saka_matsumi(@matsumi_saka)さんの人気ツイート(リツイート順)

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小樽市のオタモイ海岸に、戦前から戦後にかけての17年間だけ存在したという、料亭・竜宮閣の絵葉書を古書店で見つけたので購入。 それにしても「清水寺も及ばぬ竜宮閣の壮観」の文もオーバーじゃないと思わせるほどの強烈な立地だねえ。
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明日でSuicaがデビューして18周年。ついこないだの事と思いきや、あの頃オギャーと生まれた赤ん坊がもう高校3年生だものなあ...。そりゃ「きっぷってなに?」と題したポスターが掲示されたっておかしくないよね。
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京葉線南船橋にあった巨大屋内スキー場。 1999頃
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戦傷病者乗車券。公務で傷病を負った元軍人軍属がJR線に乗車する際、国が後払いでその代金を肩代わりする制度によって発行されたもの。2007年度に2億3900万円あったという国からJR6社への後払い金も、対象者の高齢化のためか2016年度には2500万円と急減。この制度も、近い将来に終焉を迎えそう。
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今日で終了の、昔感あふれる銀座線渋谷駅の定期券窓口。この昭和の窓口に欠かせない2点セットの名称が「ビデオフォーン」と「キャッシュデリー」というのはあまり知られていないところ。1970年代の日本営繕社広告より。
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33年前の今日が国鉄最後の日なら、16年前の今日は営団地下鉄最後の日。
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東京・新橋で20年ぶりに定点撮影。 (2003年/2023年) 驚くほどの変化は無いけど、細かい部分を見るとやはり色々と変わっている。
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家にこんな書斎がほしい。
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ほくほく線十日町名物?の地平へ降りるのをやめた高架橋。 建設当初はここで地平に降りて飯山線に接続予定も、工事凍結中に高架駅へと計画変更になり、このような不思議な継ぎ目ができた。 銘板は工事凍結前部分は設計荷重KS-16、竣工昭和48年、再開後部分がKS-12、平成3年。
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1984年夏、昭和の国鉄感あふれる青春18きっぷチラシ。後年の洗練された旅情誘うものから見ると、使われている写真や言葉もどことなく時代がかっている...。
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定点撮影 幌内線 三笠駅 1987年/2021年
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何か変な組み合わせ。 ある日、札幌駅で撮影していたら、電車と気動車が併結された状態で到着。711系のサボを見ると、分割したあと江別行きとして発車して行ったようだ。 これが定期の運用だったのか、この日限りのイレギュラーだったのかは不明。1986.12頃
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銀座線の新しい渋谷駅がある場所の15年前はこんな感じだった。ここに駅が移ってくるとは想像もつかなかった頃。2005年
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先日、年内で終わりそうとtweetした銀座線・旧渋谷駅の日付表示器。窓口も券売機も改札口も目張りがされて駅としての機能が停止した今日も、撤去されず役割を果たし続けていた。しかも曜日表示まで復活して。毎日変えてる人がいるんだろうね。この表示器が今まで残ってきた理由が分かった気がした。
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消えゆくものを記録するのも良いですが、鉄道趣味の先人が残した言葉に「新しいものほど撮っておけ」というものもあるそうです。 (新製直後のキハ54 506の車内、運転台、外観。 1986.11頃、札幌運転区にて)
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移設間近の銀座線渋谷駅でも定点撮影。1枚目は営団時代の16年前、2003年12月の定期券売り場、2枚目は今日、2019年12月の同所。よくぞ今まで残っていたと思わせるレトロな日付表示器も、駅の移設とともに年内で役割を終えそう。
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ホームでクラッカーの話題を聞いて、かつて福山駅新幹線ホームで見たこの看板を思い出した。まだあるんだろうか。2010年10月
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ほんの一時期、前面塗り分けがキハ141PDCタイプだったキハ40 179のカラー写真を発掘したので。 twitter.com/matsumi_saka/s…
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今月で高架化から丸10年の旭川駅。その地平駅時代の駅舎内部いろいろ。
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特急おおとりは函館〜網走約700Km、10時間を超える長旅。途中の札幌でひと息、給水をするのがお決まりの光景だった。 (1枚目の写真、窓にずらりと並んだお茶の容器にも時代を感じる...) 1986.2頃 札幌
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感熱券の耐久実験が今日で丸10年になったので。 やっぱり現時点で感熱券を保存するにはPP製のファイルが安心のようだ。 各画像中の左上:PP製ファイルに入れて暗所保管 同右上:黒いきっぷ専用ファイル(ビニール製?)に入れて暗所保管 同左下:革製財布に入れっぱなし 同右下:室内放置   (続く)
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1999年の函館駅。
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製作中のN183ハイデッカーキロ。 場所は新潟鐵工か富士重工だと思うけど、もう35年以上も前に譲り受けた写真なので詳細は不明。1986
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一夜明けて列車も人も...
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定点撮影 幌内線 岩見沢〜栄町 1987年/2021年 右側の住宅数棟が34年経った今も健在。