R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(古い順)

326
この後、近隣地域での聞き取り中、赤い三連星に追いかけられました。何処に行っても、動物に追いかけられている気がします・・・
327
潰れた茅葺き家屋。電灯は無人の集落を照らす。炭焼き、養蚕を業合としてきた山間の集落。集落が無人になったのは5、6年前という。首都から僅か60km。それでも人はいなくなった。
328
『これでも都道だ』 人口1396万の大都市 東京都。日本の中心とも言える東京都の道路であっても、それが立派とは限らない。
329
『闇へと伸びる吊橋』 その吊橋は見るからに頼りなく、できることなら渡りたくない。しかし、渡らなければ闇の中は分からない。闇に向かって一歩を踏み出す。
330
探しものは身近にあることが多い。しかし、それに気づけないことも多々ある。七百年を超える歴史を持つ集落。その存在を確かめるために集落に向かった。しかし、目的のものは見つからなかった。が、写真で見ると写っていた……遅くなりましたがスレッドの準備が整いました。日曜日にツイートします。
331
スレッドにします。 『八軒以上に増えない集落』それは姫の怨みだとも伝えられる。愛媛県の奥深く、既に住む人はなく、最新の航空写真からも姿が消えた集落がある。しかし、今も地図に残るその集落は、かつての街道沿いにあり、長い歴史を誇るというのだ。伊予三島市『元之庄』集落の今を記録する。
332
今回Tさんにお聞きした内容、更に周辺地区で聞き取りした内容は、大変貴重なものでした。それら内容がツイートに収まりきらないので、リンク先のPDFファイルに纏めます。ご覧になれない方は連絡をお願いします。(PDFファイル:101MByte) drive.google.com/file/d/1ku72IF…
333
『山の暮らし』 それは大都市のそばにもあった。近年まで東京都に存在したモノレール集落。ここでは長い年月、山の暮らしが営まれていた。しかし、時代とともに人々は集落を去り、遂には無人の集落と化した。住人の大事な足であったモノレールも撤去された。今、山の暮らしは急速に失われつつある。
334
ある日を境に人々が去った島。僅かな耕地のこの島では多くの人を養うことが難しく、長い間世帯数が変わることはなかったという。しかし、次第に時代に取り残され、人々は島を出ていくことを決断したのだ。離島から50年経ち、緑は島を飲みこんでいた。それでも人々の営みの跡は消せなかったようだ。
335
古地図に描かれた大入集落の一軒家。続報がありました。やはり家屋跡があったようです。しかし、あの険しい大入集落から更に山の中に、何故一軒家があったのでしょうか。何か理由があったのかもしれません。 chunichi.co.jp/article/445241
336
『鶴江の渡し』こと『市道 浜崎鶴江線』 水の都・萩に残る手漕ぎの渡船。橋のない地区を結ぶ、地区住民の大切な足だ。生活に密着した渡船で、且つ手漕ぎの渡船は、国内に殆ど残っていない。しかも、渡船と言っても市道扱いなので料金はかからないのだ。
337
等高線が密に書かれた険阻な地形。ここに人が住んでいた。たったそれだけのことだが、惹かれずにはいられない。
338
四国山地にある航空写真に写らない集落。木々の下に隠れるように存在する。神社、祠、山道と、その立派さには驚かされるが、この集落を知る人はごく僅かだ。
339
前回のスレッドのツイートから随分間隔が空いてしまいました。現在、山の集落と、離島のスレッドを並行して準備中です。5/21ツイート目標で進めています。他、各地の現地調査も進めています。順次スレッド化していきますので、今しばらくお待ち願います。
340
高知県東部。人口減少の激しい地区にある立派な神社。知名度はそれほど高くないのだが、巨木と荘厳な雰囲気が素晴らしい。このような素晴らしい神社が気取ることなく地域に溶け込み、地域住人の方々から大切にされているのが高知県のいいところだ。
341
『石造物が溢れる集落』 よほど信仰深い集落だったのだろうか。多くの石造物が立つ集落。画像以外にも数多くの石造物が立つ。しかも、石造物はどれも立派な造りだ。何故これほどまでに石造物を建てるのか。未だに手掛かりを掴めずにいる。
342
酷道・険道をよく走る人に見られる困った病状 『標識や看板が信じられなくなる病』
343
スレッドにします。 『消える集落』画像に写る危なげな都道。数年前まで、この先に人の住む集落があった。人口1399万を誇る大都市の東京都。その東京都心から僅か60kmの場所に、近年になって無住化した集落があるという。集落の現状を確かめるために、檜原村の『猿江集落』に行ってみた。
344
R157は本日開通しました。岐阜県~福井県の通行が可能です。また、R471・472楢峠は6/3開通予定です。ただし、状況によっては変わるかもしれません。(画像は過去のR157です)
345
スレッドにします。 『売られた有人島』断崖に囲まれた小さな島。50年前、島は売却された。それは島民たちにとって苦渋の決断だった。地図上には、今でも建物と神社の記号が見える。しかし、航空写真に写るのは、緑に包まれた島の姿だ。売却から50年後の島を確かめるため、萩市『尾島』に行ってみた。
346
かつて、萩市の沖合には、6つの島で構成された六島村(ろくとうそん)という村があった。6つの島のうち、尾島を45年前の航空写真で眺めた。海岸近くに身を寄せ合うかのように家屋が立ち、内陸には青々とした畑が広がる。鮮やかな色彩を持つ島は、何故売却されたのか。令和4年春、尾島に渡った。
347
尾島は、萩市街地の北西約10kmに浮かぶ、面積0.34平方kmの小さな島である。島は溶岩台地から成り、その姿は平べったく、南側の砂浜を除いて周囲を海蝕崖に囲まれる。元々は、尾島、羽島、肥島、大島、櫃島、相島の6つの島で六島村を構成していたが、S.30年に萩市に合併され、現在は萩市に属している。
348
夜明けの尾島。釣り客に混じって尾島へやって来た。巨大な丸石を積み上げた港へ降り立つ。小さな島にしては立派な港だ。港から島を見渡す。青く美しい海とは対象的に、内陸部に見えるのは濃厚な藪、藪、藪……あまりの藪の激しさに少々怖気づくが、考えていても仕方がないので藪の中に入り込む。
349
まずは学校跡へ向かった。昔の航空写真から、尾島の学校は港近くにあると分かっていた。確かに、港から校舎の屋根が見える。距離にして僅か100mだが、濃い藪が行く手を塞ぐ。藪を掻き分けて進むが、校舎が近づくにつれて藪の密度が濃くなる。何度も藪に押し返されながら前進を続ける。
350
『相島小・中学校 尾島分校』 朽ちゆく校舎。M.18年開校、S.40年廃校。S.40年、萩市は僻地教育の欠陥を補う目的で、市街地に寄宿舎を創設した。親たちも理解を示し、島の分校は廃止され、子供たちは寄宿のために島を出た。このことが島売却の引き金になるとは、誰にも想像できなかった。