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クハ115の手すり高さの違いが撮れた時がありましたので、上げておきます。 右側が標準のクハ115-387、左側が高いクハ115-313です。
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利府のサシ481 5両たち。 長年の留置でだいぶ傷んでおりましたが、かろうじて往年の名残は感じ取れました。 今回は敷地外からの撮影です。
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1999年10月24日の記録。 前日の興奮も冷めやらぬまま、友人を「碓氷峠鉄道文化むら」へ案内。 事前に調べた結果、ちょうど熊谷発の臨時列車「EF55碓氷号」があることを見つけ、これを利用することにしました。 まずは発車待ちの同列車。三脚使用でも問題なかった頃が懐かしい・・・。
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5月30日の記録、1999年が撮影なしなので、今回は1998年を。 この日、品川駅で「ブルートレイン・フェスティバル」がありました。 メインは同年7月にデビューする285系「サンライズ」の展示でした。参加された方もいると思います。 私も開始前早々と赴き、設営から撮ってました。 続きはのちほど。
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長瀞で下車した目的はこれ。 「SLホテル」があると聞いていたので、それを見に行きました。 現在は横川にいるD51 96を先頭に、20系を連ねた姿は「壮観!」でした。
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八甲田丸の向かい側には、塗色変更されたDCが3両いました。 キハのゴハチニハチかな?と思いましたが、よく見たら側窓が二重だったので、キハ27と判りました。 車番は塗りつぶされていたので不明でした。 周囲の車が時代を感じさせます。
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日にち不明ながら2000年7月頭に撮影。 大宮にいた「ひたち」色485系4両。クハ481-1105とモハ485-1071の姿がありました。 この後ろにモハ484-1071とクハ481-1107がおり、のちに「せせらぎ」になります。
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今度はカヌ485系の「雷鳥」。 1号車はクハ481-1507、そして先頭の9号車はこれも元仙セン車、クハ481-28でした。 28は当時「4個タイフォン」状態の注目車両でしたね。
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で、お礼を述べて帰ろうとしたところ「駅の方に声を掛けて下さい」と言われ、「?」と思いながらそうしたところ、「では行きましょうか」とまたヘルメットを渡され、案内されたところがこれ。 半月前に岩切にいたサロ455とサシ481が回送されてきておりました(私は知らなかった)。
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日中熊谷駅を覗いたら、ちょうど試運転表示の秩父鉄道5000形がおりました。 都営三田線から移籍してきたばかりの同車、これより非冷房の2000形(元東急7000形)を駆逐していくことになります。 たまたま開いていた乗務員扉から中を見ると、元の車両番号を残すものがありました。
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生粋の宮城県人として、やはり「あの時」のことは忘れてはならないですね。 また、時期的に撮影するのが憚れる思いはありましたが、鉄道輸送を支えてくれた「リレー号」のことも忘れないでいこうと思います。 彼らがきっと、仲間たちのいる場所で「語り部」になっていると思いながら・・・。
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青梅の電留線にいた103系2本。 右の非冷房編成になにやら怪しい匂いがプンプンと・・・。
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この日の午後は大宮へ。「ある目的」で行きました。 時間を合わせてホームに行くと、211系と「お目当て」が並びました♪
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デハ354と355の並び。 中央前橋駅は、雰囲気も良くて印象に残っております。構内の撮影もしておけばよかったかな。
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その後鶴見へ。 ちょうど古豪クモハ12052が入って来ましたので、じっくり撮影しました。 この時期って日中にもクモハ単行の大川支線列車がありましたね。
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1999年1月21日の記録。 いきなり「?」なシーンですが、この日はえらい強風で架線障害(引っかかり)があり一時抑止がかかってしまいました。 池袋行き211系の後ろには5766レがつっかえており、さらにその前の左カーブでは115系の「アーバン」が止まってました。
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で、右の編成、奥多摩方の先頭車は試作車のクハ103-904、その後ろはサハ103-3002でした。 サハは仙石線依頼の再会、といった感じでしょうか。