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あったのです。面と向かっては語れないが、死んだ後ならとの思いがあったのか、きちんと揃えて。写真ネガもまとめて。それらを託していただきました。いずれ、何らかの形でおじいさまの意思を生かしたいと思っています。
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小林多喜二の拷問については千田是也が書き残していて「内出血で紫褐色に膨れ上がった両方の股(もも)、これも靴で蹴り上げられた痣のある睾丸、焼火箸を突き刺したらしい二の腕とこめかみの赤茶けた凹み」「警察は心臓麻痺だといいはり、あらゆる手を使って死体解剖を妨害した」。(続)
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新聞に期待するのは記録性です。歴史資料に大事なのは客観的な事実の把握であり、誰が何を発言し、何が起きていたかを伝えるのが基本。後世の人が評価できるよう判断材料を残すのが大事なので、その点で新聞は有効。後世に隠れた事実が掘り起こされた時には、それが知らされなかった証拠にもなります。
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どんなに自分が努力して目指す社会を実現しようとしても悪化する一方という状況でも、次の状況下で、また自分で考えられる最善手を尽くす。個々人のその思いこそが、社会を改善していける。
戦前の石橋湛山がまさにそうだった。後退しても後退しても踏ん張って発言した。みんな踏ん張っていこう。
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あと、当時の基準で考えろというのも毎度出てきますが、丸腰の捕虜を射殺するのは、当時だって非人道的行為。定型句をぶつけて、中身を見ない人に私の情報は不要でしょうから、ブロックです。
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77年前の今日、1944年2月23日、毎日新聞が掲載した「竹やりでは戦えない」などとする記事に東条総理が激怒した「竹槍事件」が発生します。東条総理はこの紙面を直ちに発禁とし、毎日新聞の廃刊を命じますが…。以下、ブログには書き込まれていない内容を連投します。sensousouko.naganoblog.jp/e2232146.html
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地元に元731の人がいて、その人が貴重な品を残して証言もしているんだから、せめて市民の証言ぐらい守ってやれないのか。
市教委はいろいろな議論があるからって逃げてるけど、ネットの妄想と生涯かけた研究者を同列に扱うようなもの。腹括っていこうよ。松代の説明文書き換えと同じじゃないか。
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マラリアの島に追われて死なねばならなかった人、沖縄の言葉を使ってスパイ扱いで殺された人、軍の作戦のため死地に追われる人は居なかったでしょうね。沖縄戦は陸軍にとって本土決戦の時間稼ぎだし、元より大日本帝国の軍隊は天皇の為にある軍隊。満州と同じで住民を守る為の戦いではなかったのです。 twitter.com/zunda_mochi_ex…
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これは本当に何度でも強調してほしい。しかも「こんな紙くず」に実は価値があるんです。公文書館や地域の歴史資料施設に相談するとともに、行政はぜひ保管庫を大きく設計してもらいたいです。そしてさまざまな分野の学芸員を雇ってください。必ず百年後の人が助かります。庶民の普通の記録も… twitter.com/gunmasiryonet/…
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先般、日中戦争初期のものではないかと推測した「愛国印 軍隊マスク」のツイートに対し「左から横書きしているんだから戦後の品に決まっとるだろう(ドヤァ)」(大意)とのリプがありました。ご説明しますと、日本語横書きが左からと決定したのは1942(昭和17)年7月18日の国語審議会総会(続)
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戦争で負けると植民地になるんだから戦争システムが必要とドヤって靖国の引用リツした人がいたが、第一次世界大戦の結果、力での現状変更を認めない不戦条約も中国の主権を尊重する九カ国条約もあったし、満州事変当時にはフィリピン独立が決まるという中、逆行したのが日本だったのは間違いない。
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碧志摩メグは、海女さんたち自身が抗議したのがきっかけですね。性的過ぎてそんな風に見られたくないって。都合よく情報を操作されても説得力なしです。 twitter.com/frozen_sealion…
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今度は父親の葬儀を出して引越した当日に宇治山田空襲に。アルバム1冊を持ち、逃げ延びます。
戦争から生きて帰る、戦地になんとか取られないように…ささやかと言えば、とてもささやかな抵抗ですが、そのおかげで祖父と父は生き残り、戦後を働き、そして今、私がいます。(続)