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戦記物とか読んでいると、殴られて口の中を切る、顔の形が変わる、といった描写が普通に出てくる。どんな勢いで殴っていたか。そしてその調子でビルマとかで現地の人を殴っている。日常を持ち込んだだけだろうけど、これで好かれるなんてことはないでしょう。
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歴史は終わったことの記録。出来ることは、歴史から学んで先にどう進むかということ。過去を気の沿うように書き換えようとしたところで、未来に一歩も進まない。過去に囚われるとはそういうことだ。
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私の叔父2人は戦死していますが、私は靖国神社へは絶対に行きません。生前の父は、自力で地元に墓を建て供養してきました。靖国神社は戦争ができるようにするための国家のシステムであったのですから、それを認めて足を運ぶのは、叔父たちに申し訳ないのです。
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太平洋戦争まで物資不足なんてなかったと思っている人も多いと思いますが、日中戦争が始まった翌年の1938(昭和13)年4月から7月にかけて、金属や綿製品、皮革など戦略物資の民間使用制限が設けられます。そんな情勢を受け、文部省が革靴をやめて「下駄を履け!」と掛け声を出します。そうしたら(続)
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小林多喜二を虐殺した特高警察の3人は、戦後も何の罪にも問われず、天寿を全う。
過去のことじゃない。入管の問題を見れば、権力を行使する側の意識がよく分かります。権力を傘に来た人間の危うさがあるからこそ、取り調べの可視化は大事ですし、代用監獄の問題も解消しないといけないでしょう。
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関東大震災の資料を逐次入手しているが、胃の痛くなりそうな金額💦
虐殺された朝鮮人の描写は辛い。数十人の足を縛って川にとか、64箇所に傷とか、妊婦も凄惨な状態。ゲンの描写で日本人の発想じゃないとかどっかで出てたけど、国家第一を刷り込まれた人間が人の命をいかに軽く見ているか分かります。
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歴史戦とかいうけど、それが通ったとして得るものは何か。近隣国との緊張悪化(当然、拉致問題解決が遠のく)、アジア各国との関係冷却を始めとした国際的孤立。その結果、経済停滞、人手不足で必要な社会的な支えがなくなり(外国からも来て貰えない)福祉制度崩壊。疑心暗鬼の軍備強化で塗炭の苦しみ。
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東京五輪の最大のレガシーは、日本社会に巣食う差別意識が炙り出され、世界に知らしめられたことではないかと思えます。この成果を生かせるかどうかが問われるでしょう。
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私に貴重な遺品を提供してくれた方がおられます。その方は「おじいさんは人を殺したことがあるの?」と小さいころ尋ねたけど、何も話さなかったと。しかし死後、遺品の中にかごにきっちりと日中戦争当時の日記と勲章が入れてあったと。おじいさんは、凄惨な体験、加害者・被害者として―を残して(続)
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