戦記物とか読んでいると、殴られて口の中を切る、顔の形が変わる、といった描写が普通に出てくる。どんな勢いで殴っていたか。そしてその調子でビルマとかで現地の人を殴っている。日常を持ち込んだだけだろうけど、これで好かれるなんてことはないでしょう。
89年前の今日、1933(昭和8)年2月20日、小林多喜二死亡。正午ごろ逮捕され3時間に及ぶ拷問の後、午後7時45分死亡。治安維持法による死刑はないと言われるが、こうした拷問による「死刑」は100人を超えるとも言われています。こちら小林多喜二の「蟹工船」後編掲載で発禁の戦旗(1929年6月号)です。(続)
本日の信濃毎日新聞。記事は共同だけど、的確な見出しだ。
特攻隊員を女性蔑視の道具に使うとは、しかもその失礼に無自覚なこと。救いようがない。
良く内容が分かる見出し。
満州事変の時って、ものすごい盛り上がったんだよね。非常時に、操作ひとつで一斉にひとつの方に動かされやすいって事はよく覚えといた方がいい。同調圧力の強い日本ではなおさらね。満州事変国防献品記念録より。
81年前の今日、1941(昭和16)年12月20日、絵本「日本ヨイ國」が発行されます。当時の日本の独尊感がよく伝わってきます。日本スゴイは、これを笑えない。誇るのはともかく、神話と現実を融合させて独尊感に浸っていてもねえ。そしてそれを信じようとしていたのが、一番苦労する庶民なんですよね。
三国同盟が話題なので、戦時下の表象を見てみましょう。講談社の絵本「ヒットラー」では、日本代表は近衛首相。写真週報の表紙でも三国の少女が手にする羽子板も近衛首相。戦時下トップはもちろん天皇だけど、事務方トップを前面に出して、実は日本は一番偉いって表現しようとしたのかも。(続)
75年前の今日、1945(昭和20)年8月7日付朝日新聞。トップは大和の沖縄特攻の海軍省発表。その横に空襲被害がまとめてあります。どこに広島の原爆について載っているか、お分かりいただけるでしょうか。全国共通の発表文5行のみ。これが情報統制国家であり、そこにしがみつくマスコミの末路ですよ。
歴史は終わったことの記録。出来ることは、歴史から学んで先にどう進むかということ。過去を気の沿うように書き換えようとしたところで、未来に一歩も進まない。過去に囚われるとはそういうことだ。
私の叔父2人は戦死していますが、私は靖国神社へは絶対に行きません。生前の父は、自力で地元に墓を建て供養してきました。靖国神社は戦争ができるようにするための国家のシステムであったのですから、それを認めて足を運ぶのは、叔父たちに申し訳ないのです。
相手が弱い立場だったり女性だったりすると、途端に居丈高になる人が、戦時下でも目立ちました。 1944(昭和19)年2月2日の信濃毎日新聞より、小諸駅に配置された女子駅員の嘆きをどうぞ。 国中が一致して国難に向かい…なんてのは妄想です。朝鮮人や中国人への対応だって容易に想像がつきますね。
政治や社会が役に立たないと決めた人を選別する世の中は、断固拒絶します。こちらは1939(昭和14)年10月6日の大阪朝日新聞夕刊(5日発行)。断種法の実施を肯定的な学者談話と共に紹介。遺伝とは関係ないとしつつハンセン病患者の断種も組み込んでます。
太平洋戦争まで物資不足なんてなかったと思っている人も多いと思いますが、日中戦争が始まった翌年の1938(昭和13)年4月から7月にかけて、金属や綿製品、皮革など戦略物資の民間使用制限が設けられます。そんな情勢を受け、文部省が革靴をやめて「下駄を履け!」と掛け声を出します。そうしたら(続)
日本軍がどんな戦闘をし、戦地でどんな行為をしたかは、妄想の中ではなく体験者の声や書類などでいくつも裏付けられています。こちら長野県松本市で編成され南京に向かっていた歩兵第150連隊の戦闘報告。兵士5人を捕虜としますが、「直に射殺す」とあります。(続)
小林多喜二を虐殺した特高警察の3人は、戦後も何の罪にも問われず、天寿を全う。 過去のことじゃない。入管の問題を見れば、権力を行使する側の意識がよく分かります。権力を傘に来た人間の危うさがあるからこそ、取り調べの可視化は大事ですし、代用監獄の問題も解消しないといけないでしょう。
関東大震災の資料を逐次入手しているが、胃の痛くなりそうな金額💦 虐殺された朝鮮人の描写は辛い。数十人の足を縛って川にとか、64箇所に傷とか、妊婦も凄惨な状態。ゲンの描写で日本人の発想じゃないとかどっかで出てたけど、国家第一を刷り込まれた人間が人の命をいかに軽く見ているか分かります。
歴史戦とかいうけど、それが通ったとして得るものは何か。近隣国との緊張悪化(当然、拉致問題解決が遠のく)、アジア各国との関係冷却を始めとした国際的孤立。その結果、経済停滞、人手不足で必要な社会的な支えがなくなり(外国からも来て貰えない)福祉制度崩壊。疑心暗鬼の軍備強化で塗炭の苦しみ。
虚偽の発表を積み上げるとどうなるか。こちら1944(昭和19)年12月9日の毎日新聞。1年間の戦果として空母37隻、戦艦7隻、巡洋艦49隻など撃沈。潜水艦なんて168隻も撃沈したことに。特攻隊の出動が始まってから、より数字が水増しされていきます。これでは、誰も正常な判断ができないでしょう。(続)
戦時下、戦争の熱に浮かされた人達が次々と暴走した一例。「全体主義の統制に服せ」って、ただの養蚕組合が言ってる。組合通して出荷しろってことだけど、いきなり全体主義ときた。統制攪乱のゲリラ戦に勝てって、将軍気分の人があちこちに沸いたんだろうな。日中戦争から1年でこれだよ。もう止まらん
東京五輪の最大のレガシーは、日本社会に巣食う差別意識が炙り出され、世界に知らしめられたことではないかと思えます。この成果を生かせるかどうかが問われるでしょう。
私に貴重な遺品を提供してくれた方がおられます。その方は「おじいさんは人を殺したことがあるの?」と小さいころ尋ねたけど、何も話さなかったと。しかし死後、遺品の中にかごにきっちりと日中戦争当時の日記と勲章が入れてあったと。おじいさんは、凄惨な体験、加害者・被害者として―を残して(続)
これはストレートに素晴らしい地元資料。1940(昭和15)年に長野県上諏訪町(現ー諏訪市)の上諏訪郵便局が作った子供向け保険勧誘冊子です。小国民の知識「日本は情け深い國」は、中国がいつも乱れているから日本が出ていって中国の為に戦ってあげているんだと…。 盗人猛々しいとはこの事じゃ。
やっと入手できたM69焼夷弾の殻。愛知県豊橋市に落とされたものと見られます。文章で何度も目にして展示を見た事もありますが、イメージより大きい。そして重い。これだけでも1.3キロ。こんなのが雨のように降ってくる…。それに耐えて消火活動せよと。凄まじい命令だ。
77年前の今日、1945(昭和20)年3月9日の深夜から明日未明にかけて大量のB29が東京に侵入し、空襲しました。こちら、当時ばらまかれた焼夷弾と同じ型のものです。これだけでも1.3キロ。実際は焼夷剤も詰まってもっと重い。これが雨のようにと。そんな攻撃と並び、日を消せと命じた国の姿勢が犠牲を…