K・HIRAYAMA(@HIRAYAMAYUUKAIN)さんの人気ツイート(いいね順)

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(5)築山殿、竹千代、亀姫が駿府で人質となった話 このことについては、また後の回であらためて述べようと思っておりますが、柴裕之氏の『青年家康』角川選書や、黒田基樹氏の『家康の正妻築山殿』平凡社新書により、家康が岡崎に帰還した直後、築山殿と亀姫は、駿府から岡崎に移っていることが明ら
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今川義元と氏真の描写がよかったですよね。氏真は、当代一流の教養人であり、剣術も相当の使い手であったといわれています。ただ、戦国大名当主として、家中と国衆を束ね、外交と戦争をする器量がなかったと思っています。今後どうなるか、楽しみです。#どうする家康
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(3)望月千代の登場 ドラマが進むなかで、千代がかの「望月千代女」で、武田信玄の指しがねとして三河に送り込まれた歩き巫女ではないか、との予想が飛び交っていましたね。お見事な推理でした。このドラマでは、今後も登場し活躍することでしょう。望月千代女は、信濃国禰津郷(長野県東御市)で歩き
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私は、大河ドラマについて「面白くない」「ファンタジー」等の感想についてはご自由に、と思っています。私の仕事、経歴に対する論難には容赦なく反論しているだけです。時代考証の呟きでお話ししているのは、ドラマストーリーと史実(現段階で確からしいと指摘されているもの)との整合性をどのように
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(2)家康は、戸田宗光によって織田氏のもとに送られた話 松平広忠が、息子竹千代を人質として今川義元のもとへ送ろうとしたところ、戸田康光に奪われ、織田信秀のもとに送られたという逸話は、『三河物語』以来大変有名です。#どうする家康 #時代考証の呟き
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全く考えていません。でも、諏方法性の兜(映像や祭などの世界での)をみれば、信玄だというイメージが一般化していることを尊重して、それにGOサインを出しているに過ぎないのです。これから、本番が始まれば、色々とあることでしょうが、来年は説明などのフォローをしっかりとしていく所存です。
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中世の虹は、掛かっている場所、方角が不吉。なので駿河方面に掛かった虹をみて今川氏の不吉を信玄はみた設定。勝頼は織田・徳川軍の方に掛かった虹をみて相手の不吉、武田の吉兆をみた設定。 #時代考証の呟き twitter.com/naoejou/status…
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家康は、三河の貴人として、それは岡崎松平家の当主であるがゆえに、大切にされていました。当時の岡崎松平家は、三河においては他の国衆とは一線を画す地位を築きつつあり、合戦においては国衆の動員を可能にしていました。なので、その当主家康は、まだ幼少でしたので、身に危険が及ぶことや
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家康を今川の人質とする評価は、今の研究では支持されなくなっている。松平氏庇護のために駿府で養育し、関口氏純の息女築山殿と娶せて今川一門格にした。将来は岡崎に帰還させる予定だったと推定。家康が今川から離反した結果、駿府にいた妻子が、結果的に人質となったに過ぎない。『三河物語』の
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静岡駅で呑んだくれてたら、どうする家康のキャンペーンやってて、アンケートしてノートもろた😆嬉しい🎵😍🎵#どうする家康 #時代考証の呟き
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これには、しっかりとお答えしなければなりませんね。家康の生前、築山殿と信康は不名誉や悪名を蒙っていたという事実はありません。母子の悪評は、家康死後の江戸幕府創業史が編纂されるようになった時期です。家康以後の人たちが、神君家康の経歴に傷がつかぬよう慮り、母子の悪行と信長の強要を twitter.com/M__Yuugiri/sta…
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そのために、時代考証なのですから。手元に揃えたデータは、かなりのものになります。徳川家康を専門に調査研究したことはありませんでしたが(常に間接的でしたね。武田や真田、上杉、北条を通じてです)、これまで蓄積してきた史料や論著を見返すと、なかなか面白いです。
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ただ、ファンタジーだの、史実無視だのと批判され、「時代考証はなぜこんなことを許したのか」と痛罵されることも多々ありました。特に「歴史家」「歴史ライター」「歴史研究家」なる人々のかしましさには、特に注目しておりました。一般の方々は別にいいのですが、やはり彼らは単に勉強不足なんだなと
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鳥居強右衛門の姿を今に伝える背旗は、「落合左平次指物」と言われるものです。かつて落合は武田家臣とされてきましたが、金子拓氏の調査により、子孫家蔵の文書、記録、そして鳥居強右衛門背旗の下絵などの発見、精査がなされ、徳川家臣だったことが判明しました。 #時代考証の呟き
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れは同時に、大名側は忍びたちの妻子を保護し、安全を保障してもいるのです。そして忍びは任務を全うすれば、足軽大将(忍びの統率者)を通じて、褒賞が支給されるのです。このことを、わずかな台詞で表現した古沢さんの力量と、そして大鼠、服部半蔵の演技に、私は画面前でただただ脱帽していました。
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当然、描かれている猿は中国の猿と思いますよね。ところが、上皇陛下は、即座に日本猿と判定なさった。動物学者も、陛下の鑑定の通りだと言明。さて、では、なぜ南宋に日本猿が?などなど、様々な課題が浮上したとさ。
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第4回は、古沢さんによる家康の苦悩と決断という物語が展開されました。これが次回の、妻子奪回へどう繋がっていくのかをぜひお楽しみください。妻子奪回作戦は、大部分が脚色ですが、史実も含まれています。このことは次回の呟きでご紹介することにしましょう。
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あれはすべて古沢さんのオリジナルです。あんなことを思いつくのですから、脚本家って凄いですよね。恐れ入りました!! twitter.com/griffons_11/st…
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(6)関口氏純夫妻の成敗について 通説では、家康が今川氏から離叛したことにより、関口氏純は切腹を命じられたといわれてきました。これは『三河物語』以来の通説です。『松平記』なども、築山殿が「私こそが家康の本妻であり、信康の生母である。しかも私の父は家康のせいで命を落としており、皆は私
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(3)家康を大樹寺に包囲した敵が大草松平昌久だった話  大高城を脱出し、岡崎に帰還した家康たちが敵に攻められ、菩提寺の大樹寺に入ったというのは、地元で大変有名な逸話です。#どうする家康 #時代考証の呟き
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(3)服部半蔵の登場 いわずとしれた伊賀出身の服部半蔵正成が登場しました。山田孝之さんが演じる姿は、格好よかったですね。小説、テレビ、映画、漫画の影響もあり、服部半蔵は忍者だと世間では思われがちですが、彼は足軽大将で歴とした武士です。彼の生涯も、良質な史料がほとんどなく、謎に包ま
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(1)元康から家康への改名時期 今回の物語は、松平元康が、今川義元から与えられた偏諱にもとづく「元康」を捨て、「家康」へと改名することで、今川氏との完全なる訣別を告げようとする思慮を重ねるという内容でした。そして、家康と改名することの意味を、「どうする家康」という物語において、
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演出には、私たちは関与できません。脚本への意見もまた然りです。出来る限りのことはしています。要望も出来るだけのことはしています。皆さんも、会社で自分の案が採用される難しさを知っておられるでしょ。いかなる組織につきものです。それでも努力をすら。それがプロです。 twitter.com/t_katsuyori/st…
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大河ドラマについてのコメントは、出来るだけ避けているのですが、麒麟が来るは、あまりに不憫。放送直前のアクシデント、五輪対応による回数削減、そしてコロナ禍。
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戦国時代の武田軍の軍歌らしきものが伝わっている。ネットでも見ることができるようだけど、昭和40年代に小池藤五郎氏(立正大学教授、当時)が発見、紹介した。これ、意味が分からない部分があるとされていたけど、よく調べたら古甲州弁だった。面白いなぁ。いま、執筆中の著書で紹介しようと思う。