として海軍の飛行機整備を強調し、東条総理が激怒して発禁にした「竹槍事件」の紙面です。社説も「必勝の信念だけで戦争には勝たれない」と。 政府の戦争指導に疑問を示しただけで発禁(続)
小林多喜二が特高警察に虐殺された1933(昭和8)年の2月には、長野県で「赤化教員」の一斉検挙が4日から行われていました。100人以上が検挙され、9月にようやく記事解禁となって世の中に伝わります。いわゆる2.4事件です。こちら、9月15日発行の読売新聞夕刊です。(続)
小林多喜二を虐殺した特高警察の3人は、戦後も何の罪にも問われず、天寿を全う。 過去のことじゃない。入管の問題を見れば、権力を行使する側の意識がよく分かります。権力を傘に来た人間の危うさがあるからこそ、取り調べの可視化は大事ですし、代用監獄の問題も解消しないといけないでしょう。
小林多喜二の拷問については千田是也が書き残していて「内出血で紫褐色に膨れ上がった両方の股(もも)、これも靴で蹴り上げられた痣のある睾丸、焼火箸を突き刺したらしい二の腕とこめかみの赤茶けた凹み」「警察は心臓麻痺だといいはり、あらゆる手を使って死体解剖を妨害した」。(続)
89年前の今日、1933(昭和8)年2月20日、小林多喜二死亡。正午ごろ逮捕され3時間に及ぶ拷問の後、午後7時45分死亡。治安維持法による死刑はないと言われるが、こうした拷問による「死刑」は100人を超えるとも言われています。こちら小林多喜二の「蟹工船」後編掲載で発禁の戦旗(1929年6月号)です。(続)
歴史戦なるものが外国から仕掛けられたから自衛でという方がおられるが、仮にそうだとしよう。その対抗策が「新たに作る日本政府の認識する歴史」であって「国際的に通用する研究された歴史」じゃないところが、そもそも負けている。対外的に勝てない戦をなぜするか、国内ウケ狙いとしか思えない。
歴史戦とかいうけど、それが通ったとして得るものは何か。近隣国との緊張悪化(当然、拉致問題解決が遠のく)、アジア各国との関係冷却を始めとした国際的孤立。その結果、経済停滞、人手不足で必要な社会的な支えがなくなり(外国からも来て貰えない)福祉制度崩壊。疑心暗鬼の軍備強化で塗炭の苦しみ。
歴史は終わったことの記録。出来ることは、歴史から学んで先にどう進むかということ。過去を気の沿うように書き換えようとしたところで、未来に一歩も進まない。過去に囚われるとはそういうことだ。
私が戦時下の資料を収集して研究しているのもまさにこれで、戦争や戦時体制というものは「軍が悪かった」で済ませるべきではありません。政治や教育などどれがどんな影響を与えたか知る事が、そうした状況の再現を阻止する力になると思っています。今と同じ…と思える場合、特に注意が必要かと。 twitter.com/dog2shiba/stat…
NHKの報道問題、完全に「そういうもの」という視点で素材をねじ曲げて作ってるのが一番危険。デモを語るのになぜ現場に行かないのか。それは台本通りにいかず都合が悪いからだろう。まともな報道関係者なら、デモで日当っていう言葉だけでスクープと感じ、その為の取材を直ちに始めるはず。
読売新聞が大阪府と連携してすぐに、維新の大阪市長電話公募の記事と、大阪知事筋トレの記事が出たのは象徴的でした。 不祥事も取引材料になるだけだろうと、容易に想像ができます。 首長も政治家だし、選挙の時期を考えなくても、こうした取り上げ方は慎むべき。戦時下の「我らが東条さん」と同じ。
アベノマスクの廃棄を政府が決めましたので、この間の経過も併せて改めて記録しました。これからもアベノマスクのおかげでマスクの値下がりがあったというご意見が出てくるかもしれませんが、それならばここに示した内容を上書きできるような事実を示す必要があると思います。 sensousouko.naganoblog.jp/e2486866.html