JAPAN GT-E(@japangte)さんの人気ツイート(新しい順)

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機関区入口から見える位置にはEF63 1がいました。 整備中か、貫通扉が交換されていたようですが、さて何番から流用したのかな?
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利府のサシ481 5両たち。 長年の留置でだいぶ傷んでおりましたが、かろうじて往年の名残は感じ取れました。 今回は敷地外からの撮影です。
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新大阪からは、もうひとつの念願だった「100系2階グリーン車乗車」をしました。 東北でもありましたが、やはり東海道の100系は羨望の的でしたね♪ この時はG49編成にお世話になりました。 先頭の124-49と両DDをしっかりと記録。
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今度はカヌ485系の「雷鳥」。 1号車はクハ481-1507、そして先頭の9号車はこれも元仙セン車、クハ481-28でした。 28は当時「4個タイフォン」状態の注目車両でしたね。
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クロ151とクハネ581のモックアップと運転台レプリカ。 151系のほうはかつていろいろ物議を醸したことがあったようですが、やっぱりこちらの「ほぼ正装」が良いですね。 581系は「なは」が泣かせる・・・😭
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思いもかけないことにびっくりしながらも、ありがたく撮影。サロ455-2の車内にも入れていただきました。 ちなみに先ほどの「違和感」は、機関区の方はこっちを撮りに来たと思っていたようで、それで「おや?」と思ったのではないかと、今では思います。
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で、お礼を述べて帰ろうとしたところ「駅の方に声を掛けて下さい」と言われ、「?」と思いながらそうしたところ、「では行きましょうか」とまたヘルメットを渡され、案内されたところがこれ。 半月前に岩切にいたサロ455とサシ481が回送されてきておりました(私は知らなかった)。
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この日は「さよなら715系号」の運転があったので、最後の姿を収めに仙台駅へ。 どんな感じの「別れ」になるかと思いきや、装飾は前後にステッカーのみ(しかもクハ715-1007はずれてる)、お別れ放送などもなく、単なる「1本の列車」として呆気なく発車していき、あんぐりとした事が思い出されます。
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生粋の宮城県人として、やはり「あの時」のことは忘れてはならないですね。 また、時期的に撮影するのが憚れる思いはありましたが、鉄道輸送を支えてくれた「リレー号」のことも忘れないでいこうと思います。 彼らがきっと、仲間たちのいる場所で「語り部」になっていると思いながら・・・。
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その後鶴見へ。 ちょうど古豪クモハ12052が入って来ましたので、じっくり撮影しました。 この時期って日中にもクモハ単行の大川支線列車がありましたね。
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これも初対面の22-75。 ただし、改修時に東北新幹線カラーに塗り替えられてしまいました。 ラインも200系に合わせているようで、ブルーに戻った後もそこを踏襲しており、現役時代とは微妙に異なっているとのこと。 室内は0系そのものです。 今日はここまで。 明日は旅の記録、最終回です。
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で、右の編成、奥多摩方の先頭車は試作車のクハ103-904、その後ろはサハ103-3002でした。 サハは仙石線依頼の再会、といった感じでしょうか。
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青梅の電留線にいた103系2本。 右の非冷房編成になにやら怪しい匂いがプンプンと・・・。
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品川で山手線に乗り換え、恵比寿へ。 これも目的のひとつ、「ビアステーション恵比寿」を撮影しました。 EF58のブルトレ色は初めて見ましたが、シンプルかつ上品な印象がありました。 後ろの旧客(オハフ46 2005)も、展望車風の改造が施されており、意外と違和感がありませんでした。
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当時あまりにも有名だったクハ401-14。 低運・デカ目の「東海形」オリジナルスタイルを最後まで残してくれていました。 この年の夏に小名浜?で解体されたと聞いています。
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1999年1月21日の記録。 いきなり「?」なシーンですが、この日はえらい強風で架線障害(引っかかり)があり一時抑止がかかってしまいました。 池袋行き211系の後ろには5766レがつっかえており、さらにその前の左カーブでは115系の「アーバン」が止まってました。
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新潟着。 カヌへの回送時に、列車番号を伝統の「702M」にして発車するサービスもありました。 居を同じにするクハ481-258との並び。かつては「白鳥」「いなほ」や東北特急として何度もすれ違った「同志」との組み合わせもまた格別です。 165系とは貫通型がベストカップルかな。