兵法つぶやきアカウント(@douten2)さんの人気ツイート(リツイート順)

話し合いさえしていれば戦争は回避できると思いがちですが、現実は逆の場合が多く、相手を脅す行為をすれば、相手に戦う気を減少させ、逆に相手を思いやる行為をすれば、相手に舐められて結果的に戦争を近づける場合が多々あります。
嫌がらせや難癖、絡んでくる者には、謝罪や弁明はかえって相手を勢いづけます。これを止めさせるには、反撃あるのみで、これ以上続けると相手が被害を被ると思わせるのが効果的となります。
動物は人に比べ野蛮と思われがちですが、同族同士で命のやり取りをすることはほとんど無く、たいてい危険な場合はすぐ逃げてしまいます。ところがアリや蜂などの巣や蜜、いわゆる「資産」を持つ生物は、人間と同じく同族同士で戦争をします。資産と格差は生物の闘争と、とても関係があるといえます。
軍隊では死傷者が出ると、その面倒を見るための兵員が必要となります。現代では全員死亡ではなく、部隊の約3割が死傷すると、部隊としては前線で戦闘できる兵員がいなくなるので全滅扱いとなります。
戦史では「こうすれば勝てた」とか、現代の人々は口を揃えて言いますが、当時の人々も大抵はその事を分かっており、それでも条件が揃わず、そうする事が出来ずに負けてきました。戦史を読むときは「なぜ出来なかったのか?」「出来ない時に自分ならどうするか?」という視点が重要となります。
19世紀のクリミア戦争でロシア軍は、戦場にたどり着くまでに30万人以上の死者を出したという話を聞いて、「なんで戦地に行くだけでそんな犠牲者出るんだ?」と不思議がったものですが、防寒具すら支給しない今のロシア軍を見てたら、妙に納得できるものがありますね。
戦いには守るべき原則があります。この原則を最初にまとめたのは、第一次大戦時の英国のフラー少将でした。 「戦いの原則」は9つあり、戦争だけでなく、人間社会のさまざまな局面に通用します。
学者肌や研究者出身の人にありがちですが「全部の情報が揃わなければ戦う事は出来ない」と考える人がよくいます。しかし戦争の情報の4分の3は不明であると言われるように、全部の状況が明らかになるまで待っていれば時期を失うので、戦いは条件が揃わないままで判断し、決心する必要があります。
兵法というのは要するに人を騙して罠にハメる術なので、これが得意な者ほど他人からは嫌われ警戒されます。義経は裏切られ、韓信は処刑、ハンニバルは敗死、ナポレオンは流刑と、戦の強い者は最後には悲惨な運命をたどる事が多いので、強い者はその爪を隠す事も重要となります。
新元号「令和」まことにおめでたいです。古代より、正確な暦が作れる事は、その国の数学や学問、技術、国力を示すものであり、暦を作れない国は、正確な暦を作れる国から見下されていました。今では誰もが正確な暦を知ってますが、昔からずっと自分たちの暦を使ってる事は大事にすべきだと思います。
人がミスを犯す原因はただ一つ、「思い込み」です。わからないけどまあいけるだろうとか、今まで大丈夫だからこれからも大丈夫だろうとか、同盟があるから裏切ることはないだろうとか、~だろうという思い込みから人は誤り、失敗していきます。
平和を愛する人が好戦的になる場合が良くあります。なぜなら、争いとは2つ以上の主張がぶつかり合う事であり、これを平和にするには主張を1つに統一すればよい。そのためには、相手の主張を潰す必要があるからです。従って平和に熱心になれば、他の主張を認めようとしない傾向になる危険性があります
戦いでもゲームでも初級者と上級者の違いとして、上級者は防御が上手く余計なダメージをもらわない事が挙げられます。そして防御のみでは勝利する事は出来ず、どこかで攻撃をしなくてはなりませんが、ここでも上級者は相手を誘って隙を作りだすのに対し、初級者は無駄に攻撃し逆に隙を見せてしまいます
剣より槍、槍より弓、弓より銃、というのが一般的な武器の強さですが、ファンタジーやマンガの世界では、一番弱いはずの剣を使うものが、一番強く描かれがちです。人は「弱い武器で強い敵を倒す」、「劣勢で大軍を負かす」事に快感を感じますが、現実では強い方法を使える時は、迷わず使いましょう。
「弱者は常に不決断である」と言われます。戦いとは自分の意思を相手に従わせる事であり、意思がそもそも無い者は戦う以前に敗北しているのと同じになります。日常生活でも安易に譲らず、自分の地位における立場を明確にし、ふさわしい権限を主張しないと、長期的に見てますます不利となります。
戦術の本質は「敵を知り、己を知る」ことに尽きます。これは相手の戦法や兵力を知ることだけではなく、歴史、文化、民族の特性など、幅広く知ることが必要となるので、相手を頭ごなしに否定したり、相手の事情を理解しない人は、戦術的に言えば弱者であるといえます。
チームで戦っている時に皆が勝手に動き、褒美目当てに敵の大将に群がると、そこにばかり火力が集中し、他の敵への攻撃がおろそかになってしまいます。チーム戦で狙いやすい敵ばかり攻撃するのは、結果的に無駄な攻撃が増える可能性があります。
戦いを考えるとき、最低限考えておかなくてはならない5つの要素を、それぞれの頭文字で”METTT”と呼びます。戦えるかどうかを考えるには、これらのことをまず考えてみるのがよいでしょう。
平時の指揮官はエリートがよいですが、戦時の指揮官は叩き上げが良いとされます。特に失敗や敗北を知っている者が良く、彼らは敗北を知っているため、戦いの勝敗分岐点が見え、敗北の坂を転がり始める前にこれを見切って退却の決断を出すことができます。名指揮官は見限るのが上手といえます。
戦いでは戦略が大事ですが、日本人はこれを考えるのが苦手です。なぜなら、戦略はトップ層が考えるものですが、和を大事にする日本人は、すべての意見を検討してしまうため、結果まとまらず、決められない事態に陥りがちとなります。戦略は妥協と切り捨てができなくてはなりません。
モンゴル帝国は、かつて凄まじい勢いで侵略を進めましたが、その理由の一つとして商人を使って、「モンゴル軍は容赦ないけど、素直に服従したら優しい」というウワサを広めて、抵抗する国々を減らしていきました。強大な戦力というものは行使するより、威嚇に使うのが安上がりで効果的となります。
日本で緊急事態に陥った時、政府の対応が遅かったり、備えが不十分だったりするのは、政府の権限が弱く、強い政権を皆が嫌うからです。緊急時の備えというのは平時には無駄な事が多いので「そんな備えや方針は無駄なので、考える必要は無い」という声が強いと、どうしても十分な備えができなくなります
戦いでは「自分はこうしたい」ではなく「相手がどうしたいのか?」を徹底的に検討する必要があります。 愚将と呼ばれる人は、大抵自分がやりたい事にこだわり、結果的に敗北します。
嫌がらせや攻撃をしてくる相手は、説得、反論、遺憾、話し合いでは効果はありません。これを止めさせるには、「嫌がらせをしてきたら痛い目にあうぞ」という事を分からせないと、いつまでたっても攻撃は止みません。
退却というとイコール”敗北”と考えがちですが、戦いにおいては退却とは、決戦を中止、あるいは回避して、敵との間合いを拡大する行動をいいます。戦いとはただ一度で勝敗が決まるものではなく、見込みがない戦いはさっさと切り上げるのが基本であり、見栄や虚栄心にこだわるものは敗北します。