労働を支える魚肉ソーセージ、軒並み70グラムから60グラムに切り替わってきてる( ゚∀ ゚)
釜ができて、とりあえず抽出した松脂もドラム缶がないので運べないとか。とにかく松根を掘っている間だけは無心に「戦争やってる感」に浸れたのでしょう。合理的思考ではなく、ただただ、追随させるという効果は間違いなく発揮したでしょう。戦争やり続けている間だけは、軍部も官僚も安泰ですからね。
昨日は阪神・淡路大震災から28年でしたが、今年は関東大震災100年。被害もさることながら、朝鮮人虐殺も忘れてはならない歴史。当時の新聞報道で、どんな混乱が起きていたか、まとめました。各地でも調べていただくと、より良いかもです。 sensousouko.naganoblog.jp/e2301006.html
81年前の1941(昭和16)年12月30日の大阪毎日新聞掲載の広告。赤玉ポートワインで有名な寿屋は、物価高と増税を背負いながら戦地を思い貯蓄し債券を買おうという政府広報のようなもの……あれ、もしかしてこれ、現在の予言( ̄▽ ̄;)
こちら、1933(昭和8)年2月8日の写真ニュース(発行者不明)。国際連盟のリットン報告書などの勧告案採決を前に日比谷公会堂で7日に行った国民大会。「連盟何者ぞ」と自分達を強大に見せる表現の一方で「国際連盟大弾圧の下に」と被害者意識を肥大化させているあたりが、当時の雰囲気を映し出します。(続)
長野県でも同様の飼料不足が発生しました。一時、繭から糸を取ったあとの蛹を与える方向で落着かと思いきや、今度は蛹を使っていた養魚業者から文句が出ます。使えるものはみな上手に利用しあっているのです。戦争がそこにねじ込まれると、こうして破たんしていくのです。いかに無理をするかですね。
79年前の今頃、1943(昭和18)年12月発行の「主婦之友」。国土防衛号と題して防空関連の特集ですね。笑顔はイカンと指導を受けてこんな表紙絵に。冒頭でいきなり「戦争に強い日本婦人」と来た! そして敵は焦って短期決戦に出てきているという妄想を開陳して安心させようとする姑息さ。(続)
番台に座る者は歩哨と同じと改めて注意に励む。入浴客も隣組精神でと。ちなみに、これから敗戦までは闇取引、置き引きも急増。特に靴など、旅館で脱いだだけですぐ盗まれるという始末。民生品不足がいかに人々をささくれさせ、お互いを食い合っていたか。覚えておきたいです。
現在の長野県佐久市にあたる野沢町の大日本国防婦人会資料です。展示会で示した戦争経済腰折れの後は、こうした組織が戦争を引っ張った様子が伝わります。 なお、当時の女性にとっては堂々と家を出て社会的な行動ができる側面からも人気で積極性もあり、軍部はそんな思いも戦争で消費したのです。
一億憤激米英撃砕運動資料を受けたとしか感じられない主婦之友1944(昭和19)年12月号。11月6日印刷納本なので、10月の資料のさっそくの反映です。米英は野獣とし、婦女子は皆襲われると脅し、「こうしてぶちころせ」と。各ページでも繰り返し、これが婦人雑誌かと思わせます。(続)
戦争末期を感じさせる、和紙の慰問袋。色は写真より茶色っぽく、閉じるのは紙こより。慰問袋は衣料きっぷ無しで買えた布製品でしたが、品が無ければ入手出来ない。以前、紙製の慰問袋を入手しましたが、こちらは紙も払底してきて登場の感があります。資源ない国の戦争は、こんなモノを生み出します。
日中戦争開戦間もなく、大阪毎日新聞と東京日日新聞が募集した懸賞歌で2位となった「露営の歌」の絵葉書。こうやってメディアが事業で煽った事は記憶しておきたい。それにしても「死んで帰れ」とか「東洋平和のためならば なんの命が惜しかろう」とか、当時の偏った使命感が切ない。(´;ω;`) (続)
戦争になったら軍需産業が儲かるから戦争起こしたがるなんて話は、戦争の一面のごく1部しか表していません。アベさんも言ってたでしょ。防衛予算増額は国債でって。こうやって動く巨額のカネに関連する有象無象が群がるんですよ。
戦時下における「ヒトを出せ!」で1番に来るのは徴兵ですね。こちら、展示予定の徴兵に備えて用意してあった奉公袋と入営時に私物を送り返すヒモ、そして軍隊手帳や遺書のたぐい。遺書や遺髪は出発前に置いていこうと用意。死んでも紙一枚っていうのも多かったですから。命の軽さと見るか覚悟と見るか…
80年前の今日、1942(昭和17)年6月11日読売新聞。言わずと知れたミッドウェー海戦の報道ですが、龍驤などが参加した陽動のアリューシャン作戦をトップに、空母2隻撃沈といえば凄い大騒ぎ紙面だったのに、やや抑えてますね。ところで我が方損害は…空母4沈没が1にΣ(゚д゚;) (続)
本を作る為読んでいた富山連隊史の仏印駐留当時の一文。「軍は各部隊に対し、独立運動の支援を禁じた」。 大東亜戦争の植民地解放がスローガンにすぎなかった事がよく分かる。 蘭領インドなんか、現地の人の協力とスハルト氏の人望で収まっていたけど資源地帯は永久に帝国の領土にするって言ってる。
なかなか開かなかった臨時議会をようやく18日に開くことになったのを受けての社説で、桐生悠々の筆によるとみられます。表題は軍批判に思えますが、実は絶対多数与党の政友会の行為によって、政党そのものが見放されるとの危惧を述べています。次からが著作権切れを受けての引用になります。(続)
82年前、1941(昭和16)年3月17日に長野県長野市の長野警察署長が署員に配布した「特高秘収第802号」。同年3月8日公布の改正治安維持法を旧法と対比して説明したもの。この改正では、結社の支援を目的とする結社を支援した人も懲役に加え、刑期を終えても拘留しておく予防拘禁制度が加わるなど、(続)
餅を入れるのは、代用品では神様に申し訳ないという方も気にせず使えるようにとの心配りだったとか。こちら、以前に書いたブログで、長野県に初登場の雰囲気をお伝えします。しかしこの1年後に太平洋戦争に突入するんですよね( ´・ω・`) sensousouko.naganoblog.jp/e2202817.html
戦時下、軍隊だけは物資豊富だったと思ってましたが、1945(昭和20)年2月には酒保の買い物に切符が必要になってました。うどんなんか2枚だけで、1号、2号と半月に1枚だけ。もちろん有料。 食事も酷くなってきて教練をさせると栄養失調になるからと、昼寝させた上官もいたとか。でも戦争やめられない。
日本の戦争は蔑視感を含んだ大衆の「やっちまえ!」という熱狂を利用して始まり、熱狂を制御できなくなって拡大し、熱狂が冷めても責任逃れのため誰もが引きずり回したんだなあと、散らばっていた資料を見てつくづく実感します。
学校教育についての論議が出ている中、こちらは長野県和国民学校の生活指導研究。皇国民の錬成として、特に皇国民の自覚確立に力を入れています。皇運を扶翼し天皇支配の絶対化と天皇の為に死ねる軍隊育成に役立てたことでしょう。 全ての基礎は教育勅語。今は教育基本法に注目を続けねばなりません。
戦前日本に甲種合格者全員を収容教育する施設はなかったから現役は甲種の一部。そして戦時における臨時召集礼状が赤紙。奈良県で見てみろ。二国の赤紙だ。昭和6年の書類だが、ここでも丙種までの召集は想定されてる。徴兵検査受けた男子は年齢除けば全員赤紙の対象者。断言には責任がいるんだよ。
信濃毎日新聞デジタルの記事です。登録だけで読めますので、是非! 「イケイケ!」から「アレアレ?」へ 「戦争トイウ流行」を読み取る 長野市で9日から戦争資料展|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト shinmai.co.jp/news/article/C…
漫画も炭鉱生活を薔薇色に描きます。裏表紙は貯蓄の広告。戦争で一番儲けを生み出すのは軍需産業よりも金融機関なので、そこが威勢よくなってきたら要注意です。