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(2)正室が側室を選んだ話
今回は、家康の側室を選ぶという場面がコミカルに描かれました。側室を、正室築山殿と生母於大の方が選び、酒井忠次の妻がオブザーバーのような役割をするというものでした。もちろんこれは脚色ですが、側室を正室が選ぶというのは事実です。専門家ですら勘違いしがちな
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(2)人質を「盗み出す」という台詞について
今回は、忍びが登場し活躍するというストーリーでした。今回、古沢さんの脚本で秀逸だと私が感じたのは台詞です。元康と正信が密談しているときに、正信が人質を「盗みまする……」、元康「盗む?」、正信「お方様とお子様方を駿府からこっそり盗み出す
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は相婿の関係となり、今川一門衆となります。義元がこうした婚姻を実施したのは、男子の兄弟がいない氏真を支える一門として、家康と氏規を考えていたでしょう。初回放送で、義元が末永くわしと氏真を支えてくれ、というセリフは、あの一言に、いま紹介してきた事柄を込めていただいたと思っています。
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合戦図屏風は、さすがにその辺をちゃんと描いていて、「長篠合戦図屏風」でも鉄炮の黒煙を表現しています。でも、まとまった数量の鉄炮が射撃すれば、周囲は真っ黒になるはずで、大坂夏の陣では、両軍が射撃を始めたら、周囲が見えなくなったと記録されています。
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大河ドラマ「どうする家康」第5回「瀬名奪還作戦」はいかがでしたでしょうか?さて、今回に関する時代考証のポイントについてお話ししましょう。まず、今回の内容は、脚本家古沢さんのオリジナルストーリーです。以前にもお話ししましたように、瀬名(築山殿)、亀姫、竹千代の三人が
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これはごく最近指摘されることですが、関口氏純のもう一人の息女(築山殿の姉妹)は、駿府に在府していた北条氏規のもとに嫁いだ(もしくは婚約した)とされています。義元と寿桂尼は、氏規を気にいっていて、北条氏康がそろそろ帰してくれといわれても、側に留めたといわれます。この結果、家康と氏規
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ただ、ファンタジーだの、史実無視だのと批判され、「時代考証はなぜこんなことを許したのか」と痛罵されることも多々ありました。特に「歴史家」「歴史ライター」「歴史研究家」なる人々のかしましさには、特に注目しておりました。一般の方々は別にいいのですが、やはり彼らは単に勉強不足なんだなと
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ですので、脚本家古沢さんの物語の展開を、視聴者の皆様がどのように感じられたか、面白いと思ったか、そうでなかったか、ということで、時代考証としてはほとんどいうことがないのです。脚本をもとに、演出、美術、技術スタッフが解釈して映像を作成しています。多くのご意見に、清須城が中国の宮殿の
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史料をみていくと、少なくとも永禄期までは、全国の大名、国衆、土豪、山の民、海賊衆、百姓の区別なく、鉄炮の購入を行っています。戦国大名の鉄炮衆は、こうした人々を動員したものです。大名が大量に鉄炮を一括購入し、全軍に装備したというイメージは、小説や映画の見過ぎですね。事実ではないです
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【お知らせ】発表になりましたのでお知らせします。8月2日大河ドラマのイベントが松本市で開催されます。石川数正役の松重さんと出演します。皆様お楽しみに😃pid.nhk.or.jp/event/sp/PPG03…
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(4)男を上げた石川数正
石川数正は、後に徳川家中から出奔してしまいますが、『三河物語』は人質交換の時の数正を大いに褒め称えています。同書によると、竹千代は、父家康が今川から離叛したので、駿府では「すぐに殺せ」「明日殺せ」などの声がかしましかったといい、関口氏純の孫なので何とか無事
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衝撃度が半端ではないということになるのだと、アタクシは勝手に解釈し、三谷脚本の上手さに兜を脱ぎまくっております。戦国もヒドイけど、鎌倉もヤバいよね。今後が楽しみです。
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数正、彦右衛門、七之助、平八郎ら、みな唖然としている」としか書かれていません。私は、映像をみて、脚本の「唖然としている」を、織田信長に会う緊張感から、初めてみた清須城が、岡崎城とは違った威圧感のある城、自分たちの城よりも大きい城にみえた、つまり実物よりも大きく見えたことを表現した
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ようだとか、清須の町を見下ろせる丘はないのではないか、などがありました。このうち、清須城が宮殿のようだというのは、脚本にはまったく表現されておらず、演出の方々があのように映像化したものです。ただ、脚本では「1562年(永禄5年)1月清須城 城門が開いてゆく。到着している元康、左衛門尉、
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(2)上之郷城に攻め込んだ忍びが火矢を揚げていた場面
上之郷城に忍びが突入するのを、今かいまかと待ち焦がれていた名取山本陣の元康らが、城から揚がる火花を見て、総攻撃を下知するシーンがありました。あれをみて「花火なんかあげるのか?」など、疑問を持たれた方もおられたようです。実は、これ
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火縄銃の取り扱い=時代考証の杜撰さ、という言説が横行しているようなので、ひとこと言わせて頂きます。撮影現場での所作、演出は、時代考証の管轄外です。戦闘シーンにおけるアクションや演技は、殺陣を初めとする皆様が頑張っておられます。 twitter.com/ov6WMkC0HTMktU…
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これ、秀逸。その通りだよ。基礎研究の意義を理解できない奴らが権力を握っている不幸。 twitter.com/agko999er/stat…
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前提が間違っている。ドラマは良質、悪質の区別なく史実ではない。またそれを史実と信じさせているわけでもない。史実だと信じるのは、受け取る側の問題。ならば、ゲームは?小説は?まずはそこから入り、触れ、興味をもち、ホントの所はどうなんだろうか、と進めばそれでよし。それをホントだと勘違い twitter.com/Apple777egg/st…
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奥平信昌の「信」は、武田から与えられたもの。天正3年以前に、「信昌」署名の発給文書あり。奥平家は、信昌を称揚すべく家伝を創作した。だって信長から一字を貰った、しかも亀姫も輿入れした特別な家となるから。 #時代考証の呟き
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書かれていたのを思い出す。実は、沼津の千本松原にある首塚から出た人骨分析から、戦闘員の中に女性がいたのではないかと推定されている。これは、戦闘の巻き添えではなく、参加して戦死した女性ということ。戦闘員が男性だけというのは偏見だろう。あとは、文献の精査で実証するのみ。
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『日葡辞書』にも「タワケタモノ。または、tauaqe (タワケ)〈訳〉大変おろかなもの、馬鹿者」、『信長公記』首巻にも「去ては此比たわけを態御作り候よと、肝を消し、各々次第次第に斟酌仕候なり」とあり、戦国期の人間が使用していても、何ら問題がない。
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(1)上之郷城攻撃に忍びが活躍したこと
今回の上之郷城攻めでは、伊賀衆のほかに、甲賀衆らが参加していましたね。前回の解説で、『三河物語』にも、上之郷城は忍びによって攻略されたと記されていることを紹介しました。今回登場した甲賀衆の参加は、『武徳編年集成』を始めとする軍記物に記述があ
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「いじめ」って言語がよくない。暴行、脅迫、強要、恐喝、教唆、など犯罪のオンパレードで、すべて立件できる代物。犯罪だよ、犯罪。