会長支持の声がこれほど大きくても私が絶望しないのは、今後、少なくない精神科病院が次々と閉院すると予想されるからです。現在の入院患者は高齢化が進行中で、この方々の多くがこのまま院内で天寿をまっとうされる可能性が高い。収容主義の必然的な帰結です。
精神科医にピストルを持たせよと冗談めかして「提言」されていたように(『日本精神科病院協会雑誌』2018年5月,pp. 401-402)、山崎会長自身の発言が「精神障害者は危険」「働けない」「入院のほうが幸せ」といった根拠なき偏見を助長している。偏見を強化しない発言を心掛けてほしいものです。
「変わんねえよ! 医者になって60年、社会は何も変わんねえんだよ。みんな精神障害者に偏見もって、しょせんキチガイだって思ってんだよ、内心は」 「社会が偏見を捨てないから我々が汚れ役を引き受けている」と言いたげですが、ご自身が精神障害者の暴力性を強調して→
精神科病床数を減らすことで、このアンバランスは改善できるでしょう。厚労省の方針である病床数削減に最も抵抗しているのが精神科病院協会ですから、間接的に地域移行の足を引っ張っているわけですね。
それは予算配分が原因でもある。「現在精神医療に使われている予算は1兆9,000億円(そのうち1兆4,000億円が入院費)、地域精神福祉に500億円。比率にして97:3」と以下の記事にもあります。 liberuta.com/report-italy/
「地域で見守る? 誰が見てんの? あんた、できんの? きれいごと言って、結局全部他人事なんだよ」 「批判するなら代案出せ」と同じ詭弁ですね。地域移行は日本以外の先進諸国では急速に達成されつつある世界の常識であり、厚労省の基本方針でもあります。受け皿整備が不十分なことは問題ですが→
山崎会長批判続き。「海外は入院させないからだ。デポ剤(持続性注射剤)打って帰しちゃう。入院が少ないから拘束数も少ないんだよ」 これは2重に事実ではない。
この統計が意味しているのはわが国の身体拘束が「現場」の恣意的な判断で、野放図に濫用されている可能性です。この件について、胸を張って「自分には一点のやましいところもない」と言える人とはたぶん対話にならないと思うので、私は私の立場と影響力の範囲でやれることを粛々とやろうと思いました。
日本の身体拘束は、件数の多さも拘束期間の長さも国際比較では突出しています。日本の精神障害者だけが重篤で問題行動が多いことを支持する頑健なエビデンスは存在しません。また拘束件数は西日本よりも東日本の方が有意に多いというデータもあります。東日本の精神障害者だけが以下省略。
私は長谷川教授の組織した「日本身体拘束研究所」のメンバーですが、現在よりも拘束の条件を緩和する方針はとうてい容認しがたいと考えています。それが可能な状況下では拘束は必ず濫用されるからです。
山崎会長はただちに記者会見を行い、精神科指定医以外の非専門家の意見が反映された判決は容認できないと主張しました。この直後、厚労省は身体拘束の条件を緩和するような法改正を提案してきており、長谷川教授らの激しい反対を受け、この論文の時点では保留ですが予断を許さない状況です。
注射を拒否して暴れたため10日間もの身体拘束を受け、エコノミークラス症候群で死亡した患者の遺族が提起した訴訟では、名古屋高裁で拘束の違法性が認められ原告が勝訴。被告側の病院は全国の病院長などによる56通の意見書を提出し最高裁に控訴しようとしたが、最高裁がこれを受理せず勝訴が確定。
そういうわけで私はクリーハンドではありませんが、多少なりとも内情を知る人間として批判は続けます。 「合法的」な身体拘束の問題は、以下の長谷川氏の論文に詳しく記されています。 yuki-enishi.com/kousoku/kousok…
私は2013年に筑波大学に就任しましたが、それまでは精神科病院(指定病院を含む)やクリニックの「現場」で二〇年以上の勤務医経験があります。もちろん患者を隔離拘束した経験もあります。保護と懲罰のいずれが目的だったか曖昧な処遇をした覚えもあり、今回の批判には自戒の意味もあります。
カルテや看護記録に適切に対応した「かのように」記載することは容易にできます。適切になされている拘束もあると信じたいですが、問題は不適切になされている拘束をチェックする方法も罰則もないことで、患者が死亡するなどの事態にならない限り、検証されることもありません。
身体拘束に関する精神保健福祉法の記述。 city.kyoto.lg.jp/hokenfukushi/c… 「身体的拘束を行っている間においては,原則として常時の臨床的観察を行い」「医師は頻回に診察を行うこと」などとありますが、「常時の臨床的観察」も定義づけられておらず、具体的な診察回数も記されていません。
精神医療関連の法律は、特に人権面がかなり遅れていて、外圧によって改正されてきました。精神医療の改革を願うなら、まず現行法が本当に患者の利益になっているのかを疑うべきでしょう。ちなみに内科での拘束の多さを例に挙げて批判をかわそうとするのは、「論点のすり替え」という初歩的な詭弁です。
「合法だから良い」という「現場的」な発想を悪徳病院の院長が言うならともかく、日精協の会長が言うのはいささか品位に欠けるように思われます。たぶん会長は「人間臭い、いい人」で、その人望ゆえの8期目なのでしょう。だとしても暴言は暴言です。
「基本的にね、精神保健福祉法に則のっとった拘束なわけ。それについて何だかんだ言うのは変だと思うよ」 「合法的なら問題ない」のであれば、1950年までは「座敷牢」も合法。1987年までは診断のいかんに関わらず、家族と医師が合意すれば強制入院(同意入院)も合法でした。
山崎会長の「暴言」が、暴言に見えない方、「会長は現場を良くわかっている」と思いたい方が多いようなので、これから山崎会長発言の問題点を指摘していきます。
現場主義を自称する人はしばしば、現場の暴力的な作用に傷ついた結果として、極端なニヒリストや露悪主義に陥るという定番コースがあります。それはそれでステレオタイプなので、「現場という幻想」にとらわれている点では、理想主義者と大して変わらないと考えています。
「会員を守るためにあえて汚れ役を演じてる」くらいの浅いヒロイズムが「この人には何を言っても仕方ない」というマッドマン・セオリーとして機能するという地獄(に、見える)。これを現場主義とか評価する連中は、恥を知っている人から恥について教わるといいんじゃないかな。
おお暴言だらけの会長インタビューが公開されてる。 tokyo-np.co.jp/article/261541 まるで人の話を聞く気がない。耳が要らない人に耳を分けてもらえばいいんじゃないかな。 この御方のせいで日本の精神医療の改革は氷河のように速いのだ
この比喩にオタクを使うのは釈然としないが、政治や問題にいっさい言及しないことが、「現状追認というかなり強めの政治的主張」になりうることについてナイーブなまでに鈍感なひとが多いことは気になってはいますよ。精神分析で言う「否認」ですね。togetter.com/li/2181858
精神障害を持つ人へのヘイトスピーチを繰り返す人間が精神科病院協会の会長8期目だそうな。自浄作用がない業界が腐るのは芸能界も精神医療も同じことですね。 twitter.com/mi89s1/status/…