JAPAN GT-E(@japangte)さんの人気ツイート(いいね順)

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有料撮影会について「有料ならではのプレミアム感がある」という考えもあるようですが、そういう内容は無料時代も当たり前にありましたからね。 結局「無料だと不特定多数が集まるためトラブルが起きやすい」のと「鉄道会社が増収手段として目を付けた」ように思えます(私的感覚、反論不要)。
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「なんでE231が京葉線に?」がトレンドのようですが、私にとって「なんでコレが京葉線に?」はやはりこちらでしょうか。 このあとこれに乗って帰りました。
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さて、私が乗った「しおさい7〜12(7〜14?)号」ですが、所定6連のところこの日は増結されて9連で運行されておりました。 そうです、房総名物?3+6連を目の当たりにすることができました! この時は1〜3号車が増結で、クハ183-20とモハ183-14がしっかりと貫通されておりました。 生で見られて良かった♪
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この年の「もうひとつの目玉」は、美しく整備されたキハ391でした。 書籍でしか見たことはなく、なんかいるらしい噂は聞いていましたが、現車を目にしたときは「うわー」となったものです。 実はこの時の特急シンボルマークは正規のサイズではないんですよね。
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当時「まだ残っていた!」と驚いた「タンポポ号」。 奥のクモハ100(しかも800番台)の全長切り詰め具合が分かりますね。 2002/8/24
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30年前、1992年6月に撮影したものを。 この年の4月から、通学で仙石線全線を4年間往復する日々が始まりました。 この時期の仙石線はまさに過渡期、各種103系が入り乱れて面白い状態でした。 仙台駅どん詰まりでの面撮は「ど定番」でしたね。
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ちょっと流れに乗っかって、23年前の勝田公開。
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1992年6月30日、この日は山形新幹線開業前日つまりは特急「つばさ」ラストデーでした。 大学終了後僅かな時間を使って仙台駅での撮影をしました。 良いカットが殆どなく、6連は辛うじてこれだけでした😫
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隣のホームから4分の接続で発車する安房鴨川行き729M。 マリ306編成のお世話になりました。 先頭のクハ111-1346は「鉄仮面」スタイル。撮りたかった顔でしたので、喜んだものです。
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489系「あさま」、どっちが人気あるのかな? 塗色、形態いろいろ理由づけあると思いますが。
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2001年10月6日の記録。 この日は所用で大宮へ。性懲りもなくカメラ持ってました😅 高架下にいたクハ204-105。ちょっと経歴が垣間見えました。
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これらが有料撮影会の対象ですか。 時代は変わりました。
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これを憶えている方はどれくらいいるだろうか・・・。
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20年前の2002年6月23日、東北新幹線開業20周年記念日はちょうど日曜日でした。 当たり日に記念列車が走れたのは良かったですね。 鼻先の装飾は後に展示されました。
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(約)21年の時を超えて、同じ構図で撮影。 車種は違えど、令和の世にこのカラーリングを見られることの喜びは、言葉に言い表せない☺️
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お目はこれ、小山に転入した113系1000番台でした。 この時期、一時的に予備補充のため入ったもので、雑誌に運用が載っていたので撮ったものです。 特徴あるマスクに塗り分けは115系というアンバランスさは写欲をそそりましたね〜。 残念ながら早いうちに消えてしまいました。
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本日のTLに「ネタモノ人多すぎ駅三脚バルブでも統制が取れていた」という話がありました。 私にも思い当たる事があり、↓のシーンがそうで、今だったら罵声・小競り合い必至でしょうね。 当時もおそらく100人単位の人集りでしたが、場所取りから撮影まで全員が「阿吽の呼吸」で動いていたと思います。
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この日は「さよなら715系号」の運転があったので、最後の姿を収めに仙台駅へ。 どんな感じの「別れ」になるかと思いきや、装飾は前後にステッカーのみ(しかもクハ715-1007はずれてる)、お別れ放送などもなく、単なる「1本の列車」として呆気なく発車していき、あんぐりとした事が思い出されます。
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利府の留置線を知らない世代が出てきてるんですね。 どうりで年取った訳だ。
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先ほどの大宮取り込みロクゴー画像、高崎線列車からの撮影でした。 時期は2001年7月ですが、この頃にはちょうどこちら↓もいました。 展望室部分に無造作に積み上げられたシート群が、なお侘しさを醸し出してるように思います・・・。
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程なく那須塩原発の臨時快速が到着。 約10分の接続で、しかも同一ホームでの乗換という、実にスムーズに盛岡まで行けるダイヤ設定、見事としか表現できません。
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この日は利府へ自転車で。 途中、新幹線の2連姿を見つけ「なんじゃこりゃ?」と行ってみたところ、塗り替えられた961-1+961-6でした。 こちらは-1側。今の据え置きとは逆向きで、この時点で鼻先の「高速試験車」も消されておりました。
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30年前の仙台地区の日常。
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画像再掲で補足。 キハ391系はガスタービン試作車のイメージが強いですが、実は振り子式試作DCの役割もあったんですね。 「ツチノコ」と呼ばれたこのスタイルも、車体後半を見れば591系に通じるところがあるかも。
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ちょっと715系1000番台を出したので、再掲ですが利府に運用前疎開の姿です。 方転されてなかったり特急シンボルマークとJNRマークがあったり、いろいろエラーがあります。 1984年11月3日撮影。