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どうやらアルキメデスの時代には,彼が熱心に研究して発表して命題を公表すると「それは自分も既に証明していた」と(根拠なく)言い張る人がいたらしく,証明できない(つまり偽の)命題をわざと公表することで相手に恥をかかせようという魂胆だったようです.書簡文化とツイッターは似ています😂
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あるツイートに対して「出典が書かれていないで,SNSの情報は所詮はChatGPTと同じネ」という味わいのある引用RTをしている方がいたのですが,「出典」というものを情報の裏取りをするためのものではなく「真実性を保証するもの」と考えている人がいることがよく分かります.この態度は危ういですね.
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ギリシャ人が「微積分を発明できなかった理由」はかつて熱心に研究されたことがありました.こちらはその論文で,今ではフリーで読めるようです.古代ギリシャの数学者は二次式の積分に帰着できる問題を,なぜ統一的に解かなかったのか?という「謎」への一つの回答です.
jstage.jst.go.jp/article/jhsj/2…
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厳しいことを言います.
「ベクトルや行列を絶対に学びたくないけど統計学の成果を享受したい文系の人」が話題になっているようですが,トンデモ歴史を展開する科学者はその逆かもしれませんね.「語学や史学なんて絶対に学びたくないけど歴史を語りたい人」なのかもしれません.
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『イリアス』では,例えばアガメムノンはアキレウスに「償い(apoina)」をします.この償いは相手が被ったものを(回復するために)数倍にして返す,そういう性質のもので,「謝罪」ではありません.謝罪というのは「自分の非を認め詫びる」という意味で,「反省」と深い関係がある行為です.
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しかし我々はすでに反省という行為を知っている.
「反省だけなら猿でも出来る」というのは嘘です.反省は極めて高度かつ文化的で,魂と自己の動揺と分裂を経験する崇高な行為なのです.だから「謝ると死ぬ人」がいれば,その人が何に怯えているのかを考えてあげましょう.
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タイムマシンを使って前四世紀のアテナイで「プラトン」と名乗る人に出会ったとして,その人が史料にあるアカデメイアの創設者プラトンと同一人物であると確認するには,伝記史料と一致すればいいのか?もしも一致しない部分があればそれは史料が間違っていたのか?同名の違う人に出会っているのか?
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古代ギリシャで「認識論・倫理学・存在論」について議論した「哲学者」で,数理科学の研究を行った人といえば,アルキュタス,デモクリトス,エウドクソスくらいのものです.どうですか?「誰?」って感じでしょう.プラトン,アリストテレス,ストア派は数学の定理を一つも証明してはいません.
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「反省は自己と魂の対話がなくては起こりえない」とはスネル『精神の発見』の訳者あとがきにある言葉ですが,つまり「反省」というのは時として,自己と魂を烈しく動揺させる行為といえます,それが他者から「強制」されたものであればなおさらでしょう.公衆の面前で自己と魂を動揺させねばならない.
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それほどに謝罪というのは覚悟を要する行為であるといえそうです.ここまで来ると「謝ると死ぬ」という心の働きが理解できます.それは自己の魂の分裂・動揺に関わることなのだと.ホメロスの世界には「魂」はなく,ゆえに自己と魂の対話はありません.ですから彼らに出来るのは「償い」だけなのです.