古代ギリシャのヘルメス(@kodaigirisyano)さんの人気ツイート(新しい順)

古代地中海世界を古代人の視点で検討するときは我々の親しんでいる地図ではなく,この「アグリッパの地図」のような配置を想定してみてほしいです.アレクサンドロス3世は世界の中心を目指して上へ向かい,カエサルは世界の果てを目指して下に行ったことが分かりますし地中海の中心性も理解できます.
昔は一日の始まりが地域によって異なりました.古代ローマは現代と同じで深夜を起点としていましたが,日の出や日没を起点とする地域もありました.一方で古代の天文学者は観測の最中に日付が変わるのを嫌ったためか正午を起点としており,この基準は20世紀初頭まで使われていたそうですから驚きです.
古典文献学には「難解な読みがより有力/Lectio difficilior potior」という格言があるそうです.写字生が本を筆写する際,古風な言葉や難解な表現を,より分かりやすいものに置き換える癖があるため異なる本がある場合は,意味の取りにくい読みの方が原文に忠実な可能性が高いという原則です.
ポンペイのピザのような壁絵発見のニュースですが,『アエネーイス』第7歌に「草の上に薄焼きパンを広げて,その上に食べ物をのせて食べる」とあり,それだけでは足らなかったため「その食卓(薄焼きパン)までも食べてしまった」という一節があります.その「食卓用のパン」だと思われます.
映画《ミッドサマー》を観て思ったのは,そこで描かれるホルガ村の様子がプリニウス『博物誌』のヒュペルボレオイと呼ばれる極北の民にそっくりなこと.ヘロドトスは極北の民についてはほとんど分からないとするものの紀元後のプリニウスはかなり詳細に記述します.普及している中野訳をご紹介します.
これは古代と近代の道路工事の風景ですが違いが分かりますか?驚かないでほしいのですが,古代ローマの道路工事では「手押し車(一輪の荷車)」が使われていないのです.この効率的で素朴な道具は中国では古くから使われていましたが,西洋では12世紀頃にならないと使われないのです.
【読書のさしすせそ】 あまり知られていませんが料理と同じで読書にも「さしすせそ」があります.特に難しい本を読むときには欠かせませんよ😂
これはライフハックなのですが,クローゼットは書庫になります.最近,本を読む時間よりも探す時間の方が長いのではないかと思っていたのですが,これでしばらくは読書に集中できそうです😂
最終的に「現状では分からない」ということを調査した論文をご提示していただき大変に勉強になったのですが皆さんも教科書で習ったことをうろ覚えでツイートするときは気を付けましょうね.SNSは日常会話のようにはいきません.確実な史料と最新の解釈にもとづかないと大恥を晒すことになりますよ😂
恐い話をしますね. 以前,教科書に載っていたと思う話を,出典を確認しなままポロッとツイートしたことがあります.するとある専門家の方から「出典を教えてください」と引用RTがあったのです.恐い話はここからです.
厳しいことを言います.「よくある文明の見方」が不適切だというのは知られてきたものの「古代の知識が中世に失われたかどうか?」という議論は未だにあります.これは「我々にとって重要な知識の量」という観点で文明を断じる進歩史観です.各時代は常に最先端であったという見方の方が魅力的ですよ☺️
#同一人物とは思えない画像を貼れ 智天使(ケルビム) 中世⬅ ➡近代
「昔はアレルギーなんてなかった」と言う人がいますが,凄い昔の人であるヒポクラテスは「チーズは多くの場合滋養に良いがどうしても合わない人がいる」とアレルギー反応に言及しています.年輩の方が言う「昔」というのは自分の「思い出」の事であり歴史的な根拠は無い場合があるので注意が必要です😂
あるツイートに対して「出典が書かれていないで,SNSの情報は所詮はChatGPTと同じネ」という味わいのある引用RTをしている方がいたのですが,「出典」というものを情報の裏取りをするためのものではなく「真実性を保証するもの」と考えている人がいることがよく分かります.この態度は危ういですね.
ラマヌジャンが「女神の霊感により証明なしで円周率の公式を発見した」という話が不思議な出来事として語られ続けていますが,このことについて古代人の立場から少し補足.ギリシャ以外の伝統的な数学は証明のない数学ですので,その文化圏の数学者は自分の発見した定理の証明をそもそも書けません.
プラトンの学園アカデメイアの入門に幾何学は必須ではなかったということについてはコチラ⬇を参考にしてください☺️ 哲学が万学の祖と思うのは自由ですが,歴史的には論証数学の発明はソフィストであり,哲学者と数理科学の縁は薄いのです. twitter.com/kodaigirisyano…
少し補足しておくと,近世になりガリレオのような「数理科学」に卓越し「哲学者」と名乗りたがる「科学者」が現れた時代があります.それはデカルトやパスカルといった哲学者が先端科学を牽引した時代です.ただ2600年の哲学の歴史からすれば,それは極めて例外的な期間といえます.
なお「研究はしなくても勉強はしたのでは?」と思われる人もいるでしょうが,これも相当に怪しい.前4世紀に既に高度な数理科学が展開されていましたが,「哲学者」はその定理になんら言及しません.言及するのは決まって初歩的な定理です.また紀元後の「哲学者」も当時の先端科学へは沈黙を守ります.
ユークリッド『原論』にある初歩的な定理をみれば分かるように中学生でも理解できるような命題ですら当時の「哲学者」らは何ら貢献をしていないのです.ですから現代の「哲学者」ら(と一括りにするのは誤解を招きますが)が数理科学の勉強を怠っているとすれば「愛知」の精神に忠実であるといえます😂
古代ギリシャで「認識論・倫理学・存在論」について議論した「哲学者」で,数理科学の研究を行った人といえば,アルキュタス,デモクリトス,エウドクソスくらいのものです.どうですか?「誰?」って感じでしょう.プラトン,アリストテレス,ストア派は数学の定理を一つも証明してはいません.
厳しいことを言いますが「哲学は科学を含む万学の祖であるにもかかわらず,現代の哲学者は数学や物理といった科学を学ばない」と嘲笑する人は歴史に無理解です.というのも既に古代ギリシャにおいて,大半の哲学者は「数理科学」をやっていません.それを今になってやれというのは無茶な話です😂
歴史って基本「既存の知識を疑い検証すること」の積み重ねで出来てるんだけど,子どもにそのプロセス教えようとするとすごい手間なので高校までは「既存の知識を正しいと受け入れて覚える」形式で教えられており,故に歴史を「信じるか信じないか」ってものとして捉えてる大人が少なからずいそう.
【古代エジプトのお守り:前14世紀】 アメリカの博物館に所蔵されているものですが,このお魚にそっくりの縁起の良いお菓子が日本にあることをアメリカ人もエジプト人もたぶん知りません😂
連休明けの方も多いと思いますので,癒やされると評判の古代ギリシャの詩をお知らせします😂 ―― 人は六時間働けば十分だ それに続く七 八 九 十の四時間は 人間に「生きよ」と告げているではないか ―― 7~10を表わすギリシャ数字のZHθIが「生きよ」という動詞になる言葉遊びです😂
『古典学入門』 歴史的文献に関心のある人はせめて読んだふりをしておかなければならない本😂 古典とクラシックの由来と成立,批判(科学)と解釈(芸術)などをコンパクトに学べます.ジャンルを検討する時は「作品を文化の自画像としてみる」といった暖かい言葉に満ちた全く古さを感じさせない名著です.