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誰かの力になりたいと思っても、その人の抱えるものの重さに圧倒され、ただ共に祈ったり沈黙したり手を握るくらいしかできないことがある。だがそれは決して無意味ではない。その人の抱えるほんの僅かでもしばし分かち合うことはきっとその人の何らかの救いになっているし、あなたは力になれている。
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何事もわからないよりわかる方がよいが、わからないよりもっと悪いのは拙速にわかったつもりになること。特に人と直に接する職に就く者は、相手をわかったつもりになることでその人生を左右する可能性があることを肝に銘じたい。わからないことを恐れず、人が人をわかろうとすることに謙虚でありたい。
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自分に関する悪い予言ほど当たるといわれるがそれは事実だ。根拠のない決めつけが自分の思考や行動を縛り、うまくいくはずのことも思うようにならなくなるから。未来のことなど誰にもわからない。何事も事前の準備や用心は必要だが、不吉な予言者にならないためにも、予断を持ちすぎないことが大切だ。
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誰もが大切な誰かの力に、光になりたいと願うもの。だが実際はうまく力になれなかったり、受け入れられなかったりすることも多い。誰かに尽くしたいと思ってもそれが実を結ばない時、人は深く傷つく。でも大丈夫。人が人を想う尊い力は心の中で仄かに輝き続け、またいつの日か光を放つ時を待っている。
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憧れていた景色が実際そこへ行くと思ったほどでもなかったということはよくある。同じように昔夢見ていた未来も、いざ現実になってみるとガッカリということも多い。大人になるとはきっとそういうもの。でもそこに辿り着いて初めて見えてくる本当の憧れの景色が、今歩く先に広がっているかもしれない。
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何でも興味を持ちやりたがることは結構なことだが、あれこれ手を広げて目立つ割に実は大したことをしていない人も少なくない。名刺やプロフィールに経歴や肩書が華々しく書かれた人を見るとつい羨ましくなってしまうが、自分の身の丈の地味なことを人知れず頑張っていることだって立派な経歴や肩書だ。
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目の前の大切な誰かのために、今日も献身的に尽くしたという方へ。相手の喜怒哀楽に一喜一憂しすぎてどっと疲れてしまっていませんか?誰もが感情を持った一人の人間。明日もゆとりを持って大切な人と向き合うために、たとえほんの僅かでも自分自身の喜怒哀楽を大切にする時間を持つこともお忘れなく。
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伝染病や飢饉に怯え戦が絶えなかった昔は日々を生き抜くこと自体明らかに価値があった。一見豊かな今を生きる僕らは「生きる意味」やら「生きがい」やら、目に見えない難敵との戦いを強いられる。戸惑うことも多いが、昔も今も目の前の一日一日を生き抜いたこと自体にまずは価値があることを忘れずに。
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社会に適応できず、苦悩や衝突の末に正気ではいられなくなってしまった人が100人いるなら、彼らがそこに至る過程も彼らの心の闇も100通り。彼らそれぞれの事情を勝手な理屈でわかった気になるのでなく、闇を直視し、目線を揃え真摯に向き合い寄り添う先にしか光はない。他者の心に常に謙虚でありたい。
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自ら命を絶つ人のニュースが駆け抜けた、2020オリンピックイヤーの仕事始めの日。ニュースをゆっくり見る暇もないほど、わが職場でもこの年末年始、自殺を考える人の受診や入院が相次いでいる。死は僕らの身近なところに常にある。どんなに景気のよい話題で、眩い光でごまかしても、影はなくならない。
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今年も、大切な人やもののためにずっと変わらずにい続ける一人でありたい。様々な出来事や、人と人との争い、噂や中傷等で、周囲の状況は刻一刻と変化する。それらに全く影響されないのは難しいことだが、できるだけ巻き込まれず振り回されずに適度な距離を置き、変わらずぶれない自分でいたいものだ。
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何も変わらないと嘆きながら、自分から変わろうとしない人は多い。無意味なことや本当はやめたいと思うことをずるずる続けていて、延々と同じことの繰り返しになっていないだろうか?少し時間の余裕のある休日などはそんな惰性で続けていたことを見直す好機であり、それこそがきっと変化の第一歩だ。
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大切な人を想い続けることは楽しいことばかりじゃなくて、苦しんだり悩んだり、どんな距離感で何をすればいいかわからなくなったりすることもある。人を想い寄り添うことは時に苦しい作業。でも自分が苦しい時折れそうな心を支え、道標になってくれることも。苦しさを分かち合い、支え合って、今年も。
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大勢の人ごみの中に身を置くと、自分自身の輝きが霞んで、いかに弱く微かに感じられることか。だがそんなあなたの輝きが、これまで他の誰かに希望を与え、道標になってきた。そのことを忘れないために、時には賑やかな雑踏を離れてひとり自分と向き合い、ほのかで優しい輝きをありのままに見つめたい。
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今日自分が見聞きし手にしているものが明日もあり続ける保証はない。たとえあり続けたとしても見聞きし手にする自分がそこに居続ける保証もない。自分の周囲にあるモノや人との繋がりは決して当たり前でなく、小さな奇跡や偶然の積み重ね。そう考えると一見平凡な日常も少しだけ眩しく見えてくるかも。
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この国では生真面目な人々の頑張りが発展を支え、今日の繁栄の礎となった。今も職場や家庭で、多くの生真面目な人々が誰かを支え、元気にしている。だがその一方で生真面目さゆえに自らを責め、苦しむ人も多い。何かと不安定な今、折角の生真面目さという長所を、自身の笑顔のためにもぜひ活かしたい。
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たくさんの優しい言葉や高価な贈り物よりも、そっと寄り添い続けることの方が人を救うことがある。ただ言葉やプレゼントを捧げるより、長く変わらずその人を想い、寄り添うことの方がしばしば難しい。大切な人に対して、変わらず、忘れず、ほどよい距離でずっと寄り添い続けられているか考えてみたい。
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時々躓いたり疲れて一休みしながらでも、目の前に伸びる坂道を登り続けよう。一歩一歩は小さくても着実に歩みを続けていけば、いつの日か見飽きたはずの景色がハッと息をのむような光景になって眼下に広がる時が来る。視点が変われば、これまでとは違った新たな気持ちでさらなる高みを目指せるはずだ。
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何度も同じことで躓き、同じように傷ついて、そのうち立ち直って歩き出すけどまた躓いて…人生堂々巡り、グルグル回ってばかりと感じることも多いけど、実際は失敗の経験値や歳を重ねたことにより、螺旋階段のように回りながらも少しずつ上へと上がっているのかも。そう信じ躓いてもまた顔を上げたい。
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長く生きていれば不自由さばかりが目について、自分が「カゴの鳥」のように思えてしまうが、「カゴの鳥」にも自由が全くないわけではない。自らの考えが不自由な自分をさらに束縛してしまわないように、柔軟に考え、創意工夫し、他者と適度に繋がりながら、カゴの中の最大限の自由を追求したいものだ。
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朝の日光浴は睡眠覚醒リズムの改善に役立つ。外の散歩ができればより効果的だが、日の当たる窓辺で朝を過ごすだけでも有効だ。寝る時刻が日々違っても朝の決まった時刻に目覚ましをセットし、眠くても二度寝せずカーテンを開けよう。日が短くて寒いこの時期、健康のため自然の力を味方につけたい。
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うまくいかない時ほど隣の芝生は青く見えるもの。つい自分もとあれこれ手を出しがちだが、結局どれも半端に終わり余計に自信喪失してしまいかねない。不調時こそ自分の足元をしっかり固めることが大事。あせらずに最優先でやるべきことにまずは集中しよう。今のままであなたの芝生も十分青いのだから。
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目の前で苦悩している人や応援したい人に対して、見返りを求めずずっと縁の下で力になり続けることは難しい。どうしても自分が、自分だけ、という考えがよぎりがち。だから人の力になることは苦しい。でもそんな人がいることは幸せなこと。その人と幸せを少しでも分かち合えるように、明日も微力を。
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一見八方ふさがりのように思われても、そこから一歩進んでみることで見える景色が大きく変わり、以前には考えられなかったような解決策が導かれることがある。追い込まれた時には思考停止に陥り、つい現状維持に傾きがちだが、そういう時こそこれまでとは違う方向に行動を起こす少しの勇気を持ちたい。