沈黙は中立ではない。時の権力者への無批判の迎合であると思います(何か見た)。
こちらミッドウェー海戦を伝える1943(昭和17)年6月11日の読売新聞。戦争報道は大本営発表内容でと規制されており、戦争協力もしていた新聞ですが、国民に大敗北が伝えられなかった証拠品で、立派な歴史資料と言えます。歴史は決定的資料などなく、地味な重層的資料の積み重ねで把握するものなのです。
徴用っていうのは、何日からここで働けという命令だからね。日本人も徴用されると家業を捨てて行かねばならなかったのですよ。強制以外の何物でもないです。 twitter.com/veenmsqnvsohsf…
3年ぶりの展示会「イケイケ アレアレ 戦争トイウ流行」を8月9日ー14日に長野県長野市のギャラリー82で開催します(*^ω^*) 戦争や軍事を煽る事にもなった広告や出版物を中心に最末期の疎開生活まで、当時のビスケットなど秘蔵品も含めてお出しします。 入場無料、観光がてらご来場を! #拡散希望
物資不足の象徴、黒い牛乳瓶。さまざまなガラスを混ぜて再生を繰り返すうちに、どんどん黒くなっていったというもの。透明なガラスが貴重な生活って… (´;ω;`)
戦前日本舐めすぎ。だいたい、軍隊軍隊叫んでる奴らは高みの見物か号令かける立場に自分を置いているんだろうな。
私が戦時下の資料を収集して研究しているのもまさにこれで、戦争や戦時体制というものは「軍が悪かった」で済ませるべきではありません。政治や教育などどれがどんな影響を与えたか知る事が、そうした状況の再現を阻止する力になると思っています。今と同じ…と思える場合、特に注意が必要かと。 twitter.com/dog2shiba/stat…
これは昨日流すべきだったやつですが、78年前の1944(昭和19)年2月23日発行の毎日新聞。「竹槍では間に合わぬ」として海軍の飛行機整備を強調し、東条総理が激怒して発禁にした「竹槍事件」の紙面です。社説も「必勝の信念だけで戦争には勝たれない」と。 政府の戦争指導に疑問を示しただけで発禁(続)
アジアの独立は日本のおかげっていう連中は、各国の独立した日や独立記念日を調べてみろ。そして建国の指導者がどんな苦難の歩いたかを。 そして日本は中国とずっと戦争していて、何がアジアの平和だか。
しかし、ご遺族からの資料だと説明しているのに、自身が信じたくない内容だからすぐ捏造だの難癖言える輩は、ご遺族の心情や戦火をくぐった方への思いを全くしないのだなと。彼らがほしいのは自分に都合の良い、物言わぬ英霊であるのでしょう。戦没者の勝手な利用であり、敬意も哀悼も無縁でしょうね。
ちょっと思うところあって、小池都知事が関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊に文書を送らなくなったきっかけの、2017年3月議会一般質問の自民党都議の主張が凄い。当時の日本には次々朝鮮人の活動家がやってきていて、震災に合わせて暴動や殺人をやったから流言ではなく事実だった、間違って殺されたのは(続)
東京弁護士会が警視庁に送った「異例」の警告書 天皇制を批判した男性に公然と行われた尾行・監視|あなたの静岡新聞 at-s.com/sp/news/articl…ここまで戦前が来ている。是非読んでください。自分も驚きの一言です。
戦時下、国民は等しく苦労していた、なんてことはなく、官僚が国の設備を使って気ままにしていた記録がこちらです。武井武雄さんが残してくれて感謝。 twitter.com/himakane1/stat…
今の日本の発想は、強者に擦り寄り弱者を叩けば「自分」は生き残る、というものでしょう。内閣不信任対応から派遣使い捨て、戦争賛成まで。抵抗して獲得するという行為を忘れているようです。
いくら南京事件を否定されたところで、この戦闘詳報の記述に何の影響も与えないんですが、何なんですかね。そこにしがみついてどうなるのか? 私は、戦争とは、こういうものだって事実を伝えて、そんな戦争を回避していきたいと思っているだけです。という訳で、粘着されている方はブロックします。
愛国心などという、どうとでも取れる言葉を不用意に使う方は信用できませんね。 いろんな国が愛国心という言葉を使いますが、それぞれ積んできた歴史の上で言っていること。日本の「愛国心」は、明治から敗戦まで権力者の都合で使い倒されましたからね。
酷いと言えば、85年前の1937(昭和12)年11月13日の信濃毎日新聞の「首斬り免許皆伝」。当時北支に出征していた松本歩兵第50連隊所属の曹長が妻の実家に送った手紙を紹介した記事で、表現をそのまま見出しに。戦前の庶民的感覚か、中国への蔑視感か、こうした行為も表現も平気だったようです。
「Go To イート」で食事券って聞く度にチラつくんですが、これで合ってますか?
8月に集中して戦争の話題を掘り起こす「8月ジャーナリズム」は、それなりに意義があると思うけど、戦争被害者意識を広める恐れもある。出来れば、日中戦争開戦から太平洋戦争突入への流れを知り、戦争がなぜ行われたかを学ぶ「7-8月ジャーナリズム」が生まれてくれたらいいなと思っています。
父は、ずっと、あの戦争とは何だったかを知ろうとしていました。権力は、戦後一貫してその姿を薄めようとしてきました。自分は、その流れに抗いたい。自国にも他国にも引き起こした惨禍と経緯を知り、後世に伝えたい。それが次世代の行動の為の、大切な武器になると信じています。
ヒットラーの子ども好きという言葉が降ってきたので、引っ張り出してみた。1941年8月1日発行。 それにしても酸化臭が( ー̀ωー́ ) 何とかせねば。
死にものぐるいで慰安婦は売春婦説を流しておられる方がいるけど、さまざまな資料紹介の場になっているようなので、当方も。
インパール作戦にも参加した長野県の方の画集を出そうと頑張ってます。5年越しで、行動経路、特にいつインパール作戦のどの部隊に参加したかでつまづいていたのですが、何冊も本を集めて何度も読んで、やっと繋がってきました。学ぶ、調べるとはそういう事だと、しみじみ思う。8月発刊予定です。
これは戦時下の資料についても同様でして、同じ時期、日付のものを重層的に集めるのがポイントです。その点で1945(昭和20)年は紙自体の不足から出版物や書類まで手に入れにくく、苦労しています。最悪の状況になると、記録を残すのも困難になるのです。
最近の政治で最もまずいと感じたのは、公文書の破棄、改ざん、それに「公文書を作らないで意思決定」という流れの定着です。今の世代だけではなく、後世にも禍根を残すからです。ささやかな役場の文書綴りから資料の年代特定に至った経緯からも、公文書の大切さが伝わるかと。sensousouko.naganoblog.jp/e2240134.html