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永禄11年(1568)12月3日、後の福岡藩初代藩主黒田長政が生まれました。画像は『黒田長政記』から関ヶ原の戦いの場面。9月15日の開戦以前に西軍の金吾中納言(小早川秀秋)や吉川蔵人(吉川広家)らと接触していたことが記されています。
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推古天皇11年(603年)12月5日、聖徳太子によって、朝廷の役人の序列を冠の色などで12段階に区別する冠位十二階の制が定められました。その目的は、能力重視の人材登用の促進です。画像は和学講談所旧蔵の『日本書紀』の当該部分です。
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今日(12/7)は二十四節気のひとつ「大雪」。いよいよ雪が降り重なる頃です。画像は紅葉山文庫旧蔵の『古今和歌集』より、坂上是則が詠んだ和歌で、夜明けの雪景色を月明かりに例えたもの。百人一首にも採られている有名な和歌ですが、読めるかな?
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12/14といえば赤穂浪士の討入り!事件当時、同時代の出来事の芝居化は禁止されており『仮名手本忠臣蔵』は『太平記』の脚色として上演されました。画像は『太平記』の塩冶判官讒死(えんやはんがんざんし)の場面。判官を浅野内匠頭に擬えています。
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昭和62年(1987)の今日(12/15)、全国の公文書館の必要な事項を定めた公文書館法が公布されました。同法は、日本学術会議からの勧告を受けて、岩上二郎議員らが発議(議員立法)した結果、制定された法律です。画像は同法の公布原本です。
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寛文12年(1672)12月18日、保科正之が62歳で逝去しました。三代将軍徳川家光の異母弟に当ります。家光の死後、幼少の四代将軍家綱を補佐し、会津松平家の祖となった江戸時代屈指の名君です。画像は『譜牒余録』のうち、逝去についての記述。
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天正14年(1586)12月19日、前年に関白となった羽柴秀吉が太政大臣に就任して、姓を豊臣と改めました。これにより、教科書でもお馴染みの「豊臣秀吉」が誕生しました。画像は、『公卿補任』の該当部分で、内大臣の部分に記述があります。
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陰暦12月21日は、紀貫之が『土佐日記』の旅へと出発した日です。国司として赴任していた土佐から京に戻るまでの旅路が、和歌と共に仮名で記されています。画像は紅葉山文庫旧蔵書の寛永20年版。冒頭に「十二月の廿日あまり一日」の語が見えますね。
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今日(12/22)は二十四節気のひとつ「冬至」です。冬至の風習として知られる「柚子湯」の起源は江戸時代だそうですよ。年明け1/26(土)からは第4回企画展「温泉~江戸の湯めぐり~」を開催予定!お風呂の歴史に触れてみてください!
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大正15年(1926)12月25日、「昭和」への改元が行われました。画像は詔書の公布に関する閣議書です。下記リンク先では、参照・参考として昭和の由来や選ばれなかった候補についても記されています。新元号の発表まであと数か月ですね。
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治承4年(1181)12月28日、平重衡(しげひら)が、対立する興福寺を攻撃するため、奈良へ進軍して火攻めを行いました(南都焼討)。火は風に煽られ、東大寺と興福寺の堂塔・仏像・経論を焼失させました。画像は『吾妻鏡』の該当部分です。
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旧暦では12/29が大晦日になることがあります。ところが、画像の『吾妻鏡』には、建久2年(1191)「閏十二月」の記述が。この年は12/29から年明けまであと一か月ありました。これだけあれば、やり残しもなく新年を迎えられるでしょうか?
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「昨日といひけふとくらしてあすか川ながれてはやき月日なりけり」――月日の流れは早いもの。歌人の春道列樹(はるみちのつらき)がこの和歌を詠んだのは大晦日のことでした。さあ、明日からはいよいよ新年!皆様どうぞ良いお年をお迎えください。
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お正月といえば皇室の一般参賀が有名ですね。画像は昭和47年(1972)の一般参賀実施に関する宮内庁から総理府(現内閣府)への通知です。今年(2019)は天皇や皇室に対する関心がより高まることでしょう。
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慶応4年(1868)1月3日、戊辰戦争の最初の戦いとなる鳥羽伏見の戦いが始まりました。画像は『慶明雑録』より1月4日、5日の鳥羽の戦場の様子を描いた絵図です。図をよーく見ると、真ん中に「錦の御旗」が翻っているのがわかります。
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今年は亥年。奈良時代の貴族・和気清麻呂(わけのきよまろ)は猪に縁があり、清麻呂を祀る護王神社には狛犬ではなく「狛猪」が建てられています。画像は江戸時代の地誌『都名所図会』から神護寺。江戸時代、護王神社は高雄山神護寺の境内にありました。
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皆さん、七草粥はもう召しあがりましたか?春の七草は時代によって異なりますが、南北朝時代に成立した『源氏物語』の注釈書『河海抄』には、薺(なずな)・芹(せり)など現代と同じ七草の記述が見えますよ。画像は昌平坂学問所旧蔵の写本です。
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平成元年(1989)1月7日、元号が「平成」に決定されました。「平成」には、「国の内外にも天地にも平和が達成される」という意味がこめられています。当館では、当時、小渕官房長官が掲げた『平成の書』を展示しています。次の元号は?
#平成 #元号
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今年は亥年ということで「猪武者」という言葉を思い出しました。猪突猛進の勇敢な武将…ではなく、退くことを知らない蛮勇を指します。『平家物語』では、屋島の戦いの際に梶原景時が源義経をそう評して諍(いさか)いとなります。画像は『平家物語』より「逆櫓(さかろ)」。
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1月11日は鏡開き。武家では餅を具足(甲冑)に供えるため、具足開きとも呼んでいました。画像は江戸時代の武家故実書『武家年中行事略考』から。具足開きは室町時代には20日に行われていたようですが、江戸時代に11日へと変わっていったようです。 buff.ly/2FivP3n
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熟田津に船乗せむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな――額田王がこの和歌を詠んだのは斉明天皇7年(661)1月14日の出来事。白村江の戦いに際して詠まれたものと考えられています。画像は林羅山旧蔵の『万葉集』で、活字印刷で出版されたもの。
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1月15日は小正月(こしょうがつ)。どんど焼きや秋田のなまはげなど、小正月には様々な風習があります。貝原益軒の甥で、後に益軒の養子になった貝原好古(よしふる)は『日本歳時記』の中で、小豆粥を食す風習を紹介し、その起源について考察しています。(続く
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承前)一方で武士にとっては、小豆は縁起のよくない食べ物でした。江戸時代の武家故実書『軍用記』によれば、小豆は煮ると割れやすく、切腹を思わせるので、男子の祝い事には用いてはならないとのこと。その代わりとして、煮ても割れにくいささげが使われていたようです。
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