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山口智美さんと斎藤正美さんのポリタス見てて勉強になったけど、家庭形成の保守化、統一教会や神道連盟だけじゃなくて親学に池川明とかPHPが入り込んでてもうてんやわんやなのよね。
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それにしても統一教会の食い込み方はもちろん問題なんだけど、食い込まれていた側の問題が薄れないかやや心配ではある。統一教会一元論で済まされる話ではないと思うし。
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家族を形成する規範の強化は政治にとっても宗教にとっても都合が良いわけで、まず家族規範そのものを疑わない限り同じことは起きる気がする。統一教会じゃなくても家族規範強化型の宗教なんて山ほどあるわけだし。
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宗教やスピリチュアリティは「心の弱い可哀想な人たち」がはまるんじゃなくて、社会で生きて行くという無理ゲーをする以上、誰しもが関わることになる。その関わり方の一つが「カルトにハマる」という形態なだけ。
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千葉Vtuber署名活動の時も、「統一教会の教えに純潔があるんだから表現の自由に加わるわけがない」「オタクは統一教会にはまらない」的な発言めっちゃ多かったけど、秋葉原界隈で信者勧誘していたという話も多く、そもそも統一教会の雑食力と捕食力が甘く見られていることを痛感した。
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95年以降、「真の科学」とか「本当の理系は」とか「オウムに嵌った科学者は本物の科学者ではない論」がめっちゃ流行って、科学の現場でオウムのことが内省的に語られたことがほとんど無かったということは致命的でしたよね。だからゾンビみたいに同じ理屈で立ち上がってくる。
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つくづく思うけど18歳まで男女交際もしなければエロいことに興味もたないで、でも18歳過ぎたら定職ついてすぐ結婚して子ども産むのが理想、というしょうもない家族観が統一教会につけいられる隙を作りまくったんだろうな、特に教育関係という感想。
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山上容疑者って神気取りが一切無いところが本当に辛いんですよね。何ていうか正気。
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こういう言説本当良くないよ…良くないってか良くないよ…こういうのいちいち指摘するとゲンナリするけど… twitter.com/mikeneko301/st…
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酔っ払ってるまま書くけど、新宗教は80年代から女性の生き方に刺針を与えてきたわけだし、増して統一教会は家庭のなかで「母」であることの価値を強調してきたんだからそりゃ誘引力ありますがな。ただ統一教会の場合、教会>家庭なので「母」のイメージが教団に吸収されるわけだけど。
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「カルトと宗教の違いは脱会できるか否か」という区分け、何が間違いかというと「脱会」の定義がめちゃくちゃあいまいだからです。
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「カルト」の場合、信者本人が「脱会」を申し出て、また教団側も「脱会」したつもりであっても本人の意志で戻ってしまうこともままある。だとしたら、「脱会」とは何ぞということになってしまう。ただそれは、「カルト」でない普通の宗教でも起こりうることですよ。だから信仰ってやっかいなんですよ。
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「秋葉原で勧誘された」とか「オタクの話をしてたら信者だった」という話が、例の千葉Vtuber署名活動の際にボロボロ出てきたし、何より署名活動に渡瀬裕哉が名前を連ねてたことや、おぎの稔氏が統一教会を擁護してたことから見てもオタクや特に「表現の自由」界隈もしっかりタゲられていたと思いますよ
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津田さんと瀧波ゆかりさんのポリタスの感想を見ててふと、私たちって「男性が口籠る、言い淀む」ということに過剰に弱さを見出す傾向にあるなと思った。ただ口籠ったり言い淀んだりするって、適切な言葉を取り出す作業でもあるんだよね。むしろ男性にはとても必要な瞬間なんじゃないかと思う。
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1995年以降、「教団=カルトは異常」「教団に所属しなければ大丈夫」「カルトにはまるやつは馬鹿」という妙に楽観的な空気があったけど、別に教団という組織そのものの形態というより、その「教え」が断片的な形で社会のニーズに合致して広まるということがそも厄介ということに気づかなかったよね。
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くりした善行はなにしてんの?やばくない?colaboや仁藤さんの言動が問題ならそういえばいいだけなのに、普通にオープンにしてる収支や支援の額を意味あり気に見せてる理由がさっぱりわからない。
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しかしまた統一教会の霊感商法はともかく教えまで否定するものではない、という何週目かの半端な相対主義でカルトを語ってしまうということを繰り返すんだろ。95年の後始末の悪さというものをあらためて痛感する胃が痛え。
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「父から聞いた学生運動の話」が飛び交ってるけど、それはそれぞれ個人の一つの見方、体験でしかないので、本当に学生運動に興味があるなら手記から歴史社会学までたくさん本があるから読むといいよ。
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統一教会も一つの宗教であり信教の自由のなかで守られなければならないという話はもう3周も4周もしてる話なので、太田光の主張に感心してる場合じゃなく、そのロジックの雑さ加減にあともう少し踏み込んで考えて欲しい。人権を蹂躙する宗教にNOを突きつけるレイヤーと信教の自由のレイヤーは別です。
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信教の自由を絶対のものだとしながらも「それでも」統一教会にNOを言わなければならない、それこそ民主主義国家において宗教に向かいあう意味そのものなんですよ。
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参政党の売り方見てると「大人になって自主的に学ぶこと」の罠みたいのが丸見えで、それって割と参政党という局所的な問題じゃなく社会全体における「学ぶこと」の隘路みたいなものにつながってる気がする。
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「大人になって意識的に学ぶ」ってある一つの範疇にあるものを「基礎から教えてもらう」「新しい価値観に触れる」という魅力があるし、それが「学びはモノとして見えないけど、手元に必ず何か残ってる」というある種のロマンを提供しがちなんですよね。「ブランドバッグより貴重」みたいな。
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ただはっきり言うけど、そういう「学び」って痛くない学びなんですよね。本来なら学びって自分の価値観や思い込みがひっくり返されたり揺さぶられたりするし、だから大人になればなるほど学ぶことは痛みを伴う。あくまで気持ちの良い「学び」から政治や国家にリーチしようとする。それが参政党かなと。
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自分にとって痛くて苦しいところを見つめない学びが社会に還元しうる知識を身につけることにはつながらないと思うんだけど、そこまではいかない。そしてこうした痛くない「学び」は確かにスピリチュアリティと親和性が高い。
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そうした「学び」が先かスピリチュアリティの影響が先かは微妙なところだけど、痛くない「学び」に可能性を見出してしまうの、すごく今っぽいなと。オンラインサロンとかあのあたりと比較すると尚わかりやすいかもですね。