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世界の色が灰色になってしまう事もあると思う。その時は負担になっている外的要因または「こうあるべきだ」と取り憑かれていた自分の思考パターンから逃げる事が大切。充分に休んで散歩をする。季節の風の香りや陽が降る緑の景色を心に取り込む。そうしているうちに淡く綺麗な色が風景の中に戻ってくる
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心に何か抱えた人が作る作品には星が入っていて、その星は誰かの心に直接届くことになっている。
例え売れたり人気になったとしても星の入っていない作品は忘れられていく。星の入っている作品は、たとえ人気にならなくとも、届いた一人の心に深く刻まれて、時代を経て光を灯し続ける。
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どんなに凄い技術があっても、その後ろに心があって、それを表現した人間の想いや精神の揺れが伝わってこないと、つまらない作品になってしまうという所はあると思う。
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逆に言うと大切なのは「自分にとって美とは何か、心を揺さぶられる思いは何か」を認識して表現の核として持っているという事であり、それがしっかりしていれば表面上の表現方法が変わっても、創作の芯がぶれずに伝わってくるのだと思います。
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昔から集団が嫌いでどんな所にも所属しているという感覚が無かった。常にここは僕がいるべき所ではないという疎外感があった。時を経て、人が形成する集団に心から帰属できる場所などないと言う事に気付いた。しかし、何かに帰依する感覚が美しい自然の中にいる時と絵や音楽を作っている時にある。
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心が成長するにつれ、物事を理解するにつれて、好きなもの、心奪われるものが変わっていくのは当然であり、その年齢、時期だからこそ感じられる感動というものが音楽や映画、絵画にはあると思う。なので好きになれる時に思いっきり好きになっておいた方がいい。
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絵画の大きな魅力の一つは、「何かわからないけどこの絵には何かあるぞ、何だろう」という感覚だと思いますが、それは作者と観覧者が持っている精神世界の近い部分の呼応と、自分の精神世界を作者が凌駕している部分への反応なんだと思います。
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誰にも言えない思いがあるなら、ここではない違う世界への憧れがあるなら、日々溜め込まれていくやるせなさがあるなら、暮色に暮れる空の美しさに感動する心があるなら、創作を始めるといい。
創作という無限空間は日常のすぐ傍にあって全てを受け入れてくれる。
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全ての人は心の中に、言葉にならず音にもならず色にもならない、意識の奥に眠る曖昧な原型を抱えている。それをある人は詩にして、またある人は絵や音楽にしたりするのだけれど、創作をしない沢山の人の心の中にも、素晴らしい音や色や言葉になり得る原型があるのだろうと思う。
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理不尽な上役や経営者に多いかもしれないこの手の輩。間違いが出来ない息詰まる空気を作り上げ、その人が思う事を察して行動していくように仕向け、次第に人格を奪ってコントロールしようとしてくる。このワードを感じたら最大限に警戒し取り込まれる前に逃げるのがいい。
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絵を描く人にとっては、ずっと前に描いた作品と全く同じものを、もう一度描くという事は難しいという事が分かるはず。それは、時間とともに技術力が変わり、心境も変わっていくから。人間の精神は時とともに変容するもので、絵はその人のその瞬間の心を封じ込めている。
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絵画教室で園児と接していると、人間にとって絵を描くという事はとても自然な行為で、食べる、遊ぶ、と同じように遺伝子に組み込まれているのではないかと思う時がある。絵画は人間にとって基本的で本質的な表現衝動ではないだろうか。
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芸術において優劣を付ける事に納得がいかないという思いと、競争が嫌い、組織が好きではないという思いから、今まで一度も絵画公募展に出品した事がない。
積極的に出品していればより多くの人に届いていたかもと考える事はあるが、肩書で人や作品を判断する世界と関わりたくないので良いのだ。
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友人と会って、じゃあね、また今度ね、などと言いつつ別れて、それから何年も何十年も経ち「あれが最後に会った時だったな」と思い返す事って結構良くあると思う。
友人でも恋人でも家族でも、いつも当たり前に居るという事は当たり前では無くて、「これが最後」と常に隣り合わせなのだと思う。
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友人と会って、じゃあね、また今度ね、などと言いつつ別れて、それから何年も何十年も経ち「あれが最後に会った時だったな」と思い返す事がある。
友人でも恋人でも家族でも、いつも当たり前に居るという事は当たり前では無くて、「これが最後」と常に隣り合わせなのだと思う。
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音楽や絵画、文学おける深く繊細な機微に心から感動するような、豊かな感性を持った人は、社会の中の乱雑な感情のやり取りに辟易とする事が多いと思います。
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人は生きているだけで傷ついていて、息をするごとに心が削られている。芸術はその傷のために存在していると言うところがある。
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考えなくても実社会で生きる為には全く問題がない哲学的なこと、もしかしたら考えない方が生きやすいのではないかと思うような事をどうしても考えてしまうという人はいると思うのだけれど、そういう人達にとって、そこは誰にも侵されない本当の自由がある大切な場所でもあるのだと思う。
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音楽や映画や絵画、その中にある美しさ。抜き差しならない現実を、ひと時でも忘れられる何かというのは時にとても重要だったりする。時にそれは命をも救うものになり得る。
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絵を描く人にとっては、ずっと前に描いた作品と全く同じものを、もう一度描くという事は難しいという事が分かるはず。それは、時間とともに技術力が変わり、心境も変わっていくから。
人間の精神は時とともに変容するもので、絵はその人のその瞬間の精神を封じ込めている。
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昔NHKのプロフェッショナルという番組で「あなたにとってプロフェッショナルとは?」というキメの質問に宮崎駿が「プロフェッショナルじゃない方が良いんですよ。職業人ではなく素人の気持ちで、自分が好きでやっているという事の方が大切」のような事を言っていたのは痛快だったし共感した。
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気にしなくて良いような事を気にしたり、考えなくてもいいような事を考えたりして、周囲との間に温度差が出来てしまうような人は、創作活動に向いている人と言えると思います。
その感受性で繊細な精神の機微や、周りが気付かない美を捕まえる事ができるという事だから。
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芸術作品を購入するという行為は、ただ欲しいからという側面だけではない。自分にとって価値があると思うものと、それを作り出す人をーその精神をー世の中に存在させる手伝いをしているという側面がある。世界を深みのあるものに変える手伝いをしている。