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子ども時代は「逃げる」という選択肢がない。どんなにつらい環境であっても生きるために居なければならない。そこから逃げることは家や食事も失ってしまう恐怖である。そのため大人になって苦しい環境に置かれても逃げることに無意識に恐怖を感じ引止めようと反応するため耐え続けてしまうことがある…
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フラッシュバックは「鮮明な映像」だけでなく「ダルさ」などの身体感覚や「自分には価値がない」などの思考としても繰り返し起きる。加えてトラウマは行動として再現される。強烈性は弱い慢性的な鈍い苦しみなど"今まさに起きているかのように"思わせる認知や行動こそトラウマ反応である可能性が高い…
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「体力のあるなし」は実生活にすごく影響する。精神疾患を抱えると体力が少なくなり、かつ一定に保つことが難しくなる。さらに刺激に敏感になるため消耗しやすい。体力は気力にも当然影響する。なので「頑張れ」等の精神論は衰弱するだけ。。精神疾患は精神症状だけではない。背負うハンデが大き過ぎる
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感情を認めてもらえない環境下で過ごすと、気持ちがあやふやなまま蓄積され、言語化する機会も少ないためによく分からないモヤモヤが心を占めていることがある。そのためいざ出そうとすると端的な言葉では追いつかないほど複雑でたくさんの苦しい気持ちが雪崩を起こし、コントロールできないことがある
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大人になってやっと自我を取り戻してきたとき、「遅れた反抗期」のような時期がある。自分のことをわかって欲しくて仕方がなくなったり、信用してる人を疑ったり、正しさに敏感になったり。イライラしたり不安になったり感情が激しく乱高下する。
悪化ではなく、自尊心を取り戻して回復している証。。
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機能不全家庭に育つと、愛情や優しさを受けられなかったために心が飢餓状態になり、後に出ることがある。「人に評価されたい」「分かってほしい」と強烈に思い、他者に委ねているために不安定になってしまう…。かつての自分が心を満たそうと知らせていると捉え、大人の自分ができることをしてあげたい
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理不尽な目に遭い、それを同じようにやり返しても心の傷は相殺されないことが多い。だからこそ苦しい。復讐してもしなくてもスッキリできるわけでなく、傷つけられた心はなかったことにはできない。周囲は忘れても本人はずっと抱えていく。折り合いをつけるのは簡単ではない。生きてるだけで頑張ってる
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「頑張ってるかどうか」ということよりも「食べたい物は浮かぶか」「今日の天気はどうだったか覚えているか」といった感覚を気にしてあげる方が大事なことがある。「物の味がしなくなっていないか」「気温が分からなくなるほど思い詰めていないか」など、何か分からなくなっていたらかなり危機的サイン
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トラウマ体験や機能不全家庭で育った場合に失われがちになる「自分の人生の選択権」について整理しました。
嬉しいことや楽しいことを増やしていけるための自己理解の助けになれば幸いです。
psychologist-neco.com/life-choice/
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「白黒思考」にならず「グレーを持つ」ためには余力が要る。なのでストレスフルであるほど極端な捉え方になってしまう。些細な指摘を「全否定された」と感じるほど傷ついてしまったら、それほどいっぱいいっぱいの状態で限界のSOSであることも。捉え方の修正より、労りと休息が何より必要かもしれない
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ちょっとした人からの言動を「批判されてしまった…」等とグルグルと考え続けてしまう心理について、整理しました。
この記事は「グルグル考えない方法」を述べるものではなく、「グルグル考えてしまう理由」を検討するものです。
自己理解の助けになれば幸いです。
psychologist-neco.com/rumination-thi…
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親の機嫌を伺って育つと、常に他者の機嫌を考える思考回路ができてしまう。だから大人になってからも他者の機嫌の悪さに敏感で、どうしても気になってしまう…。その回路を断つには不穏さより安全感に慣れることが必要。「安全に慣れる」には時間がかかる…まず不機嫌な人がそばに居ない環境が大切…。
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機能不全家庭に育つと、大人になってからも意見や気持ちを聞かれても「何でもいい」と思う。本当に「何でもいい」ことが多い。自分の気持ちを感じ大事にできる体験が少なかったために、自分の気持ちや意志はとっさに言葉に出てこない。とにかくその場が穏便に済むことを自分の気持ちより優先しがち。。
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「体調崩さないように自己管理して」とたまに聞きますが不可能です。自分の心身だからといって自分一人で成り立ってるわけじゃないし、コントロールなんてできない。その日の体調に精一杯合わさる位がコントロールの限度。体調崩したからといって自己管理できてないなんて暴論だから華麗にスルーしよう
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精神疾患の方に必要だとされる「休養」は、健康な人の休養とは全く違う。「意識のある重体」のような状態。ツラくて苦しくて自己否定で心はいっぱい、身体は動きたくても動けないし痛いし眠れないし起きれない。。それでもそう過ごすことが治療となる時がある。「健康な人の休養」とは全く違うんです…
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<新規投稿>
機能不全家庭で育つなど幼少期から「我慢することが通常」であった場合の「我慢」について整理しました。
「我慢し過ぎないがわからない」「小出しにするができない」といった場合の自己理解の助けになれば幸いです。
psychologist-neco.com/the-trauma-of-…
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感情を抑圧せざるを得ない日々を過ごすと、いざ感情を出そうとしても圧倒されて固まってしまう。自分の気持ちより他者の気持ちを慮ってきたことで自分の感情を瞬時に察知することはできなかったし、まして言語化できる状況にもなかった。「自分はどう感じているか」がすぐに分からなくてもおかしくない
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機能不全家庭で育つと自分の気持ちを感じる余地がなかったために、大人になって出来事に対する感情を感じるまでタイムラグがあることがある。自分の気持ちを瞬時に理解することもはたくさん経験して慣れていないとその場では分からないことはおかしくない。それだけツライ環境の中で頑張ったという証…
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「褒め言葉」や「励まし」などの他者からの言葉を疑ってしまう場合「自己否定が強いから」だけではなく、かつてそういったポジティブな言葉を、自分をコントロールするために使われてきたという経験ゆえの不信であることもある。「人の言葉を信用できない」としたら、そうする理由がちゃんとあるのかも
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機能不全家庭で育つと自分の気持ちを感じる余地がなかったために、大人になって出来事に対する感情を感じるまでタイムラグがあることがある。自分の気持ちを瞬時に理解することは、たくさん経験して慣れていないとその場では分からないことはおかしくない。それだけツライ環境の中で頑張ったという証…
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「怒り」をその場で感じるには身の安全や体力や慣れなどいくつも条件が必要。だから深い傷ほど怒りは遅れて感じられることがある。「なんで言い返さなかったのか」等と悔しい思いを強めることも。でもその時は身を守るために最善を尽くしたはず。。そこから少し回復し、やっと怒りまで辿り着けたのかも
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「死ぬわけじゃないんだから大丈夫」という言葉は本当に苦しんでいる人の励ましにはならない。むしろ死を考えることが唯一の気持ちの拠り所となっていて、なんとか生きられているケースは少なくない。「死にたい」と思うのは何も悪いことじゃなく「表現できないほどツライ」「助けてほしい」の究極形…
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「許す許さない」なんて好きに選んでいい。「許さないと本当の回復じゃない」なんてことはないし「許せば乗り越えたこと」なんてこともない。そもそも「許す許さない」にこだわるかどうかも自由。自分の気持ちは自分で決めていい。「○○できるまで自分を本当には大切にできない」なんて、新しい呪い。
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幼少期から苦しい環境に置かれると「劣悪な環境下に耐える」ことしか選択肢がなかったことで、大人になってからも「自分のことへの選択権」が低いことがある。自分で選んでいるようで選べない…。「仕方ない」「がんばるしかない」と追い詰めてしまう。自覚している以上に頑張っているし、選んでいい。
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無理し続ける状態が小さい頃から日常であると「無理しない」が分からない。「無理しない」ためには自分を知ることが必要。でも自分より他人を気遣わないといけない環境であったら、自分のことも何が無理かも分からない。だから「病」は懸命な知らせで、自分で自分を助けようとしたからであることも。。