K・HIRAYAMA(@HIRAYAMAYUUKAIN)さんの人気ツイート(いいね順)

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#時代考証の呟き #どうする家康 (1)戦国の乱取り 戦国時代は、合戦があると、その周辺の村町、寺社に対して雑兵たちが様々なものを略奪することが横行していました。これを「乱取り」といいます。後の、小田原出兵を行った豊臣秀吉は、この乱取りを「東国の習い」とまでいいましたが、事実ではあ
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し、桶狭間合戦で着用したとの伝承を活かしたものです。これが、義元と家康の関係をよく表現するものだと製作陣が採用したのです。ここは史実と相違することを、あらかじめご承知おきいただければと思います。
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昔の大河ドラマ「おんな太閤記」をお忘れですか?大河ドラマ「黄金の日々」は、自由な商業活動を希求する物語でした。そういえば、密約を交わした徳川と武田が、空砲を撃ち合い、合戦をしているふりをしたという設定に、ものすごい非難がありました。私は「真田丸」で、上杉景勝と真田昌幸が密約を交わ
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呟こうかと思っていましたが、公式が動いてくれましたので、お知らせします。「歴史探偵」で推定した方法だったでしょ😃最初の待機は、整列。射撃開始でランダムな交代に移行する。もう少し尺があれば色々表現できたのですが。 twitter.com/nhk_ieyasu/sta…
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ものと解釈しています。なお、瀬名と今川氏真のやりとりは、前回の時代考証の呟きで述べたとおり、この時彼女は亀姫とともに、岡崎に送られており、駿府には竹千代(松平信康)のみが残っていましたので、完全なるフィクションです。
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脚本家古沢さんのさすがの表現だなと思いました。また、金陀美具足を義元が家康に贈り、息子と呼びかけるのは、義元と家康の親密な関係性を表現してあまりあると思いました。もちろん、金陀美具足は、当時のものではなく、もっと後に家康が着用したものでしょう。ただ、久能山東照宮に今川義元から拝領
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大河ドラマ「どうする家康」第3回「三河平定戦」はいかがだったでしょうか。それでは、早速、今回に関する時代考証のポイントについてお話ししましょう。#どうする家康 #時代考証の呟き
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見守っていました。そもそも、家康と築山殿が不仲であったということは、実証されていません。むしろ、天正6年早々までは正常な状況であったのではないかと考えています(詳細は拙著『徳川家康と武田勝頼』を参照してください)。 ドラマでは、瀬名が戦のない世の中を求め、武田、北条とも結ぼうとし
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し、直江兼続が指揮した上杉軍が、真田軍と空砲を打ち合ったシーンを記憶しています。皆さん、憶えておられないのでしょうか?互いに密約を交わして、戦うフリをすることを「なれあい」といいますが、過去の大河ドラマでも採用された設定です。 あと、瀬名がお金を統一するという提案をしていました。
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それが徐々に緊密になっていくというのを、描いて欲しいなぁと思っていました。古沢さんは見事に描いておられましたよね。駿府で育てば、岡崎がいかにも田舎に見えてしまうし、岡崎城もみすぼらしく見えてしまう。それは仕方ない、それこそが家康と岡崎の当時の関係性を物語っているのです。
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生き残ることが出来たのは、織田信長による援軍派遣だけではありません。織田からの大量の兵粮、玉薬の継続的支援は欠かせませんでした。それはいくつもの史料で確認できます。武田も、同盟国に兵粮の支援を懸命に行っていたことが多くの史料でわかっています。とりわけ内陸部の武田にとって、自給でき
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(2)家康の「家」は何に由来するのか  家康の諱にある「家」とは何に由来するのかをめぐっては、古来から議論があります。そもそも家康自身が、「家」の字の由来について語り残すことも、書き残すこともしていないため、彼の思惑は謎のままです。ただ、継父久松長家の影響によるものだという説は、
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のです。後は戦争で他国から略奪して補っていました。「足らぬところは、他から融通してもらい、うまくやっていく」という瀬名の台詞は、こうした背景を知っていれば、あながち否定できません。なかなか、戦国の流通や同盟の内実を、ドラマで説明することは至難ですよね。なのでどうしても言葉足らずに
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(2)正室が側室を選んだ話  今回は、家康の側室を選ぶという場面がコミカルに描かれました。側室を、正室築山殿と生母於大の方が選び、酒井忠次の妻がオブザーバーのような役割をするというものでした。もちろんこれは脚色ですが、側室を正室が選ぶというのは事実です。専門家ですら勘違いしがちな
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(2)人質を「盗み出す」という台詞について  今回は、忍びが登場し活躍するというストーリーでした。今回、古沢さんの脚本で秀逸だと私が感じたのは台詞です。元康と正信が密談しているときに、正信が人質を「盗みまする……」、元康「盗む?」、正信「お方様とお子様方を駿府からこっそり盗み出す
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中世、近世の研究がひっくり返るような発見がゴロゴロしているのは容易に想像がつく。下手すると、江戸時代のものは、落とし紙となり、残ってないかもしれない。それほど凄いのが、畿内の個人家、寺社なのです。news.yahoo.co.jp/articles/db010…
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いや、家康は穴山を取り込み、先に甲斐に入れる状況だったんだよ。でも駿河でかなり時間をかけて、在陣してるのは、信忠に華を持たせるためだろうね。#時代考証の呟き twitter.com/CjnfDjz/status…
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ない塩は特に重要でした。そのため海を持つ北条や今川からの援助が欠かせませんでした。皆さん、武田信虎(信玄の父)がなぜ追放される羽目になったか、今の研究状況をご存じですか?拙著『武田信虎』や『武田三代』(PHP新書)で詳述しましたが、信虎は周辺諸国と対立しており、継続的に経済封鎖を
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大河で、三方原合戦が放送されたおかげか、拙著『新説・家康と三方原合戦』と『徳川家康と武田信玄』の売り上げが再び伸びているらしい。ありがとうございます。
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それにしても、どうしてこんな設定になっているのか、ということを想像力を働かせて自分なりにドラマを解釈し楽しむのが、映画やテレビの醍醐味なんじゃないのかな。なぜ、どうしてそうなったという疑問から、どう解釈できるかという想像力があまりにも欠如してないか。
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殿潤さまは、これから静岡、愛知に移動かなぁ。お疲れ様です😌それにしても、皆様はオーラが凄い。特に信長様は、役にどっぷりのように拝察。お話しさせて頂きましたが、怖かったっす😅明日からの「どうする家康」をお楽しみに‼️#どうする家康
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(8)三河国衆の人質を処刑した話  三河国衆の人質が処刑された話が出てきました。ドラマでは、駿府にいたとの設定で、築山殿らの眼前で処刑が執行されたように描かれています。ただこれは史実ではなく、それをもとにした古沢さんの脚色です。三河国衆の人質は、吉田城に預けられていました。
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城に天守を造れば観光客が来て、儲かる。経済効果も抜群って思ってるかも知れないけど、悲惨な状況で自治体の重荷になってるものもある。伏見桃山城キャッスルランドがその好例。あれは建設当時から、費用の問題で途中で工事が止まり、再開されたいわくつきのもの。その後、観光施設として稼働したが、
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まぁ、こうしたことも、ドラマの台詞で説明するのは難しいですよね。脚本家の古沢さんは、苦心されたと思います。少なくとも私は、同盟、盟約関係の積み重ねでこうした動きは形成できると判断し、脚色内容に同意しました。瀬名がなぜ希代の悪女と後世指弾されることになったのかという課題に、古沢さん
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NHKの突撃カネオくんをみてます。図書館の特集がとても面白い。利用者の相談に、即座に対応できる司書さんこそが、図書館と文化の生命線。僅かなキーワードや、ざっくりしたイメージだけで、本を探し提案する。これはTSUTAYA図書館なんぞにできるわけない。それが理解できない自治体の上層部が多い