墨東公安委員会(@bokukoui)さんの人気ツイート(古い順)

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しかし語尾が「アル」か「デス」かはまだ些細な問題で、おそらく一番やばいのは、「外国人が日本語を勉強して日本文化を敬愛する」という、大東亜共栄圏そのまんまの世界観じゃないかと思うのです。大塚英志『大東亜共栄圏の「クールジャパン」』は時宜に適った出版でした。 amzn.to/3FQ9CHl
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「大東亜共栄圏」とは、いわば天皇を頂点とした家父長制的世界観で、日本が家父長の位置に立つことが前提視されています。そこでは家父長を長とした長幼の秩序が当然となるわけですから、自立した個人が権力に対する表現の自由を天賦の人権として持つ、という概念とは全く異なった世界なのです。
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自然科学の分野では「ニセ科学」批判で名を挙げた方が、人文社会科学については「トンデモ」に資するような、それこそ歴史修正主義者と区別のつかないような(彼らはこうやって慰安婦のサバイバーを侮辱した)発言をされるのにはがっくりさせられます。 twitter.com/kikumaco/statu…
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文字で書かれた史料には限界があり、だから話を聞いて記録するオーラルヒストリーが近年の近代史では重視されるようになりました。しかしそれは、語り手の話を盲信するわけではもちろんなく、他の語り手や残存した史料と突き合わせ、歴史叙述でどう活用するのかを考えます。ちゃんと作法があるのです。
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文字の史料がそうであるように、オーラスヒストリーにも信用できるところとそうでないところがあります。だからといってオーラスヒストリーすべてが無用の信頼できないもの、ということにはなりません。キクマコ先生はあまりにも硬直的な考えをしておられるように思います。
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そしていつかは亡くなる「語り部」の「語り」をどう後世に伝えていくのかは重要な課題です。それについてもいろいろな試みがなされていますし、それはキクマコ先生が思うような能天気なものではありません。例えばこんな本があります。 amzn.to/3sIGFHS
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そしてその語りをもとに歴史をどう編んでいくかは、歴史学でもすでに蓄積があります。日本近代史の私からすると、オーラスヒストリーといえば御厨貴先生ですが、その御厨先生の近刊にはこんな本があります(残念ながら未見)。amzn.to/3FVeKK1
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もっといえば、「語り部」が話しているうちに何を誇張し、何を省くようになっていったのかということから、経験した人が何を感じたのかという「心性史」という別な視点からの歴史も描くことができます。起こったことと経験とされたことの齟齬から見えるものがあるのです。
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また「語り部」に対し、「聞き手」の存在も同じことが考えられます。経験者の語りのうち、非経験者は何を受け入れ、何の受け入れを拒んだのか。その対話から、起こった出来事が歴史として受け止められていく、そういう人間の営み全体が研究の対象となるのです。
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おそらく、「語り部の話がこないだと変わってるぞ!」という突っ込みで得々としている人は、歴史とはリジッドな「真実」を掘り出すものだと思っているのでしょう。それは歴史の営みの一部を歪めたに過ぎません。歴史を見る私は何者で、その歴史をどう見ているのかという問いを失念しています。
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歴史は過去の事実を核としていますが、その核を取り巻く、その事実がどのように受け止められ、どのように語り継がれ、どのように影響を与えて来たのかということも大事なのです。歴史を「事実という種と解釈という果実」に分けた歴史家を、E・H・カーは「果物は果実がありがたいのに」と皮肉りました。
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だから、「語り部なんてあてにならない」と切り捨てて得々としている人は、この世界から自分の解釈の手に余る部分を切り捨てることで、まるで自分がこの世界をすべて把握しているような妄想に浸っているのではないか、そんな風に私は思ったりもするのです。
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もし「語り部の話を聞いただけで歴史を知った気になるな」という警告なら、あるいは「十分な事前学習もなく生徒たちに語り部の話を聞かせても逆効果だ」という教育論なら、私も頷くとことはあります。でもそれは、「語り部」が無用ということは意味しないのです。そこを念押ししておきます。
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人間ピラミッドの使い方。旅順要塞の壕を突破する際に使えます。 twitter.com/miettal/status…
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アメリカ大統領の訪日に、やれ防衛力強化だなんだと「非常時」に浮かれた言説をNHKが流していてうんざりしますが、「アメリカの押し付け憲法」の改正を叫ぶ人々の多くが、アメリカ軍と一緒に戦いたくてしょうがなさそうなのは、どういう辻褄を合わせるのかとますますうんざりします。
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国鉄の分割民営化で「活躍」し、JR東海の社長・会長を務め、名誉会長の座にあった葛西敬之氏が死去とのニュース。ついつい北杜夫の名言「死んで惜しいと思う人間はいくらもないが、死んだら祝砲をブッ放したいと思う人間はマサゴの数ほど目に入る」を思い出します。
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真面目な話、JR東海がいわば脂身の美味しいところだけかっさらっていって、三島会社が置いてきぼりになった「改革」の問題点が今や露呈しているので、再度の「改革」が必要になるべき時が来たのだと思わずにはいられません。
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葛西敬之がJR東海の社長になるのは分かるし、会長になるのもいい。名誉会長になるのもまあ分かる。しかし「代表取締役名誉会長」ってのは何なのよ、と思わざるを得ませんでした。大企業、とりわけインフラを担う企業とあれば、公共的な存在であって、私物化は許されるべきではありません。
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私のさる畏友(当然鉄道マニア)が、グランドひかりなどを粗略に扱った葛西JRへの抗議として、東京~大阪間移動はいつも飛行機を貫かれていました。実際、葛西体制下の新幹線は、多様な旅客需要を幅広くカバーするより、ビジネスマン的都合に徹底した画一化を図った印象があります。
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私が思うに、インフラというものは、それが普及し高度化することによって、人間の生き方の可能性をより広げてくれるから素晴らしいもののはずなのに、どうも葛西以降の東海道新幹線は、画一的なサラリーマン的人間しか認めていないような気がするのです。彼が関わった学校にしてもまあ。
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田野先生のご指摘は全くその通りで、「様々な見方すべてに、等しく価値があるわけじゃない。妥当性の高いものと低いものが存在しています」という指摘は、価値相対主義をはき違えたポストモダンの鬼っ子どもに、常に言い続けなければなりません。 asahi.com/articles/ASQ5S…
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歴史学では、というか科学的手法を検証の手段とする学問全般では、安易に「絶対に正しい」とはいえません。通説とは「もっとも正しそうととりあえず合意されていること」です。しかしそれは、「絶対に正しいんじゃないなら俺の説もワンチャンあるかも」を意味しません。論外にダメなのはすぐバレます。
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検証を繰り返して議論を積み重ねる中で、「これはダメだ」と多くの論が切り捨てられ、ぎりぎりまで絞られた中で「どっちが正しいか分からない」ということはよくあります。しかし世の逆張り説のほぼすべては、とっくに切り捨てられた説の焼き直しに過ぎないといっていいでしょう。
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ただ、田野先生のお話は一般向けに分かりやすくしてあるため致し方ないとはいえ、「絶対悪とは何事だ!」とポモの鬼っ子どもがネット上で騒いでいるようです。かかる連中の掲げる「良いこと」について、誰にとってどういう意味やタイムスパンで「良いこと」だったのか、検証すればメッキは剝げます。
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私はナチスの経済政策は全く専門外ですが、日本経済史の本にこんな興味深いグラフが載っています。ナチス政権下では確かに、世界恐慌で落ち込んだ生活水準が回復し、戦争が始まって低下しても、44年まで恐慌よりマシな水準を維持しています。これは「良いこと」といえるのでしょうか?