R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(古い順)

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集落内を探索した後、神社を探す。大入に神社があることは知っていたが、場所が分からない。地図では、集落外れに小さなピークがある。何となくその方向へ向かうと、植林が自然林に変わった。次々と現れる石仏、古びたお墓。奥には社が見える。地形のためなのか、社に近づくにつれて風が出てきた。
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『花山神社』 社が無残な姿を晒す。境内に刃物を入れてはいけない言い伝えがあるので、荷物を置いて境内に入った。古くは大入の古屋敷にあり、明治初年に現在の地に移された。寛仁年代の棟札が見つかっているので、千年の時代を超えてきたことになる。しかし、 この姿が見られるのもあと僅かだ。
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『天狗の降りる木』 神社の脇に栂の巨木が倒れていた。倒れてから時間が経ち、苔生している。この木では飯塚八天狗が翼を休めたという。それ以外にも、花山天皇が御自作したと言われる木像、元々神社のあった古屋敷の謎など、大入にはいくつもの伝説が存在している。更には、花祭とも深い関係がある。
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奥三河の伝承に、花祭と呼ばれる霜月神楽がある。大入集落にも花祭が存在していた。しかし、大入から人がいなくなると共に花祭は途絶え、花祭祭具は東栄町の花祭会館に寄贈された。花祭の始まりには諸説ある。大入では、この地に隠れ住んだ花山天皇を偲び奉ることから始まったと伝承されていた。
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県道に戻ってきた。この急斜面の先に集落があったとは全く想像できない。何故、険阻な渓谷の真っ只中に住む必要があったのか。確かに、昔は山の恵を求めて山奥に住むことが珍しくなかった。それでも、これほどの険しい場所に住む必要はないだろう。何かしら大きな理由があったのではないか。
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桜の咲く頃、大入集落と山を一つ挟んだ東薗目地区を訪ねた。大入関係者であり、大入の本も出版されているOさん(S.3年生)からお話を伺えることになったのだ。50年近く大入のことを調べておられるOさんのお話は大変貴重なものだった。リンク先にお聞きした内容を纏めます。 drive.google.com/file/d/1js32eO…
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東薗目地区からの帰路、花祭会館に寄った。様々な展示物の中に、大入花祭の鬼面があった。この鬼面を含め、大入の花祭祭具は、国の登録有形民俗文化財に指定されている。Oさんは仰る『どうしてこんな山の中に国の重要文化財になるようなものがあるのか。どこから運ばれてきたのか。どこで作ったのか』
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大入の離村から60年経った。集落の姿は消え、当時を知るのはOさんだけになった。しかし、大入の地にあった多くの伝説は、花祭の鬼面に宿り続ける。伝説は伝えなければ消えていく。集落の存在が忘れ去られようとしている今、『花祭の鬼面』は時代を超えて、大入の伝説を後世へと伝えていくのだ。
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以上で大入集落についてのツイートは終わりです。大入訪問にあたり、大変お世話になりました東栄町教育委員会様、お話を伺わせていただいた東薗目地区のOさん、そして花祭に関して色々ご教授いただいた花祭りだのんさん(@kawagggg)には、この場をお借りしてお礼申し上げます。
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今回の大入資料中で触れた行方不明の【太刀(菊一文字)】について補足します。Oさんの本には、『戦後刀剣類の提出を免れるために山中に隠す(盗掘される)』とあります。しかし、元東栄町長は、本の序文でこう書かれています。
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地理院地図に見える神社のマーク。そこには一体何があったのか。 今回は大入集落のスレッドをご覧いただきありがとうございました。次のスレッドを何処にするのかは決めていませんが、5月中を目処にツイートする予定です。しばらく先になりますが、どうぞお待ち願います。
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『素晴らしい集落内の道』 十津川村の奥まった場所にある集落。現住は2世帯。空き家も多いが、美しい山村の風景が残っていた。
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集落の神社は地理院地図に載っていない。雰囲気が素晴らしい。
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明治30年に造られた『海底への入口』。丁寧に造られたものは、何年経ってもその姿が残る。
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ご存じの方も多いと思いますが、熊本県牛深の烏帽子坑跡です。熊本県は、山も海も素晴らしく最高です。
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酷道・険道における理想と現実とは。
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そこに暮らしは残るのか。便利になった現代においても、たったそれだけのことが分からない。信州の山中にある集落に、人の姿を見かけることはなかった。
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スレッドにします。 『無人島の半世紀』緑が生い茂るこの島に、多くの暮らしがあったことは想像できるだろうか。立ち並ぶ家屋、広がる畑、学校と校庭、過去の航空写真に見える暮らしの姿は、何処にも残っていないのだ。人々が集団離島してから半世紀を迎える無人の島。牛深市『大島』の今を記録する。
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1975年と2014年の航空写真。あまりの変わりように驚いた島がある。熊本県牛深市(現・天草市)中心部の西方に位置する大島。『うしま』とも呼ばれ、多い時には400人近くの人口があった。しかし、S.49年12月5日を境に、大島に住む人はいなくなった。過去の航空写真に写る町並みはどこに消えたのか。
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遠い昔、村の中心だったという集落。その面影はどこにも無い。集落内に人影はなく、鶏だけが鳴き続けていた。次のスレッドは、山の上にある集落になります。今から準備を始めますので、7月初旬~中旬にツイート予定です。
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これでも天下の国道か。長らく『開かずの国道』と言われてきた国道471・472号線の楢峠。今年も冬季閉鎖が解除されました。楽しい峠道ですが、これが国道と言うから、酷道・険道属性の方には堪らないのです。もちろん、落ちたらただじゃ済みません。どうぞお気をつけて。
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岐阜県側、集落跡の標識を登っていくと、熊野神社跡があります。話は変わって、『日本三大酷道』という言葉があります。R418、R425、R439と言われてきましたが、時代とともに道路整備が進み、そろそろ見直しの時期に来ていると思います。個人的には、このR471・472も三大酷道に入れたいところです。
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『日本三大酷道』を検証してみた。 国道418号線、425号線、439号線は、日本三大酷道と呼ばれることがあります。実際にそうなのでしょうか。まずは、数値で考えてみました。
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モノレールを辿って小さな集落へと向かう。そこに人が住んでいるのか、いないのか。これだけ便利な世の中でも、現地でなければ分からないことは数多く存在する。
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『焼畑のムラ』傷んだ観音堂の中には、500年前の十一面観音像が祀られている。そして、裏の急斜面を登った先、鍾乳洞の中には弁財天が祀られている。これほど魅力的な場所でも、観光客は殆ど来ない。次のスレッドのために、再度この村を訪れました。7月初旬~中旬ツイートまで暫くお待ち願います。