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一度、精神的に危険なところまで追い詰められた事のある人にとっては、求めるものは心の平静であり、それ以外の事は大して重要ではないという心境になるものだ。
その時点から物事の価値が根本から変わり、世界の色が変わる。
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色の変わった世界ではどれがまやかしで、どれが本質であるかが分かるようになるし、自分にとって何が必要か、何が不必要かが分かるようになる。悲しみは絶えず存在するけれど、淡い色の景色の中の繊細な輝きが見えるようになる。
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絵画教室で園児と接していると、人間にとって絵を描くという事はとても自然な行為で、食べる、遊ぶ、と同じように遺伝子に組み込まれているのではないかと思う時がある。絵画は人間にとって基本的で本質的な表現衝動ではないだろうか。
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気にしなくて良いような事を気にしたり、考えなくてもいいような事を考えたりして、周囲との間に温度差が出来てしまうような人は、創作活動に向いている人と言えると思います。
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昔、好きで繰り返し聞いていた音楽を今聴いても懐かしさ以外には、良さが分からないと言う事も多々あるわけで、何かを強烈に好きになる、という現象はある年齢の自分と、その精神状態にちょうどシンクロする創作物との交点の奇跡的な一致であり。その感動は宝物と思う。
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たとえ作っているものが仕事に結びつかなくとも、それを作っている時の何事にも代え難い、掛け替えの無い時間こそが生きていると言う事であり、それによって自分が生かされていると言う事。「売れなければ無駄」などと言う人の意見を聞く価値はない。
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@otapediatrician こちらの方が理があるように思えます。 twitter.com/sunasaji/statu…
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目標を達成しないと有意義ではない意味はない、という考えは危険。
生きるという事は1日を、1秒1秒を「過ごす」という事であり、その一日の間にどんな小さい事でも、嬉しいと思えたり、良かったと思えたり、美しいと思える瞬間があればそれこそが生を全うしているという事と思う。
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日本は他のアジア諸国のように初めからCovid防疫のための検査を拡充するべきでした。影響力のある医師/専門家から一斉に出た日本独自のPCR抑制論は間違いであったと思っています。手遅れ感はありますが、政府は本腰をいれて国家プロジェクトとして検査/隔離を整え封じ込めに舵を切るべきです。
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こちらPCR検査によるCovid防疫に関して丁寧にまとめられているSuna氏@sunasajiのnoteですが、7月に論じていた事がその通りになっています。
note.com/sunasaji/n/n2c…
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子供の時間は、将来良い仕事や収入を得るための準備期間としてあるのではなく、あるだけの楽しい気持ちと、自然や世界の魅力を心身に取り込むためにあるもの。
その記憶は大人になってから心の芯になり生きていく上での支えになる。
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@mph_for_doctors 韓国は12月日本と同じような新規感染者の増加がありましたが、そこから「やみくも」にも思える大量PCR検査を行い感染者数を減らしている傍ら、抑制論のため無症状者への公的検査が絞られている日本の状況はご存知の通りです。感染制御に成功している諸外国を見習うべきでは?
twitter.com/bb45_colorado/…
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過干渉な親が先回りして物事を進めたり、子の発話を遮って意見を被せ過ぎると、話すことに対するハードルが上がっていき、自分の意見を言う事を躊躇うようになる。言わなかった思考は反芻され頭の中で煮詰まるので哲学的、文学的思考を持つ人はこう言う背景を持つ事が多いのではないかと言う仮説。
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考えなくても実社会で生きる為には全く問題がない哲学的なこと、もしかしたら考えない方が生きやすいのではないかと思うような事をどうしても考えてしまうという人はいると思うのだけれど、そういう人達にとって、そこは誰にも侵されない本当の自由がある大切な場所でもあるのだと思う。
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生まれ育った環境は選べないけれどそれだけにより自分が作られているのではなく、後天的に自分が好ましく思う哲学に依って自分の核が作られているという側面はあると思う。例えばこの映画によって人生が変わった、この作家に出会って世界が変わったと言うことは往々にしてある。
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絵にしても音楽にしても、その人が普段から考え感じている「何を好ましく思うか、何を美しく感じるか」という思いは、作品にそのまま現れるもので、たとえそれを隠して作っても音や画面の端に必ず現れてしまう。
作品は嘘をつけない。
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逆に言うと大切なのは「自分にとって美とは何か、心を揺さぶられる思いは何か」を認識して表現の核として持っているという事であり、それがしっかりしていれば表面上の表現方法が変わっても、創作の芯がぶれずに伝わってくるのだと思います。
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身の回りだけでも、子供の頃ピアノの先生が怖くてピアノが嫌いになったという人が結構いて驚く。子供のピアノの教師は、楽器演奏は楽しいという体験ー記憶を子供に与える事に苦心するべきであり、練習しないと厳しく叱ったりしてピアノを嫌いにするのは本末転倒の横暴であると思う。
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子供の頃の楽器体験が楽しかったという記憶が残っていれば、大人になって再び楽器を手にしてみようと思う人も増えるだろう。音楽を演奏するという事は何にも代えがたい喜びだし、特に音楽家にならずとも楽器がどれだけ日々を、人生を豊かにするかわからない。
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本当に疲れたり傷ついている人には一般的に言われるような癒しは気がまぎれる事はあるかもしれないけれど癒えることはないのではないかと思う。芸術には深い傷にも寄り添えるだけの底の無いの包容力があり、何かの支えになり得るのだと思っています。
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日本の教育は、何か厳しいタスクを与えて、それを文句を言わずにやる真面目で従順な人が評価され生産されるという機構であり「学問=つまらないが乗り越えねばならない厳しいタスク」というイメージが定着している。「学問=世界の仕組みが解る楽しさ」という側面が軽視され過ぎていると思います。
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元来日本人は「苦行を乗り越えてこそ一人前」「痛みを経なければ達成できない」という精神論に囚われすぎている傾向があり、本来は楽しい事も苦行に仕立てて乗り越えさせるという所がある。それは学問のみならず音楽やスポーツ等にも言えるのではないかと思う。
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その学問や芸に興味を持つ可能性があるのに、苦行に仕立ててその物事を嫌いにさせるのは、それに心奪われ、続けていくという未来を奪われるという事だ。一見つまらなく見えても、隠されている魅力をいかに伝えられ学生、生徒の興味をいかに引き出すかに腐心する事が本来の教育の役割だと思う。