saka_matsumi(@matsumi_saka)さんの人気ツイート(古い順)

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一夜明けて列車も人も...
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札沼線。30kgレールと、バラストも摩耗しきって周囲の土地と同化したかのような道床。側線などではなく、れっきとした本線でこのような光景が見られるのも、JR線ではもうここだけなのでは。
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2000年頃の函館駅前。
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1984年夏、昭和の国鉄感あふれる青春18きっぷチラシ。後年の洗練された旅情誘うものから見ると、使われている写真や言葉もどことなく時代がかっている...。
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先日に続いて国鉄時代の青春18きっぷのチラシで、これは1984年春のもの。写真1・2枚目が東京地区版、3・4枚目が名古屋地区版。東京版のモデルルートが質よりも距離を稼ぐような挑戦的なものに対して、名古屋版はどこまで往復すれば元が取れるかというラインが示されている現実的なもの。
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シェルターを横切る踏切、熱郛・目名間の開拓踏切ですな。>RT
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江差駅跡は町営住宅と道路が整備されて景色が一変。鉄道の面影は敷地の一角に作られたささやかなモニュメントのみ。
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江差線・定点観測 2014年5月 → 2019年8月 先日回った中から何ヶ所かピックアップして、廃線後5年間の移り変わりを動画にしてみました。
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クリスタルエクスプレス引退ということで、苗穂工場で製作中の姿を。1989年、工場公開にて。(再掲)
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熱転写マルスの始まりは今から36年前の昭和58年5月、直江津駅に全国で初めてM形端末が設置された時から。
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学校から一旦家に帰って自転車で苗穂に出直すと、ちょうどいい具合にやってくるこの2つの特急。確か17時に札幌駅同時発車だったかな。日によっては並びに若干のズレがあったけど、この日はいい感じで並走してくれた。1991年
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明日でSuicaがデビューして18周年。ついこないだの事と思いきや、あの頃オギャーと生まれた赤ん坊がもう高校3年生だものなあ...。そりゃ「きっぷってなに?」と題したポスターが掲示されたっておかしくないよね。
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それにしても2枚目の写真、Suicaの名前の由来が 「スーパー アーバン インテリジェント カード」 だったとは今更ながらに知った。
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移設間近の銀座線渋谷駅でも定点撮影。1枚目は営団時代の16年前、2003年12月の定期券売り場、2枚目は今日、2019年12月の同所。よくぞ今まで残っていたと思わせるレトロな日付表示器も、駅の移設とともに年内で役割を終えそう。
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今日で終了の、昔感あふれる銀座線渋谷駅の定期券窓口。この昭和の窓口に欠かせない2点セットの名称が「ビデオフォーン」と「キャッシュデリー」というのはあまり知られていないところ。1970年代の日本営繕社広告より。
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先日、年内で終わりそうとtweetした銀座線・旧渋谷駅の日付表示器。窓口も券売機も改札口も目張りがされて駅としての機能が停止した今日も、撤去されず役割を果たし続けていた。しかも曜日表示まで復活して。毎日変えてる人がいるんだろうね。この表示器が今まで残ってきた理由が分かった気がした。
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それにしても銀座線の新しい渋谷駅、かっこいいねえ。
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銀座線の新しい渋谷駅がある場所の15年前はこんな感じだった。ここに駅が移ってくるとは想像もつかなかった頃。2005年
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JR北海道63-3改正のパンフレット。海峡線関連や札幌圏のみならず各地区に至るまで、減量のげの字もない行け行けの時代。
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戦傷病者乗車券。公務で傷病を負った元軍人軍属がJR線に乗車する際、国が後払いでその代金を肩代わりする制度によって発行されたもの。2007年度に2億3900万円あったという国からJR6社への後払い金も、対象者の高齢化のためか2016年度には2500万円と急減。この制度も、近い将来に終焉を迎えそう。
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33年前の今日が国鉄最後の日なら、16年前の今日は営団地下鉄最後の日。
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旭川電気軌道、旭川追分。砂利道とも線路ともつかないところを電車がゆく昭和の光景。入手写真より。1972年
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こんな特別なきっぷを手にできるなら、全然ご迷惑なんかじゃないです。
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3日間3万円でJR全線の特急自由席が乗り放題という、いま考えると夢のようなきっぷ。
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3色4両の札沼線列車。1991年