今日はこどもの日、端午の節句ということで、日中戦争開戦翌年、84年前の今頃の1938(昭和13)年の端午の節句用に作られたとみられる兵隊人形です。万里の長城風の絵をバックに、右大臣あたりがつけていたであろう刀を持って…。五人囃子からの転身でしょう( ´・ω・`) (続)
〈社説〉国防と報道 「非常時」の歴史に学ぶ|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト shinmai.co.jp/news/article/C…
昭和天皇の即位の祝いに便乗した森永キャラメルの広告。こうして天皇のありがたさを刷り込むので、儀式って馬鹿に出来ないのですよ。
投資、投資って政府が推奨するのは、金の流れを作ってどっかに儲けさせるためでしょ。どこにそんな余裕があるやら ( ゚σω゚) 戦時下の投資話のまとめです。戦争で流れる大きなカネの流れをどう掴むか。競走の果てに最後は紙切れになったんですよね。sensousouko.naganoblog.jp/e2227307.html
90年前の今日、1932(昭和7)年5月15日。5・15事件発生。新愛知の号外は、まだバタバタ。翌日朝刊は首相重体とあるけど、亡くなっていました。 犯人たちは動機を褒め称えられてるんですよね。海軍側公判の号外。力を振り回す事こそ良しとして、議論し詰めることを否定する国民性に一番問題があったか。
実は1940(昭和15)年頃、真面目に陸軍省では撤兵論が出ていた。課長クラスでまとめたが、その内容は「戦争をしている理由が不明」( ゚∀ ゚) で、それは上官に退けられてるんだけど、その理由はアジア解放とか何とかじゃなく「兵士が血を流した場所を手放せるか!」。領土野心はなかったんじゃ…
さまざまな方のご助言で、チラシのダウンロードが出来るようになりました! これでフォロワーの皆さんにもお届けできます。ご興味のある方は是非是非(*^ω^*) こちらからダウンロードできますので、ご利用ください。 drive.google.com/file/d/1FVGj1X…
(-ω-;)アレ?満州国は建前では独立してるし、ビルマ、フィリピン、中国も建前では傀儡政権で独立のはず。タイは独立国だし、インドシナはフランスの植民地のままだったんだけど(*´・ω・)(・ω・`*)ナ- twitter.com/martytaka777/s…
国葬が話題なので、79年前、1943(昭和18)年6月5日から6日にかけての各紙をどうぞ。戦時下、戦死の国葬は初めてでしたが、国葬が国家に民衆を集約させるシステムであると、明確に感じ取れます。 塩沢司祭長は長野県の出でした。
関東大震災関連本を読んでますが、その体験、見聞の凄惨さに泣けて泣けて。。 歴史修正主義の方とかは、個人の記録を軽視しますが、関東大震災の特に虐殺の公式記録と実態の大きなズレを見ると、戦時下の出来事とかも、公式文書とそのほかの様々な資料の付き合わせがいかに大切か、実感できます。
78年前の今頃、1944(昭和19)年11月23日、大日本帝国政府次官会議で松根油の緊急増産が決定されました。そしてこちらのポスターも作られたのでしょう。既に実働は女性と子供に頑張って貰わねばという絵柄。でも、敵をやっつける意思で爆撃機の編隊を描いたのでしょうが、空襲下のイメージが…(続)
防衛費倍増とかなると、自主的にこういう事も復活するようになるのかねー。現在の長野県佐久市の方の日清戦争当時の軍事公債応募申込書。戦争はなんと言ってもカネがかかるのです。
102年前の今頃、1921(大正10)年1月6日夕刻、長野県南条村(現-坂城町)の南条小学校から出火。駆けつけた中島仲重校長は御真影室に向かって校舎に飛び込み殉職。享年38歳。天皇皇后の写真のため、命を落としたのです。学校に奉安殿が造られるようになったのは、こうした事件がきっかけでした。(続)
覚えておいてもいいでしょう。巨額の国家予算が動く時に、一番敏感なのは金融機関。防衛目的宝くじとか出てくるかもね。
79年前の1944(昭和19)年1月26日発行の政府広報「写真週報」。児童も参加する厳しい実態を糊塗するような記事が続きます。そして国民には節約で兵器を生み出せるかのような数字のマジックで物不足への不満をそらします。(続)
こちら、1941(昭和16)年1月1日発行の小学館「こくみん三年生」付録の興亜行進双六。興亜と言いつつ、外部への関心は大陸の子と仲よくしましょうとあるだけで、基本は子供への指示です。上がりの中心は日本男児で、中国の子供が手にする旗は汪兆銘の傀儡政権の旗。反共スローガンが象徴的です。
@Sankei_news 普通に日本人徴用工にも給料出てます。徴用という強制性が問題点ですし。出してなかったらもっと問題です。写真は群馬県の中島飛行機で働いた徴用工のものです。
自分が長野県の銃後の記録と庶民の生活を軸に収集、発信しているのも、戦争へ至る道も戦争も、庶民と無関係じゃない当たり前の事を伝えたいため。 展示会で出したビスケット、皇后の思し召しとかで作られたけど、メーカーは軍用乾パンしか作れてなかった。そんな時代を二度と迎えさせたくない。
85年前の1938(昭和13)年元旦を迎え、出征中の中国で皇居遥拝する長野県松本市で編成の歩兵第150連隊。南京攻略を終え、太湖付近に移動し新年を迎えますが帰国の目処は立たず。そしてこの正月に向けた餅つき。説明文から、国土を戦場にされた民衆の苦難を感じます。信濃毎日新聞のグラフより。
死を悼む人がいるのはもちろん問題ないし、国民の選挙で選ばれた代表に対するテロ行為も断じて許されるものではありません。しかし国葬は、国としてその人物を英雄化する行為だとあらためて分かり、やはり国葬は避けるべきではないかとの思いを強くしました。
今回の選挙を歴史的感覚で見て感じるのは、国会の権威低下が急激に来たということ。内閣の権能強化と野党徹底無視が招き、マスコミとSNSが増幅した結果かなと。 この現象を加速させたのが安倍政権であり、擦り寄ったマスコミにある事は間違いないでしょう。
85年前の今日、1937(昭和12)年7月8日の福岡日日新聞号外。盧溝橋事件の発生を伝えます。撃ち込まれたら打ち返せって現場だけで決めた牟田口に国際問題も考慮した一木清直(長野県出身)が驚いたっていう事実も大事。軍が政治をどこまで見下げ増長していたかが明白。今井武夫(長野県出身)の調停も実らず。
「国葬は、むしろ民主主義の精神と相反する制度である。国家が特定の人間の人生を特別視し、批判意見を抑圧しうる制度など、民主主義のもとで成立しようはずがない。」以上はプレジデントの記事より。(続)
展示予定品紹介。戦費なんて湧いてこないので、戦時国債を大量に発行します。それを買わせる手立てとして、例えばこのシンガポール陥落といった勝ち戦で高揚した時など、財布の紐を緩めさせる好機だったのでしょう。こちら、三越が用意した袋です。
今日の選挙も歴史の一コマ。歴史は受け止めるもの。そして歴史から学んで進むのが未来。未来は常に繋がっていき、そのため歴史は蓄積される。 歴史をつくるのは参加し、傍観している国民一人一人にある。 自分はこの日の歴史をつくる作業に参加し、結果を受け止め、そして前進を続ける。