K・HIRAYAMA(@HIRAYAMAYUUKAIN)さんの人気ツイート(いいね順)

526
ハッキリ言って、家康研究は月単位で進んでいるので、専門家も大変。まぁ、だいたい前に進めているのは、あの4人ほどだが😅#時代考証の呟き twitter.com/suwasirou/stat…
527
拙著新刊『新説家康と三方原合戦』NHK出版の見本到着😄ほらほら、図版と写真豊富だよ‼️チラ見せ😆
528
【お知らせ】拙著『武田三代』PHP新書は、予定通り、9月14日発売が正式に決定しました。本日校了、9月3日見本出来です。どうぞよろしくお願い申し上げます🙏
529
静岡県の浜松、島田、掛川市などが連携して、家康対今川とか、家康対武田とか、家康と遠江国衆の駆け引きとか、いろんな切り口でイベント打てるよね。こうすりゃ、地元の伝承も集めて面白いことがわかりそう。知られざる史跡の掘り起こしと体系化とか。一緒にやろうよ‼️
530
戦国Walkerを買うた。千田先生とアタクシの対談が載ってますよ。よろしくお願いいたします🙇
531
さらに、天文17年3月11日付織田信秀宛北条氏康書状写に「岡崎の城は織田軍が押さえた」と記されており、これが事実と判明します。この驚愕の事実は、村岡幹生氏の論文「織田信秀岡崎攻落考証」(柴裕之編『徳川家康』戎光祥出版所収)で明らかにされました。この結果、広忠は、信秀に家康を人質として
532
いこと、などです。また、永禄5年1月に同盟が成立していたとしたら、信長の対一色(美濃斎藤)戦、家康の対今川戦、それぞれに相互が援軍を送っていてしかるべきなのに、その形跡が見られないことも重要です。また確実な史料にも、もちろん信長と家康が攻守同盟を締結したことを窺わせるものは、発見さ
533
結果が出るのを期待したいですね。
534
殿長照は。今川義元の姉妹を妻としていた今川一門で、息子氏長・氏次は氏真の従兄弟に相当する。そのため、今川一門の鵜殿兄弟を見捨てることが出来ず、人質交換に応じた、とされています。ところが、現在、今川氏の研究者はほぼこの通説を否定しています。鵜殿長照の妻が、義元の姉妹とする記録は、
535
(静岡県袋井市)を寄進した時の奉書に、「夏目次郎左衛門尉広次(花押)」とあり、当時の家康重臣層に、夏目姓で、次郎左衛門尉の官名は、「吉信」以外にはおらず、系図類の「吉信」は誤りで、「広次」が正しいことが判明しました。そこでドラマでは「広次」で登場するのです。いまだに、元は吉信で、
536
今川方の家康にとって大きな危機感を抱かせたと思われるのです。こうした史実を参酌しながら、家康の対織田戦が描かれたわけです。
537
いう意識が実在したと紹介しました。その後、一部の方々から、「家」というのは家臣など武家を指すのであって、百姓を始めとする民衆など含んでいない、とのコメントが寄せられました。残念ながら、当時の「家」は、民衆のそれをも包含するものです。戦国大名の主要財源が何か、ご存じですか?
538
「年貢」と回答した方は×です。「年貢」は原則として水田から米を納めさせるものです(但し、地域の特性により塩などの特産物が「年貢」となっていたことは、かつて網野善彦氏が明らかにした通りです)。戦国大名の手元に、「年貢」が入ってくるとすれば、それは御料所(直轄領)からです。実は戦国大
539
【お知らせ】東京堂出版の『武田氏家臣団人名辞典』ですが、これまでの増刷分がすべて蒸発してしまうほどの売れ行きにビビりまくった同社が、遂に異例の4刷を決断したそうな。だからもっと刷れって最初から言うてるやんけ😑🙄
540
広次は改名だと主張する人がいると仄聞しますが、根拠がなく、私としては受け入れることは出来ません。  次に、三河一向一揆のヒーローといえば、土屋長吉重治を思い浮かべる人も多いでしょう。一揆側に荷担したのに、家康の危機を座視しえず、彼を庇って戦死したという逸話は、広く知られています。
541
家康は幼少だったので、今川が保護し変な混乱に巻き込まれないようにし、将来の氏真を支える一門格にしようと、築山殿をめあわせ、在府させたというのが実情でしょう。家康は人質ではない。しかも、関口氏純のもう1人の娘は、北条氏規に嫁いだらしく、家康と相婿。しかも氏規も駿府に在府していた。
542
【お知らせ】告知が出ましたのでお知らせします。8月5日、一乗谷にて講演します。特別展「朝倉義景の一生」関連イベントになります。どうぞよろしくお願いいたします‼️ asakura-museum.pref.fukui.lg.jp/event/archives…
543
近い動きがあったのも事実です。織田は、桶狭間戦勝後、永禄4年4月、西三河の高橋郡にある梅ヶ坪城侵攻し、伊保城、矢久佐(八草)城などを攻め、遂に高橋郡(愛知県豊田市)を制圧しています。これは『信長公記』首巻に記録されています。高橋郡が信長自ら率いた軍勢によって制圧されたことは、
544
いたと思います。  ここで登場する夏目広次は、初期の家康を支えた重臣でした。かの文豪夏目漱石の祖先といわれています。江戸幕府が編纂した『寛政重修諸家譜』など、幕府の諸記録では、「夏目吉信」とされてきました。しかし、永禄12年12月23日、家康が紀伊国熊野山実報院に、遠江国山野庄土橋郷
545
今夜の会議は、とても面白く有意義だった。 #どうする家康
546
【お知らせ】やっと告知ができる運びとなりました。著書を10月末に出版します。もう二度と出さないジャンルのものです。なんと、シナリオ本。映画「信虎」の脚本第一稿を、いろんな事情で書くことになりました。完成したものの当然ボツ。また、これ以前に「武田家滅亡」のシナリオ素案(いわゆる箱書き
547
差し出さざるを得なくなったと考えられています。つまり、戸田氏なんぞを通じずとも、家康は引き渡されたと思われます。また、田原戸田氏の研究が進んだことにより、「康光」なる人物は実在しないことが明らかになりました。この人物に相当するのは、「宗光」です。この宗光は、松平広忠と同盟を結んで
548
御堂関白で著名な藤原道長は、倫子・明子という二人の「北政所」(正妻)が、豊臣秀吉も少なくとも五人の正妻(杉原寧〈北政所〉、浅井茶々〈西の丸、淀殿〉、京極龍子〈松の丸殿〉、織田氏女〈三の丸〉、前田摩阿〈加賀〉)が、関白豊臣秀次も二人の正妻が存在したことが
549
課税の対象となりました)。棟別を負担する民衆は、まさに国を支える存在だったのです。当時の史料に、一国平均役や百姓役などを「国にこれある者の役」とあるのは、まさにそれを端的に示す文言といえます。戦国大名の領国(分国)=「国家」とは、武家のみならず、民衆をも含み込む存在だったというこ
550
NHKから告知がでたようですね。来週7月14日の英雄たちの選択に出演します。なんと千田先生とご一緒に現地調査も行いました。よろしく御願い申し上げます。 twitter.com/jYGqnUZ4zgsmqK…