阿部利彦(@zubattored)さんの人気ツイート(新しい順)

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道徳に限らず、多数派が大きい声で少数派の意見を変えさせて、全員が同じ意見に統一されて終わる、って授業が時々あるんだけれど、それを対話だと思っているのなら残念だなあ
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「努力したいが実際は難しいことがあるよね」はその授業では無いもの。だったら、最初から先生が「人はね、努力しないといけないよ。辛くても我慢するんだよ。分かったかな」と言って3分くらいで終わりにする方がいい。最初からその授業ではオチが決まってるんだから
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道徳で「辛いことがあっても夢に向かって努力すること」がテーマ。「努力する」の子どもはピンク、「努力したいが難しい」はブルーのカードを選ぶようにする。多数派はピンクを選ぶ。先生はブルーを選んだ子に「なぜ努力できないの?」と聞く。児童が皆「おかしい」といい、その子をピンクに変えさせる
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最近いろんな人にきつく言ってるので気をつけようと思ったんだが、どうしても我慢ならんかった。でも、一緒に行った同僚がそのあと追い討ちをかけてガツンと言ったので、私の方が多少マイルドになった
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「これだけ支援をしてやっているんだから発達障害があっても子どもの側も少しは努力して欲しい」と言う人たちがいたので「いや、すでに充分頑張ってますよね」「合理的配慮は、やってやってる、じゃありませんよ」とはっきり言ってしまってシーンとなった
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すごい反響。皆さん同じような経験をされているんですね。ちなみに和食中心のバイキングなのでフォーク&ナイフもナプキンもありません。
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ちょっと悲しいことがあった。ホテルの朝食バイキング。食べている途中で飲み物とフルーツを取りに行って、席に戻ったら私の食事が下げられていて、もう別の人が座って食事をしていた。レストランスタッフがてきぱきと。席も食事も消え「あっ」と声を出してしまった。食事中のプレート作ればいいのに
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「困った」と言っていいんだ、と思える子どもが増えるといいなあ。「困った」と言ってみてよかった、誰かに相談してよかった、という経験を積み重ねて欲しい
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自分が子どものころに「間違ってもいいんだよ」とか「わからないことは人にきいてもいいんだよ」とか「友達の解き方を真似して解いてもいいんだよ」なんて誰も教えてくれなかったなあ
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先日、とある所で出会った生徒さんは字を書くことのつまずきに苦しんでいる。全般的な知的な遅れはなく、話すことに問題なく、運動も得意な方。そのため、ずっと支援にたどりつかなかった生徒さん。ひたすら、たくさん書く特訓をすれば書けるようになると思われてきたのだった。気づかれにくいつまずき
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発達障害のお子さんと関わる時には「あれもしてはいけない」「これもしてはいけない」と言われるので、専門的知識とずば抜けたセンスのある人でないと関われない雰囲気になっている。特別な人にしか支援できないのではなく特別支援を日常化したいが、特別支援がますます特別になっていくようにも感じる
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勝ち負けや順番でイライラしがちなお子さん。みんなとやりたい気持ちは持っている子。そこでクラスでのゲームでは応援席を設定して「イライラしたら応援席でちょっと休み、仲間を応援し、またいつでもゲームに戻れる」という形(みんなのルール)にしたら、すごく落ち着いて参加できるようになった
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園巡回に行ったら年長さんたちがお月見の製作活動をしていた。導入で先生が「月の形が変わって細くなったり、丸くなったりするのはどうしてだと思いますか?」と難しい質問をした。ある子が「いろんな人に見てもらいたいから、がんばっておおきく、まるくなると思います」と答えていて微笑ましかった
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教育相談員になりたての頃。大学の授業(学校カウンセリング)で習った「その時にどう感じた?」「どう思った?」などのオープンな問いかけでは子どもたちが答えにくいことを知った。そこで選択肢を提示する、気持ちを数値化する、気持ちを色分けする、などの方法で子どもたちの気持ちを知ろうとした
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「愛着の問題がある子ども」というのを現場の先生はどう判断しているんだろうか。そもそも勝手に判断していいのだろうか。しかも子どもたちの「愛着の修復」をするという先生すらいる。どう判断し、どう向き合い、どう責任を持つのか。中途半端にかきまわした後、子どもを見放すことにならないのか
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学校の様々な刺激に敏感な子どもたちが、帽子をかぶったり、フードをかぶったり、あるいは首にタオルを巻いたり、それだけで少し安心して、苦手なことにチャレンジできる場合があるんだけれど、常識人の「理由はどうあれ部屋では帽子をとるのがマナーなんですよ」の一言でかたづけられてしまうのが残念
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帽子をかぶったままだとクラスに入ることができる子に「帽子をとらないと入室させない」という指導したという話。結局その子は学校にも来られなくなったんだけど、周りの子に迷惑をかけるような大きさの帽子でもないし、なんでダメなのか。やっぱりダメなのか。
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ASDのAさんに有効だった支援が、ASDのBさんにも有効とは限らない。たまたまAさんには有効だったのかも知れない支援をつい「ASDの子どもたち皆に有効だ」と言いたくなってしまう場合がある。一つの実践例を「皆に有効だ」と決めつけず、Bさんには?、Cさんにならどうだろう?と考えたい
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一般の人ではなく、対人支援職を目指す人たちの研修で障害の疑似体験をした際に「なんだ大したことないな」「私は平気だ」といった感想の人がいたらどうだろう。私自身はそういう人に支援してもらいたくない。もちろん「疑似体験ありき」ではないが、その受け取り方は、プログラムだけの問題ではない。
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例えば妊婦さんの体験で一部の男性が「軽い、軽い」「平気、平気」と腕立て伏せやスクワットをし始めたとする。「だから疑似体験は無駄だ」と捉えてプログラム上の問題とするか、「そういうふるまいをする人が今後こまやかに妊婦さんに寄り添えるか」を問題にするのか、でいろいろ変わってくるよね
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「こういうことで困っている子ども(人)たちがいるんですよ」というとすぐ「私は困ってませんよ」って言う人、仕事では時々出会うなあ。あと「そんなことで困るなんてね。私は平気ですよ」みたいな。
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LDの疑似体験に限らず、リハの車椅子体験や高齢者体験で「自分は大丈夫」「こんなのなんでもない」という人がいるとか、妊婦体験で重いベストをつけて「軽い、軽い」と腕立てする男性がいる、ということを知って、身近にそういう人がいないので勉強になった。
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私もLDの大変さを少しでも知ってもらいたいと研修でもいろいろ工夫しているけれど、先生方の「私だったらできる!」という感覚にひっぱられるとは思っていなかった。困っている立場をイメージしてもらうって難しいんだな。
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学校の先生向けの研修会でLDの疑似体験をしてもらったら「こういう見え方をしてるかも知れないんだな。授業中大変だろうな」「黒板を写すのがこんなにしんどいんだ」ではなくて、「なんでこんなことも出来ないんだろう」「私だったらこんなの平気だ」という意見が出た、と知り合いの講師が言っていた
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「そういう子どもは困難を生き抜く力はなさそう」か、なるほどな。今の世の中、心の鈍い部分がないといけないんだろうね。