他人に攻撃的で意見を排除しようとする人は、自分に信念が無い場合が多いです。 自分に信念が無いので、自分の思想が正しいかどうかの根拠が示せず、自分の思想が正しい事を証明するためには、周囲を自分の思想のみがある状態にすれば良いので、他人の思想を排除するために攻撃的になっていきます。
人は正攻法よりも、奇策で勝つことを好みます。これは小さな真実よりも、大きなウソを信じてしまう事と同じで、地味よりも派手な勝ち方で、周囲にアピールしたい心理が作用しています。戦いにおいてこのような、自慢したい心は命取りとなります。
戦場では恐怖が支配しますが、恐怖の大半は「知らない事」により起こります。これを対策するには「観察」しかなく、日常でも常に観察し、相手が怖いならその相手の情報をなるべく集め観察するのが、恐れへの対策となります。
同種族同士で殺し合いをする動物は人間のみと思われがちですが、アリやハチもこれを行います。彼らと人間の共通点は、貯蔵しているハチミツや餌、つまり”資産”を持っているかどうかであり、あらゆる戦いや抗争は、資産の奪い合いが根本原因となります。
戦いで最もやってはいけない事は「同じ戦法を繰り返す」事です。同じ戦法ばかりだと、相手に必ず対策されてしまうので、相手の対策を見越して変化をしなくてはなりません。しかし実際は皆、変化する気力が無くなる、保守的な上官、時間が無い等の様々な要因により、同じ戦法を繰り返してしまいます。
戦いは時の運も絡むので負ける時もあります。ただし負け方が大事で、負けそうな時は生存を第一に考えなくてはなりません。負けて自分が滅びるのが一番ダメで、負けた自分にキレたり、自暴自棄になって突っ込んだり、プライドが邪魔をして逃げなかったりして滅びるパターンが非常に多くなります。
戦いに絶対勝つ方法は存在しませんが、絶対負ける方法は存在します。 それは”同じ戦法を繰り返す”事です。大抵の場合、戦いの相手は愚かではないので、同じやり方を繰り返していると、どこかの時点で対応してきます。
古来より暗殺を人に依頼する時、まず依頼者が考えるのが、ターゲットと暗殺者も同時に始末する事です。依頼を終えた暗殺者を片付ければ、ターゲットはいなくなり、暗殺者に裏切られる危険も無くなり、秘密もバレる心配がなくなり一石三鳥だからです。従って実行者を生かす理由はどこにも無いわけです
外交で物を言う時に必要なのは軍事力であり、それが無い国は情報力が物をいいます。これは例えるなら、いじめでちょっかい出された時の対処として、相手より強い武力を持つか、学業で成績1番を取る事と似ており、それも持たない者は転校したり、遺憾であるといってじっと耐えるしかありません。
ウクライナの例を見てわかる通り、侵略軍が真っ先に行う事は政治指導者の排除です。 従って防衛の議論は、その国の政治指導者が一番熱心に行うのが普通であり、その議論をしないのは、スパイかたわけのどちらかとなります。
戦いでは、頭脳が良い事は同時に欠点でもあります。頭が良い人はいろいろな先まで読めますが、追い詰められた状況下では、有利な点よりも、悪条件ばかりが思い浮かび、悲観的になり諦めてしまいがちです。頭の良い人ほど、不利に陥ると諦めも早い傾向にあります。
戦いでもゲームでも、上手い人はタイミングをずらした攻撃を良く用います。これは相手にこちらの攻撃タイミングを読まれない用途と、こちらが攻撃すると見せかけて相手の反撃を誘う、二つの意図があります。これに対し初心者は、とにかく近づいて、間合いに入ると即攻撃したがります。
早くこれになりたい。
情報戦においては「誠実、寛大」は厳禁となります。事実は道具に過ぎず、自分に都合の良い時は利用し、都合が悪い時は捻じ曲げ、隠蔽し、嘘をつく。戦いの本質は「騙し」であり、偽情報を如何に多くバラ撒くかが、勝利のカギとなります。
日本人の戦いの価値観として、とにかく”波風”や”いざこざ”を回避しようとし、そのためには自分が正しくても引いてしまう傾向にあります。ところが、いったん相手が波風をたてる存在だと判断すると、徹底的にその相手を攻撃し、たとえ相手の主張が合理的だとしても、「いざこざを起こすな」と批判します
中立という言葉は何となく人を引き付ける言葉ですが、本来は力がある者がやれることであり、力がない者が中立をしても、よその国から「あいつは戦わないやつだ」と白い目で見られ、恨みと攻撃の対象となってしまいます。
@rootport 二人で一緒にピアノを弾く姿が見たかった・・・。
リーダーの条件はいろいろとありますが、単純に表すなら”与える”事です。部下に与えられるリーダーが良きリーダーであり、これが出来ないと下の者がリーダーと認めず、自然の作用によりリーダーの座を下ろされます。 与えるものは主に4つで、希望、仕事、報酬、そして恐怖です。
世界は平等であるべきとか、こうであるべきという考えを”観念論”といいます。戦いは現実の状況に即して行動すべきであり、「あいつは悪いから倒されるべき」とか「たとえ○○の状況だろうとも、○○はこうであるべき」という思考は、負け戦に多く見られる考えとなります。
ネットやSNSなどで、他人の意見に即座に反応してバトルを仕掛ける人達がいますが、必要のないバトル、メリットの無い戦いはなるべく避けるのが吉となります。人間は勝ち続ける事はできず、一生涯に勝利できる回数は制限があるので、どうでもいい戦いに勝つのは、敗北よりもたちが悪いと言えます。
人の脳には限界があり、戦いにおいて様々な局面に頭を使って対応するのは土台無理な話です。従ってある程度想定できる事態には、思考を使わず反応によって、素早く対応する必要があり、その反応を向上させるために訓練があります。戦下手は何でもかんでも考えてしまい、結果、対処が遅くなります。
情報戦は相手の情報を集めるのも重要ですが、もっと大事なのは相手にワザと情報を与える事です。よほど愚かでない限り、相手は情報を徹底的に隠すものであり、情報が得にくく相手の行動が読みにくい場合は、取るよりむしろこちらからニセ情報を与えて、相手が行動するように仕向けるのが得策となります
人は、話し合いや議論だけでは決して自分の意見を変えず、自分の意見を変えないと損得がある、あるいは罰が与えられる場合に、初めて自分の意見を変えます。話し合いで意見が通じるのは、自分に損得が特にない、どうでもよい事柄の場合だけとなります。
実戦では頭の良い人ほど決断を遅らせ、逆に何も考えてない者が素早く決断するという事が良くあります。 決断とは少なからずリスクが生じるので、頭が良く合理主義の人ほど、リスクを嫌って現状維持策を選ぶ傾向にあり、結果的に決断が遅れる場合があります。
頭の良い人、机上の戦術が上手い人が、いざ戦いとなるとうまく行かない事があります。 戦いというのは部下の兵士に「命を捨てろ」と命令する事なので、兵士が従いたくなるような人間でないと作戦がうまくいきません。逆に作戦が多少まずくとも、兵士の団結がものすごい部隊は最終的に勝利したりします