世界はとてもウクライナに同情的だし、私もそうだ。 しかし、私の中の何かが警告する。 戦争をなくしたいという願うなら、誰かを悪のように決めつけることは避けなければならないのではないかと…
絵を描く(観察する)って、この「私たちの脳の高度な情報処理」で失われるものを補完する行為でもあるんですね。 私たちが見ている世界は脳が「過去15秒間」を平均化した映像だった nazology.net/archives/105164
美的感覚の多様性にあらためて感動せざるを得ない… twitter.com/gin348/status/…
「棍棒」は2001年宇宙の旅でも語られるように人の根源的な道具の一つだ。 ・生身に数倍する速度と作用 ・多用途性 ・習熟による高い自己帰属感 ・十分な強度と、破壊されても身体の損傷を伴わない安全性 「道具」たるものを構成する基本属性が初めから備わっていた。人を人たらしめるものの一つ。 twitter.com/tyarinko/statu…
一生かけて努力し続けても何か発見できるとは限らない。でもそれをしない人のところへは来ないんだよ。 というようなことをノーベル賞学者の小柴昌俊さんはおっしゃったそうです。
「努力は報われなかった」 さらりとそう言えるのは素晴らしいことですね。 twitter.com/amneris84/stat…
時代を象徴する出来事ですね。私が日産にいた頃(前の世紀)はエンジン設計が技術系の花形でした。そもそも自動車メーカーって、ほぼ「エンジンを作れる会社」だったんです。 日産がエンジン開発終了へ まずは欧州、日中も段階的に: 日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXZQO…
私は大学生の時に「道を間違えた」と思ったし、漫画に逃げ込んだ時は敗北感が半端なかったけど、結果的には、やり散らしたことが狙ったみたいに収束しちゃったし、「やりたいこと」なんてそう簡単には見つかんないよね。
器用貧乏を恐れる必要はない。学び散らしていても、そのうち収束する。
1980年代に「電脳社会」を研究者たちと構想してた時には、「見たいものを見る」「知りたいことを知る」社会が来ると思ってた。「見たくないものを見せられる」「知りたくないことを知ってしまう」社会は想像しなかったなあ。これも技術的オプティミズムだったのだろうか。 twitter.com/nobi/status/14…
水島先生に捧ぐ 「(模写絵を)掲載してよいかと水島プロダクションに問い合わせたところ、水島新司先生ご自身がご覧になったという。『自分が描いたみたいでびっくりした』と過分なコメントまでいただき、恐縮している。先生、あなたのおかげでここまで来ました!」 xtrend.nikkei.com/atcl/contents/…
改装したばかりの友人の仕事場に、ある有名アーティストの壁画があった。 しばらくそれを眺めていて、何気なく「脚立の上から、とても長い筆で描いたんですね」と言ったら、友人が驚いて「なんでわかるんだ?」と。 答えは単純だ。今、この絵を描いてみたから。 twitter.com/nakashima001/s…
中国の火星探査機「天問1号」が火星を背景にした自撮りを送ってきたそうです。小型カメラを射出し、WiFi経由で撮影。 space.com/china-tianwen-…
寅といえば、やっぱ千早だよなあ。 皇国の守護者 佐藤 大輔 (原作)/伊藤 悠 (漫画) (*画像は2005年第9回メディア芸術祭マンガ部門のサイトより転載)
上がってきたデザインがなんか違うと感じた時は、感じたことだけを率直に伝えてください。 色やフォントをどうしろとか、もう少し右にとか具体的な指示をしてはいけません。 あいまいでぼんやりした要求でいいんです。それを聞いて具体的な処方見つけ出すのが、デザイナーの仕事です。
デザイナーは、人の言葉を丁寧に聴いてデザインしなければならない。 それは料理人が客に食べたいものを丁寧に聞くのと同じだ。 しかしデザイナーは、人々のデザイン上の提案をそのまま受け入れてはならない。 それは料理人が客の言うままに調理してはならないのと同じである。
デザイナーは、美的感覚や視聴覚触覚の快感など極めてパーソナルな価値観をモノにこめて制作するため、これが受け入れられないと、人格を否定されてしまったようなダメージを受ける。しかし商品の常として、さまざまな原因で市場との乖離が起こりうる。打たれ強さがないとやっていけない。
「ラベルをゆっくりはがすと綺麗にはがれる」ことを、接着剤の粘性抵抗の「速度が大きいと強く抵抗する性質」でちゃんと定量的に検証した論文、どっかにないかなー
はい。私の授業でも美的感覚の根源は、生存のための捕食対象や生殖対象の健全さや完璧さに対するセンサーなのだろうと説明しました。ただし、だからこそなのですが、美的感覚も他の本能的な衝動と同様に、現代の人間社会においては、倒錯や差別なども視野において慎重に扱う必要があります。 twitter.com/fladdict/statu…
アーティストも数学者も美しいという言葉を使う。感動体験としては似ているが、ずいぶん異なる世界での出来事だ。それは全く別物なのか、抽象という概念操作を通じて同じものを見ているのか。 みたいな問題について話しました。その接点にデザインがあるような気がするから。 #多摩美術大学特別講義
私たちが自然を通じて認識する「美しさ」には2種類ある。一つは景色や生き物から直接受け取る美的体験、もう一つはその背景にあるルールが見えた時に得られる美的体験。かつては前者はアーティストのもの、後者は科学者のものだった。 #多摩美術大学特別講義
生活の中に、ちょっとした「なるほど」を差し込むアイデア。何かを解決してくれるわけではないけど、ある種の豊かさを感じる。 twitter.com/keltoto/status…
例えば千本の平行線を引くタスクはプログラミングであれば数行、一瞬で実行されてしまう。しかしそれを紙とペンでやると、ただ繰り返される中にも、情念があり、呼吸があり、時間の経過がある。それゆえに、微妙な揺らぎや端点の力の入り方にも「人」が見えてくる。そこにアートが成立しうる。
この30年間、国産メーカーの多くがが「コストのかからない商品を堅実に売る」を目指し、それなりの成功も積み重ねてきた結果として、日本全体が技術先進国から脱落しつつある。 そう考えると、深刻ですね。