K・HIRAYAMA(@HIRAYAMAYUUKAIN)さんの人気ツイート(いいね順)

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一杯呑みながら、呟かせて頂きますと、「上田市民の皆様、真田家の松代転封は弾じて左遷でありませんよ‼️逆です‼️出世でーーす😁」
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外堀の確認などにより、縄張復元図の正しさが証明されています。その規模は、310×320メートルで、当時は99,200㎡もの広さでした。ちなみに東京ドームは、47,000㎡ですので、本證寺はその2.1倍もあるのです。外堀と土塁で囲繞された空間には、寺内町があったのですから、当時の本證寺は、町を内部に抱え
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ちなみに、江戸幕府のもとで、真宗は「浄土真宗」を公称とすることを許されず、「一向宗」であることを強制されていました。「真宗」の公称は明治5年になってからであり、さらに本願寺派が「浄土真宗」を公称とするようになったのは、大戦後のことでなのです(他の宗派は「真宗」を用いています)。
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戦場で、大将が軍功を挙げた家臣らに、刀剣、甲冑などを下賜するのは頻繁にみられることです。何ら問題ありませんよ。 twitter.com/usoyama_k/stat…
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【お知らせ】まだ詳細はいえませんが、来る11月3日祭日は、何としてもスケジュールをあけておいて下さい。甲府でなにかが起こる。凄いことが。もうこんなことはないだろなってのが。正式に決定したら、すぐにお知らせします。お楽しみに。
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りません。これは日本全国でみられた現象です。戦国大名の軍隊には、大名から知行を貰い、余裕があった者はごく一部で、ほとんどの兵卒は生活に苦慮していました。『三河物語』には、その苦しい生活ぶりがよく出てきます。特に、足軽として雇われた人々や、村町から動員された在村被官、村町から徴発さ
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何らの裏づけもない、印象論としかいいようがなく、まったく検討に値しません。松平・徳川氏の研究者は、そもそもこれを学説と認定すらしていません。最も可能性が高いのは、源氏の祖である、八幡太郎義家にあやかったというものでしょう。このことは、ドラマの台詞で触れられています。家康は、松平氏
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鎌倉殿の13人で、タイムラインがいっぱい。アタクシは、原稿で観られない。でもタイムラインの阿鼻叫喚でわかる。三谷さんの、脚本と俳優陣の凄さが。1冊目も、あと少し。待ってろ家康😞
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「軍師」が存在している設定とし、その人物を本多正信をしたことで、面白さが増したと思います。しかし残念なことに、「軍師」という役職は、戦国期には実在していないのです。それに近い言葉を探すとすれば「軍配者」ですが、彼らの役目は、「奇特」(不可思議な霊力)を持ち、日取り、月取りなどから
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二月廿五日、雨夜に紛れぬすみ出し」と記しています。また『三河物語』中巻にも「人質ヲ盗取ンタメに」とあり、人質奪還を「盗み取る」と表現しているのです。元康の正室瀬名たちを助け出すことを、「盗み出す」なんて失礼じゃないかとか、ありえないとか感じた方もいるかも知れませんが、
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認識が広まりつつあって喜ばしい。でも、今も学校の日本史では、これを教えている教員がいるようだ(何人か知ってる)。すぐにお止めになったほうがいい。生徒たちには「何かわからないことがあったら、すぐに辞書を引こうね。そうでないと、間違った知識のまま人生を送ることになるよ。わからない
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大学の吉丸雄哉氏により提起されています。今回、登場人物名が「千代」→「望月千代」であり、「千代女」ではないことに異論が出てくることが予想されます。恐らく、「千代女」の「女」は、女性名の下に付けられる「女」(じょ)でしょう。なので読みは、「ちよじょ」です。これは、男性名の下に「男」
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く家康の姿を、古沢さんは巧みに描き出しているように思えました。#時代考証の呟き #どうする家康
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過日、嬉しい知らせがあったと呟いたことですが、公表してもよいとの許可が出たのでお知らせします。拙著新刊『新説・家康と三方原合戦』NHK出版の増刷が決まりました‼️発売10日で実現です。これで累計2万部が視野に入ってきました。お買い上げ下さった皆様、ありがとうございました🙏まだの方はぜひ‼️
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本日5月8日は、新暦だが、豊臣氏滅亡、大坂落城の日。そして、真田大助散華の日。悲惨な落城と、人々の死は、戦国のゲルニカとも俗称される屏風絵として今も私たちに凄惨さを伝えている。全ての落命した方々に、遠く東の山国より合掌。
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のです」と言っていましたよね。これは当時の人々が使用していた本当の言い回しなのです。例えば、『信長公記』巻15において、武田一族穴山梅雪が、勝頼から離叛する直前に、甲府の穴山屋敷に残していた人質の妻子を、屈強な家来たちに命じて脱出させたこと「甲斐国府中に妻子を人質として置かれ候を
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らと連合して家康を攻め潰す可能性はなくなりました。こうして反家康一揆は、連携することなく各個撃破され、鎮圧されていったのです。 (参考文献) 村岡幹生『戦国期三河松平氏の研究』岩田書院・2023年
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やっぱり、わかる人にはわかるんですね。今川家中における家康の位置付けをどう表現するのかはとても大切な課題でした。 twitter.com/kou_mikabushi/…
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【お知らせ】アタクシの新著『徳川家康と武田勝頼』幻冬舎新書の発売が正式に発表され、Amazonでは予約受付が始まりました。出版は5月31日。ちょうど、大河ドラマも武田勝頼が家康と死闘を繰り広げる頃です。どうぞよろしくお願い申し上げます。amazon.co.jp/dp/4344986954/…
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今日は、本当に不愉快な思いをした。さる歴史番組で掌返しをされた。さんざん取材をされ、出演日時まで決まっていたのに、突然、他の方に出演してもらうことになりましたので、キャンセルさせてください。インタビューは撮ります、ですと。視聴率がとれる出演者なら、そちらに最初から頼めよ🤬
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この文書のご所蔵者と連絡がつきました。調査をお願いしたところ、快く許可して下さいました。コロナのマンボウ明けに、訪問させて頂くことに。そう遠くない時期に、史料がみられる。興奮を隠せません。続報を待たれよ😃 twitter.com/HIRAYAMAYUUKAI…
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本證寺は、現在では内堀、土塁に囲まれた本堂などがありますが、戦国期は広大な外堀に囲まれた巨大な寺域を誇っていました。現在も残る絵図と、地形、小字図をもとにした縄張復元がこれまで、千田嘉博氏を始め、何人もの研究者によってなされてきました。そして、今では発掘調査が進められており、
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作為に翻弄されてきたといえるこれまでの状況を、文書と記録を頼りに検証しなおす時期に来ている。すでに、そうした研究が増えている。
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実際に戦国文書を見ていると、当時の兵卒たちは、兜もかぶらず戦っていたり、軽装で敵陣に突入もやってるんですよ。だから、大名が「兜ぐらいかぶれ、見苦しい」と怒ってます。古い長篠合戦図屏風には、兜もかぶらず、軽装で織田軍に突入する兵士が描かれてますね。 twitter.com/kamaeatte/stat…
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週刊朝日は、今日発売されました☺️千田先生とアタクシの対談が掲載されておりますよ。よろしくお願いいたします🙇