「日本人には分かりづらいかもしれないけど」みたいな枕詞でアフリカ系アメリカ人への差別を語り出す人が多いけど、日頃これだけネットで日本人が特定の民族や女性などを差別的に攻撃しまくってる事例を目にしてて、なんでそれと同じような話だって繋げられないのかが不思議でしょうがないよ。
国際的に信用ある歴史学者たちの見解に基づくのならともかく、「政権の歴史認識」に基づいて歴史を検証すると言ってるのがやばい。 twitter.com/unbonvinblanc/…
坂本龍一氏の政治的な主張って、ごく常識的で穏当なものばかりで、これが偏ってたり異常に思えるっていうのは、その人自身が相当極端な思想に毒されてる証拠だと思うよ。 私も、人権が大事とか、人種、女性差別は悪だとか、格差を是正した方がいいとか、そういう方向の主張をすると散々言われるから。
唐突に異性を好きになる描写は数限りなくあるのに、同性を好きになる描写の前には伏線をいろいろ張ってなきゃだめというのも、結構な差別だと思うけど。
「サザエさん」が保守的なのはアニメ版の話で、長谷川町子先生の原作はむしろ進歩的な内容だった。なぜ作者の思想を捻じ曲げてるのか、アニメの制作者に聞いてみたい。 twitter.com/syufu_desu/sta…
ワカンダのヒーローたちのアメリカ潜入時がオシャレ過ぎて、バトル用のコスチューム着てるときよりテンションが上がった。後ろにうっすら見えてる一般人たちとオーラが違いすぎる。
この数例を見せて異常な状況だと主張したいんだろうけど、これまでCMで女性ばかりが家事をする役割を担ってきたことの方が異常だったという発想はないのかな。 twitter.com/xlu33oh5wlpqci…
この嫌がらせの発端は10年くらい前からで、当時私もブログで言及してるんだけど、「害オタ」問題の状況はひどくなるばかり。「真のファン、真のオタクはそんなことしない」と言って切り離そうとする人も多いけど、もはや事態はそんなことで収まらないところにきてるし、被害者に言うべき言葉でもない。 twitter.com/Hysteric_Barbi…
検査前にイソジンでうがいをすると、たしかに一時的に結果が陰性に判定されやすくなるんだろうけど、本来陽性の人が陰性になることには社会的な不利益しかないと思う。これが、“大阪モデル”が崩壊していることを隠蔽するために市民を危険にさらす政治家の思いつきなのだとしたら、犯罪的だと思う。
ヤフーはヤフコメにおける民族・性差別、個人攻撃の氾濫をずっと放置しているわけで、話が皇族の問題に及ぶと自制を求めるというのは、いかなるポリシーに基づく行動なのかをはっきりしてもらいたい。 twitter.com/tsuda/status/1…
今回の沖縄の例も象徴的。世の中の諸問題に対して、とくに考えもせず貢献もしない人たちが、抗議運動を冷笑することで、努力する人の上の立場になった気になれるという思い込み。承認欲求や達成感がインスタントに満たせるという一発逆転の構造を提供したという意味で、カルト宗教の教祖に近いと思う。
普通に考えたら分かるけど、ナチスになぞらえて批判することが国際的にタブーだとしたら、ナチの思想を受け継いだ団体や、似たような手法をとる政治家や党にナチって言えないので、言論がめちゃくちゃ後退してる状況にあるわけで、それで得するのはナチ的な人たちだけじゃん。
差別をしないよう、社会的弱者を追いつめないよう努力するという姿勢は、少なくとも現代人にとって当たり前のことなんだけど、それがあたかも一つの政治的な姿勢であるかのように言われるのが納得いかない。場合によっては差別する人や、「どっちもどっち」と冷笑する人がバランス派であるわけがない。
原節子の若い時代からの伝統だというのがすごい。 twitter.com/braidsred/stat…
「電車男」みたいに、オタクの連帯による集合知によって、女性に気に入られる努力をしていく話というのは希望があるけれど、自分たちを「弱者男性」と呼んで、何も変わろうとせずに“女をあてがえ”みたいな主張をし始めるようになってきたの、地獄では……。
ウクライナ側も、かつて枢軸国だったドイツやイタリアがそうであるように、「日本が過去の体制を反省し、全く違う考えの国になってる」と思っているからこそ、その象徴を掲げる表現は問題ないと思ったわけなんだろうけど、日本が戦前、戦中の価値観を捨てていないということを知らなかったらしい。 twitter.com/segawashin/sta…
それ、すり替えですよ。「創作で社会に影響を与えろ」と言ってるのでなく「創作は社会に影響を与えるもの」だと言ってるんです。創作する人も社会の一員なので、世に出す作品には一定の社会的責任があります。誰かを喜ばせるときに他の誰かを抑圧している可能性を考え仕事をしてほしいということです。 twitter.com/mikito_777/sta…
『Fukushima 50』の原作者は、大統領選デマを広めてたり、リコール問題で内部に潜り込んだスパイによる犯行説を唱えてたり、はすみとしこ氏の描いた人権を蹂躙する醜悪なイラストを披露した番組で、一緒になって笑ってた人物だということは、多くの人が知っておいた方がいいと思う。
これは前提が間違ってる。人種的マイノリティや、ろう者などの実力ある俳優たちが、これまでなかなかカメラの前に立てないというケースが多く、非当事者の俳優のアドバイスばかりやらされていたという背景を考えなければならない。そういう人たちは、芸術を表現するチャンスすら与えられてこなかった。 twitter.com/hori_shigeki/s…
このテキストの“死者の不可視化”という箇所を読んで、水木しげる氏の描いた、東日本大震災をテーマにしたイラストを思い出した。多くの漫画家が生き残った人を励ます題材でイラストを発表したが、氏は津波に巻き込まれ苦しんで亡くなった被災者を描いた。いま覚えている当時の震災の絵はこれだけだ。 twitter.com/mittsko/status…
日本映画の慣習だとか、ピンク映画の伝統やら栄光やら、べつにどうでもいいからこっちは。誰かを不幸にしたり踏みつけるようなことを続けるんなら、全然滅びても構わないよ。
様々な人種や特徴を持つ俳優をキャスティングすることを「ポリコレに縛られてる」と解釈する者たちを『エターナルズ』が決定的に置き去りにしたと思う。このフェーズに入って、旧弊な社会観で娯楽全般を語ることが無理筋になってくるはず。その意味で映画史、文化史の中で象徴となる一作になるのかも。
煉獄さんの「誰も死なせない」という姿勢に日本中が涙したけれど、政府が人命よりも少数の利益の方に舵を切ったり、自治体の首長が「命の選別」を口にしたことに反感を覚えないのだとしたら、映画って観客にとって、いったい何なのだろうと思ってしまう。
→人前で肌を見せるのは勇気がいるし、撮影側もそれを見せ物にすることで一線を踏み越えなければならないことは確かなんだけど、そういうプロセスを踏まなくったって全然いいはずだし。一般作でも女優が脱いだときに、称賛されたり一人前みたいに言われる慣習は、やっぱり変だと感じるようになった。→
この時期のフジロック開催は見送るべきだった。同時に、十分な補償のないなか休業要請に従わない飲食店が出てきているように、「“安心安全”を謳えば開催しても大丈夫でしょ」という口実を与えたのは政治の責任だし、ヘリクツこねれば不要不急の外出もオッケーという空気を作ったのも政治の責任。