R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(新しい順)

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『青崩峠トンネルの掘削率が98%』 静岡県から長野県に至る車道はたったの2本。それも林道だけだ。青崩峠トンネルが開通することは大きな意味を持つ。中央構造線そばで、「あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」と書かれるくらいの場所だが、貫通まで残り2%だ。これは期待するしかない。
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人生を示しているようで悲しくなってしまう究極の行き止まり看板があった。
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『近くて遠い神社とは』 この神社のことだ。
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『一人になっても島を守る』 島民の結束力が強いことで知られていた島。災害をきっかけに島民は急激に減少し、ついに一人になった。それでも残る島民の方は、島の再生を目指して孤独な戦いを続けている。
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『取り残された神輿』 立派な神輿が埃を被る。今、この島に住む人はいない。島が無人になるとどうなるのか。4枚の画像で物語る。
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この装置のプレス資料はリンク先です。マイナス2度以下になったときや、道路上の積雪が3センチに達した時にセンサーが感知し、3メートルの高さにあるヒーター7台が一斉に車道に向けて遠赤外線を放射し、雪の結晶を振動させて熱を起こすことで、雪をとかす(NHKより) hrr.mlit.go.jp/press/2022/1/2…
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石川県の国道8号に、遠赤外線装置を使った融雪装置が試験的に設置された。ナトリウムランプの照明に見えて、これでも融雪装置だったりする。確かに、照射部分の雪は溶けて効果がありそうだ。
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『遠赤外線で道路の雪を溶かしてみた』 冗談かと思ったら、本当に溶かしていた。 (石川県の国道8号にて)
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スレッドにします。 『荒地の記号が記すもの』地図から消えた集落は、荒地の記号に変わった。仁淀ブルーで知られる仁淀川。その支流に人気スポットの安居渓谷がある。多くの観光客が訪れる渓谷だが、渓谷の奥地に集落があったと知る人はごく僅かだ。荒地の記号を確かめるため『池川町』に行ってみた。
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カーナビ、スマホがなかった時代の酷道・険道走行とは。
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『一体の狛犬』 集落の神社は潰れ、一体の狛犬が取り残されていた。もう一体の狛犬は何処へ行ったのか。約40年前に無住化した大きな集落。どの家も立派な作りで、豊かな集落だったと想像できる。しかし、豊かさがあっても時代の流れには敵わなかった。今も残る家々は辛うじて当時の姿を留めていた。
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『刀の眠る本殿』 たった一人、この神社を管理する人がいる。今年一年、皆様には多くのことをご教授いただきました。この場を借りてお礼申し上げます。また、私の力不足ゆえ、スレッド化できたのは谷折、尾島、猿江、元之庄の4箇所だけでした。多くの情報をいただきながら纏めきれず申し訳ありません。
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スレッドにします。 『雪に閉ざされる集落』小さな独立峰の麓にある一軒家。かつて五軒あった集落の現在の姿だ。多い時には4~5mの雪が積もり、集落への道は全て閉鎖される。それでも1人、雪に閉ざされる集落に残る人がいたという。集落の始まりから555年目を迎えた八尾町『谷折集落』の今を記録する。
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『奇跡の清流』四国の山中にそう呼ばれる渓谷がある。今では名の知られた渓谷で、この滝にも多くの観光客が訪れる。しかし、滝の先に集落があったことを知る人は殆どいない。人里から離れること15km。電気も電話も通じることはなかった。それでも昭和50年代まで、人の営みがあったという。
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『山峡の集落に日が昇る』 急な斜面に家屋が密集し、谷底には奇跡の清流と称される河川が流れる。耕作地は綺麗に手入れされ、集落背後の山の頂には神社が立つ。理想的な美しさを持つ山岳集落が四国山地にあった。
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『巨石』 物凄い大斜面が目の前に広がる。大斜面にあった集落へ向かった。集落の場所が分からず山の中を彷徨っていると、巨石が現れた。巨石前には石段と祠跡があり、平場もある。祀られていたことは間違いないが、後で周辺地区で聞き込みしても、皆さん知らないと言う。この巨石は一体何なんだろう🤔
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日本最後の未舗装国道R458が舗装された、と言われていますが、実際には国内の一般国道総延長55874kmのうち、291km(自動車交通不能区間142km)が未舗装で残ります。R458は日本最後の【まともに走れた】未舗装の区間があったが正解で、【まともに走れない】未舗装の国道区間はまだまだ残されています。
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その存在を示すかのように、小さな祠を日が照らす。かつて、ここには神社があった。集落から人が離れて50年。離村後に植えられた木々は、集落を覆い隠すかのように大きく成長した。当時は車道もなく、交通手段は川舟だった。そのような地であっても、元住人の方はこう仰るのだ。『ここは宝の山だった』
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酷道・険道のまとめを更新しました。旅行のお供に利用ください。 リンク先を参照願います。(PDFファイル:21.5MByte) drive.google.com/file/d/15aMSre…
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『国道とは』 国道とは、国が政令で指定した道路である。そうなんです。
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なお、戦争孤児施設は『高島海洋少年共和園』と呼び、S.22年に開園されたが、入園していた孤児の放火によって建物が焼け、S.28年に閉園した。現在、この無人島にはキャンプ場があり、地図に描かれた道とトンネルは遊歩道として利用されている。
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無人島に描かれた『行くあてのない道』 これは一体何を示すのか。島には、戦前は要塞、戦後は戦争孤児の施設が作られた。そして、地図に描かれた道は軍道であり、トンネルは弾薬庫等の軍事施設だったのだ。今ではウミネコが飛び交う自然豊かな無人島だが、地図には今も戦争の記憶が記されている。
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土佐の山あいにある小さな旅館。建屋の一部は築100年を超え、風呂は薪で沸かす。女将さんは現在90歳。旅館を1人で切り盛りする。昔、林業が盛んだった地域で、旅館は行商人で賑わったという。女将さんが旅館に携わってから65年。時代とともに町は変わった。それでも女将さんは、今日もお客を迎え続ける
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かつて祭礼時に『当渡し』という行事がありました。神社の祭の当家四人と、次の当家四人が集まり、当渡しを行います。その際、ゆでた葉っぱを重箱に入れ、二人ずつお椀に酒をついで飲む。これを3回繰り返します。今では、集落の過疎化で行事は廃れ、行事のことを知るのはお婆さん1人になっています。
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集落から人が出ていく。お婆ちゃんは山を降りるか悩む。若い人は集落の人達の手助けをする。様々な人の想いが交錯する。この地域での聞き取りは2年間に渡りました。お聞きした数々のお話は深く、重いものでした。時間をかけて纏めていきたいと思います。