古代ギリシャのヘルメス(@kodaigirisyano)さんの人気ツイート(いいね順)

ツイッターを始めて歴史創作をされる方が結構いるという事を知ったのですが,特に史料が少ない時代や人物を扱うときには,この『ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』が参考になると思われます.少ない史料を元にどこまで魅力的で説得力のある再構成をできるのかという実践として有益な本です.
新アテナイ人になった方は,さすがに知っておかないと恥ずかしい楽器です.果たして上級編はあるのでしょうか?😂
映画《ミッドサマー》を観て思ったのは,そこで描かれるホルガ村の様子がプリニウス『博物誌』のヒュペルボレオイと呼ばれる極北の民にそっくりなこと.ヘロドトスは極北の民についてはほとんど分からないとするものの紀元後のプリニウスはかなり詳細に記述します.普及している中野訳をご紹介します.
どうやらアルキメデスの時代には,彼が熱心に研究して発表して命題を公表すると「それは自分も既に証明していた」と(根拠なく)言い張る人がいたらしく,証明できない(つまり偽の)命題をわざと公表することで相手に恥をかかせようという魂胆だったようです.書簡文化とツイッターは似ています😂
あるツイートに対して「出典が書かれていないで,SNSの情報は所詮はChatGPTと同じネ」という味わいのある引用RTをしている方がいたのですが,「出典」というものを情報の裏取りをするためのものではなく「真実性を保証するもの」と考えている人がいることがよく分かります.この態度は危ういですね.
『古代哲学入門』 凄い凄すぎる!古代の哲学者の議論だけに集中するという切り口で,こんなに見通しよく彼らの思想を吟味できるとは.哲学者が先人の議論にどう応答し議論を鋭く磨いたかがよく分かります.ストア派に十分な紙幅を割きつつピタゴラスやエンペドクレスを省略するという斬新な構成も見所.
ギリシャ人が「微積分を発明できなかった理由」はかつて熱心に研究されたことがありました.こちらはその論文で,今ではフリーで読めるようです.古代ギリシャの数学者は二次式の積分に帰着できる問題を,なぜ統一的に解かなかったのか?という「謎」への一つの回答です. jstage.jst.go.jp/article/jhsj/2…
新アテナイ人の皆さま,もう仕事先は見つかりましたか? まだ決まっていない方は求人情報誌【アゴラワーク】をご覧ください☺️ 出典:アリストファネスやデモステネスなど
『チ。』で近世の天文学に関心をもった方にはこの本が超絶オススメ.若い読者向けということで「話し言葉」で書かれてあるのですが内容は初学者に配慮しつつも本格的.科学史という学問がどういった手法で過去の天才の思想と対峙しているのか,第一人者が手の内を明かしてくれている点にも大注目です.
「可愛くてごめん」と言った最古の人は誰だろうと思い,ヘレネが言ってそうだなという事でエウリピデスの悲劇『ヘレネ』を読んでみたのですが…そういえば古代に謝罪という発想はないので,ヘレネは「この美しさのせいで不幸なので,出来ることならば醜くなりたい」と(ムカつく)弁明をしております😂
『占星術の起源』 面白過ぎて今まで読んでいなかったのを後悔しています😂 オリエントと地中海世界の古代を中心にし占星術を育んだ文化を解説.神話,聖書,西洋古典との関係,考古学的な成果までコンパクトに学べました.新訳がでたバビロニア叙事詩『エヌマ・エリシュ』の導入としても良さそうです.
ラマヌジャンが「女神の霊感により証明なしで円周率の公式を発見した」という話が不思議な出来事として語られ続けていますが,このことについて古代人の立場から少し補足.ギリシャ以外の伝統的な数学は証明のない数学ですので,その文化圏の数学者は自分の発見した定理の証明をそもそも書けません.
これはライフハックですが,本には持っておくだけで「いつでも読める」という不思議な効果があるのです.ですから「読書の悩み9選」と向き合いながら,PDCAサイクルを安心して回していきましょう😂
セネカはツイッターを始める前にこの本を読めと言います.「人生は短いのではなく浪費しているだけ」であり,我々が怒り狂う原因で最も多いものは「私は何も間違ったことをしていない」と考える事だと.これを読まずにツイッターをやっている方はギクッとするはずですし,読んでる私もギクッとします😂
数学に縁がなく大人になってしまった人向けの「数学読み物」はたくさんありますが,結局「分った気にさせるだけ」の本が多いように思います.しかしこの二冊にじっくりと取組めば数学そのものの考え方が身につくと思います.微積と線形代数の本質を比喩ではなく論理で理解する独特な構成の名著です.
厳しいことを言います. 「ベクトルや行列を絶対に学びたくないけど統計学の成果を享受したい文系の人」が話題になっているようですが,トンデモ歴史を展開する科学者はその逆かもしれませんね.「語学や史学なんて絶対に学びたくないけど歴史を語りたい人」なのかもしれません.
『古典学入門』 歴史的文献に関心のある人はせめて読んだふりをしておかなければならない本😂 古典とクラシックの由来と成立,批判(科学)と解釈(芸術)などをコンパクトに学べます.ジャンルを検討する時は「作品を文化の自画像としてみる」といった暖かい言葉に満ちた全く古さを感じさせない名著です.
【世の中で最も恐しい物は?】 ギリシャ人はこの問題にも取り組んでおりまして,例えば詩人アンティパトロスは最も恐ろしいのは「酒席で水ばかりを飲んで,人の言ったことを残らず覚えている輩」といっています.これは恐ろし過ぎます😂 出典:『ギリシア詞華集』11巻31
『イリアス』では,例えばアガメムノンはアキレウスに「償い(apoina)」をします.この償いは相手が被ったものを(回復するために)数倍にして返す,そういう性質のもので,「謝罪」ではありません.謝罪というのは「自分の非を認め詫びる」という意味で,「反省」と深い関係がある行為です.
しかし我々はすでに反省という行為を知っている. 「反省だけなら猿でも出来る」というのは嘘です.反省は極めて高度かつ文化的で,魂と自己の動揺と分裂を経験する崇高な行為なのです.だから「謝ると死ぬ人」がいれば,その人が何に怯えているのかを考えてあげましょう.
タイムマシンを使って前四世紀のアテナイで「プラトン」と名乗る人に出会ったとして,その人が史料にあるアカデメイアの創設者プラトンと同一人物であると確認するには,伝記史料と一致すればいいのか?もしも一致しない部分があればそれは史料が間違っていたのか?同名の違う人に出会っているのか?
古代ギリシャで「認識論・倫理学・存在論」について議論した「哲学者」で,数理科学の研究を行った人といえば,アルキュタス,デモクリトス,エウドクソスくらいのものです.どうですか?「誰?」って感じでしょう.プラトン,アリストテレス,ストア派は数学の定理を一つも証明してはいません.
「反省は自己と魂の対話がなくては起こりえない」とはスネル『精神の発見』の訳者あとがきにある言葉ですが,つまり「反省」というのは時として,自己と魂を烈しく動揺させる行為といえます,それが他者から「強制」されたものであればなおさらでしょう.公衆の面前で自己と魂を動揺させねばならない.
これはライフハックなのですが,クローゼットは書庫になります.最近,本を読む時間よりも探す時間の方が長いのではないかと思っていたのですが,これでしばらくは読書に集中できそうです😂
それほどに謝罪というのは覚悟を要する行為であるといえそうです.ここまで来ると「謝ると死ぬ」という心の働きが理解できます.それは自己の魂の分裂・動揺に関わることなのだと.ホメロスの世界には「魂」はなく,ゆえに自己と魂の対話はありません.ですから彼らに出来るのは「償い」だけなのです.