戦いでも喧嘩でも、何のためにやるのかを決めるのも重要ですが、相手はどうすれば戦いを止めるのか、すなわち戦いの止め時、収めどころをきっちりと把握するのも重要となります。これを見誤るといつまでも戦いを止められなかったり、相手が譲歩するつもりでもそれが分からず、無用に攻撃してしまいます
人は常識よりも陰謀、地味より派手さ、正攻法よりも奇策、ストレートよりも魔球を好みます。 周囲に対し自分が優れている、自分は周りと違う、自分はいろいろ知っているとアピールしたい心理があるので、これにとらわれると判断を誤ります。 地味で確実な勝利が最も最善となります。
兵糧攻めをされたら、対策は2つです。 1.食糧のあるうちに包囲を突破する。 2.味方の援軍が来る可能性にかけて、我慢をする。 最も最悪なのは、我慢して飢えて弱ってから、進退きわまって無理やり撃って出る事ですが、希望的観測や見通しの甘さ等の理由により、歴史上この選択をした城主は大勢います
欧米では交渉力、説得力が無いと社会で生きていけず、その技巧が発達していますが、日本は格式と主従関係が厳しく、全て上意下達の一方通行で済ませています。相手が上位にいると物怖じして何も主張できないのは、日本人の弱点であり、交渉も戦いの一種なので、これを磨く事は重要であるといえます。
平時の指揮官はエリートがよいですが、戦時の指揮官は叩き上げが良いとされます。特に失敗や敗北を知っている者が良く、彼らは敗北を知っているため、戦いの勝敗分岐点が見え、敗北の坂を転がり始める前にこれを見切って退却の決断を出すことができます。名指揮官は見限るのが上手といえます。
戦いでは、これやると負けるという行動が2つあります。それは 1.同じ行動を繰り返す事。 2.火力の出し惜しみをする事。 となり、この二つは特に注意しなくてはなりません。
嫌がらせや攻撃をしてくる相手は、説得、反論、遺憾、話し合いでは効果はありません。これを止めさせるには、「嫌がらせをしてきたら痛い目にあうぞ」という事を分からせないと、いつまでたっても攻撃は止みません。
戦いでプロが素人に敗北する理由として、それまでの”成功体験に固執する”という理由があります。例えていうなら、「企業のお偉いさんに昭和の成功体験がずっと残ってて、これを変えようとしないばかりか、そもそも今の時代のセンスに興味が無い」みたいな事が、軍でも良く起こりえます。
よく創作物で「これは演習ではない」という放送が流れますが、実際の自衛隊では演習の場合は「教練〇〇戦闘用意」、実戦の場合はただ単に「〇〇戦闘用意」と簡潔に決められています。なるべく余計な言葉は入れないのが、聞き間違いを少なくするコツです。
傭兵に関しての特徴。何やら昨今の派遣にも通じる要素があります。臨時雇いばかりしていると、いざという時はあまりよろしくありませんというお話。
嫌がらせを受けたら、それに対して弁明したり、議論や話し合いで対処しようとしても、かえってこちらが不利になります。これを止めさせる方法はただ一つ、”反撃”あるのみで、自分を攻撃するとひどい目にあうと思い知らせる事によってのみ嫌がらせは止まり、話し合いでは決して決着はしません。
良い性格、優しい性格というのは戦いにおいては、逆にデメリットとなる場合があります。例えば、清廉潔白な者は、侮辱されると誘いに乗りますし、民衆を愛する者は、民衆をひっかき回され人質にされると、身動きが取れなくなります。戦いにおいて優しさは、時には偏執と化してしまう場合があります。
戦いでは「自分はこうしたい」ではなく「相手がどうしたいのか?」を徹底的に検討する必要があります。愚将と呼ばれる人は、大抵自分がやりたい事にこだわり、結果的に敗北します。
独裁国家では、優秀な跡継ぎや優秀な部下がいると独裁者の地位が脅かされる危険性が有るため、大抵は無能なイエスマンで周りを固めます。 しかしそれをやると当然、独裁者一人でほとんどの仕事や決断をしなくてはならず、若いうちはともかく年をとると、過労とストレスで判断を誤る事が多くなります
犯罪者が獲物を狙うとき、やりやすい獲物に以下の要件があります。 ・隙がある(防衛の意識欠如) ・孤立している ・誰にも愛想がよい ・好みのモノ、カネを持っている ・無防備、弱々しい これらは個人の要素だけでなく、そっくりそのまま侵略されやすい国の要素としても当てはまります。
戦争は人間同士の「精神の削り合い」であり、どんな強敵でも恐怖におびえたりやる気がなくなれば、簡単に敗走してしまいます。そしてその精神を削る手段の一つが、「相手に罪悪感を与える事」です。相手の悪い部分を拡大し、声を荒げて、繰り返す。これらは戦いよりも安全で安上がりな手法となります。
嫌がらせや難癖、絡んでくる者には、謝罪や弁明はかえって相手を勢いづけます。これを止めさせるには、反撃あるのみで、これ以上続けると相手が被害を被ると思わせるのが効果的となります。
モンゴル帝国は、かつて凄まじい勢いで侵略を進めましたが、その理由の一つとして商人を使って、「モンゴル軍は容赦ないけど、素直に服従したら優しい」というウワサを広めて、抵抗する国々を減らしていきました。強大な戦力というものは行使するより、威嚇に使うのが安上がりで効果的となります。
コンビニで買い物って、要は「補給」なんですよね。 「コンビニに寄るのはサボってる、けしからん!」って言うのは、公務員は補給無しで働けと言ってるのと同じであり、これはかつて補給を軽視して大損害を出したインパール作戦と、価値観が全く変わってない事を意味します。 twitter.com/livedoornews/s…
ロシア革命の指導者レーニンは、煙草1本を吸う時でも決して上等な銘柄は吸わず、大衆と同じ銘柄の煙草を吸うように心掛けていました。宣伝戦は、如何に自分が大衆や現場と同じ目線に立ってるかのように、自然に見せるのが重要であり、見破られたり、反発されるのは、上手くないやり方といえます。
日本人は直接戦闘を重要視し、補給やスパイ活動を軽視する傾向にありますが、これは日本人のランクや権威を好む性格に原因があります。日本人は何にでも上と下の権威を付けたがり、補給員を軽視する考えなどは、例えば現代でも、配達員への蔑視感情となって現れることがあります。
戦いは滅多にすべきではなく、攻撃された時にすべきです。それも本当に自分に害が及ぶ場合にのみすべきであり、害の無い相手に煽られて突っかけていくのは、労力の無駄です。害虫は家の周りのみ駆除すべきであって、害虫が憎いからと言って、わざわざ遠くの山まで駆除しに行くのは無意味な行為です。
戦いでは戦略が大事ですが、日本人はこれを考えるのが苦手です。なぜなら、戦略はトップ層が考えるものですが、和を大事にする日本人は、すべての意見を検討してしまうため、結果まとまらず、決められない事態に陥りがちとなります。戦略は妥協と切り捨てができなくてはなりません。
ローマの貴族は、平民の代表である護民官の中に、気の弱い者、買収されやすい者、社会の理想を大事とする者(現実の平民の利益を考えないもの)を常に潜り込ませていました。 弱気な者、利己的な者、理想主義者は、味方にいるとやっかいですが、敵の陣営にいると、この上なく便利な存在となります。
戦いでは相手の戦意を無くすのが重要ですが、戦意を無くさせる手法の一つに、”自責の念を生じさせる”というのがあります。 逆に言うと、相手の痛みをあまり気にしなかったり、起こしてしまったことを後悔しないタイプの人間は、戦いに非常に向いている性格といえます。