差別的言動をした人がそのまま何の指摘もされずに何もせずに政治家や企業役員など影響力のある立場にい続けられるということがとても怖い。そういう人がトップにい続けられる組織は、どんな政策を作るのか。どんなサービスを作るのか。差別をそこまで重要視してませんってメッセージ。
自分が気付かぬうちに差別をしている、ということに気がつくのはとても大切なことだけど、実は自分も抑圧を受けていた、差別を受けていた、ということを受け入れるのもとても大切なことだと思う。能力主義や自己責任を内面化してきた人であればあるほど向き合うのはつらいのかもしれない。
アファーマティブアクションについて現在優遇されている属性の人が「女性というだけで『力が足りない人』が採用されたらどうするのか?」とか「採用されたとてその人がその属性代表ということにはならないじゃないか?」とか、「ほら、女性だから支持しなよ」とか。しんどすぎる。
例えば合理的配慮が特別扱いでずるい!って言うけれど、私たち今なんならマジョリティとして「特別扱い」受けている状態だね、とか、ずるいと思うなら、実は自分も気付かぬうちに抑圧受けてて合理的配慮が必要かもね?とか、そういう講演を最近はしている。
「インクルージョンについて学ぼう」ってなると大体「障害」とか「LGBT」とか「外国にルーツのある人」とかマイノリティ属性について学ぶのだけど、それだけだと「ふーん、大変そう」で終わるので、自分自身の社会での立ち位置やこれまで無自覚に受けてきた恩恵を学ぶのがセットで必要だと思う。
男性だったらこういうこと言われないんだろうな、こういう接し方しないんだろうな、ってことがたくさんある。男性も女性だったら言われないんだろうなってこと、たくさんあるのかな。両方なくしたい、本当に。
女性であり、障害のある方であることで受ける複合的な抑圧。ひどい。 駅アナウンスによって障害女性が痴漢・ストーカー被害にあっています! 国交省から鉄道事業者に改善を求める事務連絡が出されました。 | DPI 日本会議 dpi-japan.org/blog/workinggr…
これは幼稚園・保育園から始まってて、「甘やかしたら小学校に入ったときこの子が困る」と。一人一人の先生が悪いとか言いたいのではなくて、それが当たり前になってしまっている。
学校の先生方にスモールステップについて研修すると、「でもそんなに甘やかしたら社会で必要な力が身に付かない」って多くの方が言う。実際にはその思いを持って高すぎるハードルを設定することがその子の自信を奪ってそれこそが社会に出たときに影響するのに。
「不快な思いをさせたこと」ではなく「差別に加担したこと」を謝罪してほしい。ムーミン大好きだからこそ、お願いします。 twitter.com/moomin_jp/stat…
ずっと読まなきゃと思ってようやく読み始めた。序章からしびれる。 「わたしたちが求めるのは、「自立支配」社会の舞台上で自己を自律的な意思あるパフォーマティブな主体として常に努力しつつ活性化させる脅迫的な日常からの自由である」 自立へ追い立てられる社会, p.10
差別的言動がどれだけ社会で重く捉えられているかがわかる。 「差別的発言」に対して、「言った人にも事情があった」「賛否両論」「炎上」などの報道を聞く子どもたちと、「差別的発言で無期限出演停止処分」の報道を聞く子どもたち。 nikkansports.com/baseball/mlb/n…
「頑張っている/頑張っていない」のものさしで線引きをするのもよく教育でなされる。「障害のある子だって頑張っている」、良かれと思ってよく言われることだけど、頑張っていようが頑張っていまいがそこにいる権利も学ぶ権利もある。
アメリカのドラマ、自助グループに行くのが当たり前感すごい。アルコール依存症の自助グループ、恋愛・セックス依存症の自助グループ、自閉症自助グループ、家族の自助グループ...いろんなドラマに出てくる。 助けを得ること、弱さを自己開示するのが当たり前というのがとても素敵と思う。
許せない発言。 他者や自分を「役に立つ」「役に立たない」のものさしだけで見てきた結果の発言なんだろう。 そのものさし、いろんな人の中にあってよく見え隠れしているし、教育の中でも植え付けられていると感じる。「役に立つ人の方が偉い」「できる人の方が偉い」「税金納めている人の方が偉い」
ツイッターである出来事について声を上げると「これについても声を上げるべきだ」「なぜ黙ってるんだ」ってリプライめっちゃくる。 ツイッターだけで運動しているわけではないし、何についていつどうやって声を上げるかは私が決めること。
2019年から小中高教員免許において特別支援教育が必修となり、私はその授業を担当しているが、「社会が健常者仕様に作られていることに気づけてよかった」「この授業で初めて障害について考えた」「特別支援学校の免許取得を検討したい」「特別支援教育コーディネーターになりたい」との学生の声嬉しい
ヘイトクライムを「理解できる」と対象となった属性の人が見れる場で表明することがその属性の人にどれだけの恐怖を植え付けるのか。それにも関わらずその言葉を表明する人が多いと言う実態。
女性や障害者など、属性に対する憎悪が引き起こす暴力、絶対に許してはならないと大声で表明したい。 #StopFeminicides そしてヘイトクライムに理解を示す人が大勢いる、それを引き起こしている構造に対して自分はどう働きかけたらいいのかを考えたい。
小田急線の事件。女性を選んで攻撃したヘイトクライム。そんなこと絶対に許されないはずなのに、加害者の行動に理解を示す人たちがいることがその背景にある問題を示唆している。相模原市のヘイトクライムが起きた時と同じ構造。
通常の学級で合理的配慮を「ずるい」という子どもがいたら、それは権利について学ぶ絶好のチャンスだと思う。そもそも子どもたちにはどんな権利があるのか?その権利を守るためにどんな行動ができるのか?差別はなぜおこるのか?なぜ合理的配慮が必要なのか?など、学べる機会。
誰にでも等しく人権があること、そして、自分にはどんな権利があるのか、それを守るために自分はどんな行動ができるのか?を知りそのために行動した経験がないと、他者の権利主張に対して「ずるい」や「特別扱いは無理」と思ってしまうのかもしれない。
もっと言うと、障害のない自分自身に特権があり、自分たち特権者仕様の社会に自分は恩恵を受けてきていること、特権者仕様の社会を維持することにこれまで加担してきたこと、などに気づく。「救ってあげたい」「トレーニングでよりよくしたい」的考えに疑いをもつ機会をつくる大切さ。
障害児教育・支援に関わる人、「一般の子とは違う子どもをトレーニングでよりよくしてあげたい」「私が関わることで救ってあげたい」的な考えでこの分野に足を入れると、変わらなければならないのは子どもというよりも、教える側の自分の考え方や接し方ということにぶち当たる。そこに気づけるかどうか
10代の障害のある子ども向けの自分の権利や社会資源に関する本欲しい。 ・合理的配慮の意思表明の仕方 ・障害者手帳ってなに? ・グループホーム、就労支援、移動支援などの社会資源の紹介と利用方法 ・虐待防止法、雇用促進法、差別解消法の解説 出版社の方!一緒に書きたい方!募集!