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お、オトロシイ😨もう発売日が指定されとる。発売されましたら、よろしくお願い申し上げます。
hanmoto.com/bd/isbn/978414…
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これ凄い史料。如法経を書写するためにかかる経費を寄進するためのもので、寄進状の一種。紙に書かれたものは多数あるが、板に朱書きは珍しい。筆跡や使用されている文字、いずれも戦国初期のもので間違いなさそう😳 twitter.com/nagurasense/st…
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三方原合戦に勝利し、越年の後に信玄は何を考えていたか、如何なる戦略を立てていたか、についていろんな推測がされてきた。でも証言が残っていたのを、見過ごしてきた😅なーんだ、なるほどね、って思った。信玄が病気でなければ、違った展開があったのね。もうすぐ書き上げる新著をお楽しみに‼️
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さすがに、この暴言は許せない。「脚本家や演出の暴走止められないなら仕事してないのと同じ」とはよくぞ言ってくれましたね。私は仕事をしていないと指弾された、侮辱されたと受け止めます。 twitter.com/hide_yukigumo/…
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りません。これは日本全国でみられた現象です。戦国大名の軍隊には、大名から知行を貰い、余裕があった者はごく一部で、ほとんどの兵卒は生活に苦慮していました。『三河物語』には、その苦しい生活ぶりがよく出てきます。特に、足軽として雇われた人々や、村町から動員された在村被官、村町から徴発さ
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差し出さざるを得なくなったと考えられています。つまり、戸田氏なんぞを通じずとも、家康は引き渡されたと思われます。また、田原戸田氏の研究が進んだことにより、「康光」なる人物は実在しないことが明らかになりました。この人物に相当するのは、「宗光」です。この宗光は、松平広忠と同盟を結んで
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今日、調査をさせて頂いた家康文書は、たまたま某書籍に写真が掲載されていたのです。瞬間、1通は直筆の可能性が高いと思い、直筆の写真を集め比較したら、多分間違いないと判断していました。ただ、原本を見ないと判断出来ないので保留していたのです。いゃ~、凄かったですよ‼️#どうする家康
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けっこう多いのです。ここでも、『三河物語』を事例に紹介しておきましょう。まず、刈谷城水野藤九郎信近を伊賀衆が暗殺したというお話し。同書によると、今川方が伊賀衆を呼び寄せ、水野領にやすやすと潜入し、何カ所にも渡って待ち伏せの忍びを伏せておき、遂に水野信近を討ったとあります。水野信近
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果たし、涙に咽んだといい、さらに異母弟を紹介されたと記されています。これも、確実な史料では確認できません。今回の於大との再会と、その内容は、古沢さんの脚色です。再会した時期や、その内容は記録に残っていない。だから、ある意味、自由に創作できる余地があるのです。母子再会とその模様は、
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映画「信虎」の宣伝記事。どうぞよろしくお願いいたします。とにかく、寺田農さんの演技が凄すぎます。武田勝頼役の新井敦史さん、武田信玄・逍遙軒2役の永島敏行さんも魅力的です。sankei.com/article/202109…
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するからです。ただ、私は『三河物語』をいま何度も丁寧に読み返しているところなのですが、同書にも駿府に残されているのは竹千代だけで、彼の身柄を松平方が確保した人質と交換するとの内容が記されており、瀬名と亀姫は登場しません。このことから、女子二人は桶狭間合戦直後に、今川氏真の意思で
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3月3日払暁、武田勝頼は、移転したばかりの新府城に火を放ち、都留郡岩殿城への逃避行を開始した。真田昌幸の岩櫃城に行くか否かを迷った末の決断だった。新府城は未完成で籠城戦は出来ぬと考えたからだ。後に重臣土屋昌恒は、ここで力戦して滅亡することが武田家の名誉だったと切歯扼腕することになる
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のですが、戦国大名の当主は、一夫一妻多妾制のもとにあったと考えられがちです。しかしこれは、江戸時代に入ってからのことで、豊臣期までは一夫多妻多妾が基本だったのです。少し詳しくお話ししましょう。まず、当主には正妻(正室)が迎えられます。ただし、正妻(正室)が一人とは限りませんでした
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本番組で、長篠古戦場出土の鉄炮玉について驚愕の事実が判明します。そこから読み解ける歴史像とは何かを問いかけます。拙著『検証長篠合戦』吉川弘文館の記述が証明されることとなり、誠に感慨深いです。
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上杉謙信上洛日記ならば、大変な発見だが、映像を見る限り、天正十四年の上杉景勝上洛日帳のように思える。映像を止めてみたが、六月一日に大宝寺とあり、金右衛門とあるのは、溝口金右衛門のことだろう。また「関白様」とあるのは、秀吉のことと思える。確認したいなぁnews.yahoo.co.jp/articles/d06bd…
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年まで関口伊豆守氏純として存命していることが史料発掘の結果明らかとなりました。このことから、関口が成敗されたのは誤りであり、『松平記』などの記述は否定されることとなります。また、一部の方から、罪人の父母にまで縁座・連座が適用されるのはありえないだろうとの見解が出されています。上記
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時代において、貴重な肉声を今に伝えています。興味のある方は、ぜひご一読ください。とりわけ作手奥平氏は、永禄4年に今川から離反した時と、天正元年に武田から離反した時に、ともに人質を処刑される悲劇に見舞われています。人質が処刑されるかどうかは、その時々の判断によるのですが、奥平氏の
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色んな方々より、角川文庫版『信長公記』がなぜ再版されないのか話題になってると聞かれました。あれは、2つ理由が、あります。編者が再版を禁止したことが最も大きいです。もう1つは、再版辞退の理由でもありますが、あれは原文翻刻ではなく読み下し(訓読)なので、史料集として刊行するのに、
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高校教師を辞めて、これほど精神が安定するとは思わなかった。心が平らかだ。毎日が楽しくてしかたない。仕事も思った以上にはかどっているなぁ。こんなんじゃ、教員やろうというヒトがいなくなっているのがわかるよ。
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