兵役法に基づく赤紙は有名ですが、国家総動員法に基づく国民徴用令で出された徴用告知書「白紙」は、ほとんど知られていないでしょう。政府が個人に必要と認めた場所で働く事を命じるもので、省庁が自由に知事を通じて人を集めました。炭鉱や軍需工場、最前線の医療や土木など。こちら貴重な実物です。
はだしのゲンで知られる中沢啓治さんの作品にも東京大空襲がテーマの「あの街この街」があるのを教わりました。切ねえことばっかり(´;ω;`)
小林多喜二が特高警察に虐殺された1933(昭和8)年の2月には、長野県で「赤化教員」の一斉検挙が4日から行われていました。100人以上が検挙され、9月にようやく記事解禁となって世の中に伝わります。いわゆる2.4事件です。こちら、9月15日発行の読売新聞夕刊です。(続)
アマテラスから繋がる系譜の掛け軸。神代に既に四大文明が存在してるんですね。だから日本の神話は日本しか造らないんですよ。ほかの国は世界作ったりしてるけど、奥ゆかしい。
あったのです。面と向かっては語れないが、死んだ後ならとの思いがあったのか、きちんと揃えて。写真ネガもまとめて。それらを託していただきました。いずれ、何らかの形でおじいさまの意思を生かしたいと思っています。
小林多喜二の拷問については千田是也が書き残していて「内出血で紫褐色に膨れ上がった両方の股(もも)、これも靴で蹴り上げられた痣のある睾丸、焼火箸を突き刺したらしい二の腕とこめかみの赤茶けた凹み」「警察は心臓麻痺だといいはり、あらゆる手を使って死体解剖を妨害した」。(続)
81年前の今日、1941(昭和16)年12月30日発行の大阪毎日新聞。フイリピンやマレーで激戦続き、現地の人たちの思いはいかばかりか(´;ω;`) 「『ゴムだ』『錫だ』に勇士もにっこり」の見出しが、太平洋戦争の侵略性を表してますね。「軍需も民需も万歳」って、勝手に持ってくの? (続)
戦時中の「配給」が有料だったという事を初めて知ったという方がおられましたので、主要食料の配給通帳をどうぞ。金額欄が分かります。また、これは1945(昭和20)年の時点ですが、玄米より代用の馬鈴薯が目立ちます。4枚目は長野県上田市の配給の木炭割当票ですが、これも単価が明記してあります。
新聞に期待するのは記録性です。歴史資料に大事なのは客観的な事実の把握であり、誰が何を発言し、何が起きていたかを伝えるのが基本。後世の人が評価できるよう判断材料を残すのが大事なので、その点で新聞は有効。後世に隠れた事実が掘り起こされた時には、それが知らされなかった証拠にもなります。
84年前の今頃、日中戦争下の1938(昭和13)年の雛祭りに合わせて作られたとみられる変わり雛です。皇軍万歳の旗と、女子青年団の見送りで戦地へ。 長野県軽井沢町の出物で、当時の信濃毎日新聞に同型の変わり雛が店頭に出ているとありました。 子供の幸せを願うお雛様がこんなになって(´;ω;`)
どんなに自分が努力して目指す社会を実現しようとしても悪化する一方という状況でも、次の状況下で、また自分で考えられる最善手を尽くす。個々人のその思いこそが、社会を改善していける。 戦前の石橋湛山がまさにそうだった。後退しても後退しても踏ん張って発言した。みんな踏ん張っていこう。
近衛首相は日中戦争開戦時の首相だけど、太平洋戦争開戦時は東条首相だし、満州事変はまた違う。それに大日本帝国憲法でいけば、誰がなんと言おうと天皇がトップでしょう。
あと、当時の基準で考えろというのも毎度出てきますが、丸腰の捕虜を射殺するのは、当時だって非人道的行為。定型句をぶつけて、中身を見ない人に私の情報は不要でしょうから、ブロックです。
77年前の今日、1944年2月23日、毎日新聞が掲載した「竹やりでは戦えない」などとする記事に東条総理が激怒した「竹槍事件」が発生します。東条総理はこの紙面を直ちに発禁とし、毎日新聞の廃刊を命じますが…。以下、ブログには書き込まれていない内容を連投します。sensousouko.naganoblog.jp/e2232146.html
上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」が、信濃毎日新聞に反戦の全面広告載せてる(´;ω;`) ぜひ紙面をご覧ください…
貯蓄から投資へって、戦時下でもたくさん聞かされます最終的に発行しすぎた紙幣回収のインフレで紙くずにさせられるですが。 もっとも、戦争とは関係ないけど、大口利用者には「損失補填」なんてのがあったか。
神が創った唯一の国って強調するのは絵本にとどまりません。1941(昭和16)年10月15日発行の世界興亡図譜。神代からの天皇の系図を中心に各国を脇に置いてますが、まず、政権交代は国内に適用しない誤魔化しをして、一貫性を取り繕っています。そして神代の時代に、既に文明も国家も存在していますが。
地元に元731の人がいて、その人が貴重な品を残して証言もしているんだから、せめて市民の証言ぐらい守ってやれないのか。 市教委はいろいろな議論があるからって逃げてるけど、ネットの妄想と生涯かけた研究者を同列に扱うようなもの。腹括っていこうよ。松代の説明文書き換えと同じじゃないか。
マラリアの島に追われて死なねばならなかった人、沖縄の言葉を使ってスパイ扱いで殺された人、軍の作戦のため死地に追われる人は居なかったでしょうね。沖縄戦は陸軍にとって本土決戦の時間稼ぎだし、元より大日本帝国の軍隊は天皇の為にある軍隊。満州と同じで住民を守る為の戦いではなかったのです。 twitter.com/zunda_mochi_ex…
これは本当に何度でも強調してほしい。しかも「こんな紙くず」に実は価値があるんです。公文書館や地域の歴史資料施設に相談するとともに、行政はぜひ保管庫を大きく設計してもらいたいです。そしてさまざまな分野の学芸員を雇ってください。必ず百年後の人が助かります。庶民の普通の記録も… twitter.com/gunmasiryonet/…
先般、日中戦争初期のものではないかと推測した「愛国印 軍隊マスク」のツイートに対し「左から横書きしているんだから戦後の品に決まっとるだろう(ドヤァ)」(大意)とのリプがありました。ご説明しますと、日本語横書きが左からと決定したのは1942(昭和17)年7月18日の国語審議会総会(続)
戦争で負けると植民地になるんだから戦争システムが必要とドヤって靖国の引用リツした人がいたが、第一次世界大戦の結果、力での現状変更を認めない不戦条約も中国の主権を尊重する九カ国条約もあったし、満州事変当時にはフィリピン独立が決まるという中、逆行したのが日本だったのは間違いない。
碧志摩メグは、海女さんたち自身が抗議したのがきっかけですね。性的過ぎてそんな風に見られたくないって。都合よく情報を操作されても説得力なしです。 twitter.com/frozen_sealion…
リットン報告書公表前の既成事実作りで、満州国と日本が日満議定書を交わした1932(昭和7)年9月15日。深夜から翌日未明にかけて撫順炭鉱がゲリラに襲撃されます。そして16日、ゲリラと通じていると見なされた平頂山の集落のほぼ全住民、約3千人が関東軍に虐殺されます。その生き残りと訴訟団の記録(続)
今度は父親の葬儀を出して引越した当日に宇治山田空襲に。アルバム1冊を持ち、逃げ延びます。 戦争から生きて帰る、戦地になんとか取られないように…ささやかと言えば、とてもささやかな抵抗ですが、そのおかげで祖父と父は生き残り、戦後を働き、そして今、私がいます。(続)