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「過剰適応」とは、自分の許容範囲を越えてまで適応すること。いわゆる「良い子」に多く、本人はすごくツライのだけれど周りには気づかれにくい。自分がツライことが周りに知られることも罪悪感を感じるので、隠して笑顔で元気に振る舞うけれど本当は限界。。なので「あの人は大丈夫」というのは危険。
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トラウマとなるような出来事を繰り返してしまうことを「再演」という。性被害に遭った場合や毒親との人間関係などでよく起きる。自ら危険な場所や関係に向かっていくように見えるけれど、それこそがトラウマである証。「同じ体験をして打ち勝たなければ」「危険で怖い関係の方が安心よりも慣れている」
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「1回逃げるとこれからも逃げ続けることになる」という言葉、ただの脅迫かと。むしろ若いうちに「合わなかったら辞める」という経験をすることはものすごく大事で、将来の助けになる。「逃げられなくなる」方がよっぽど人生に悪い…。
「恐怖」を与える言葉は有益な助言ではないことがほとんど。。
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幼少期に親の機嫌を伺っているような日々を過ごすと、大人になって他者の機嫌の悪さに深く傷つきがちで「私が何かしたからかな?」と自分のせいだと思ってしまうようになる。幼少期に誰かの不機嫌さにとても傷付き、なんとかしなきゃと思ってたということ。「自分は人を傷付ける」というのは誤解。。
5
「他人は変えられない」って聞くと「じゃあ自分が変わらなきゃ」ってなぜか思っちゃうけど、自分も変わらなくてもいい。どっちも変わらなくていいし、自分もそう簡単には変えられない。変えるべきか真っ先に検討すべきは他人でも自分でもなく環境。次にストレス源となる人との接触回数などの距離。。
6
「心を開く」ことは、適切に「心を閉じる」ことができることが必要。。
心の開け閉めって難しくて、機能不全家庭に育ったり幼少期に被害に遭うと、心が「開けっ放し」でノーガードで傷付き続けたり、「閉めっぱなし」っで追い詰められてしまったりする。。
意識するだけでも心に扉ができるかも。。
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親の機嫌を伺って育つと、相手の態度や反応に疑問を持ったとき、自然に聞くことができない。自分が感じた違和感を咄嗟に飲み込んでしまう。「聞いたら悪いかな。傷付けてしまうかな」と遠慮するから。自分より他人の心に繊細な配慮をしている。ただ「聞かずに読み取らねば」は呪い。聞いていい。。
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すごく大事だと思うことは『思考の歪み』や『過剰適応』傾向があろうと、それが「悪いこと」ではないということ。「それだと自分が苦しいから変えた方がいいかも」ということであって、むしろ自分にストレスを課しながらすごく頑張って生きてきたということ。変えようとする前にものすごく褒めてほしい
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「心の病はメンタルが弱いから」は大誤解。適応障害やうつ病になる人はメンタルが弱いのでなく「我慢強過ぎて、自分にだけやたら厳しい」ことが原因であることが多い。だから「メンタルを強くしなきゃ」は逆効果。「癒し方」や「耐えないスキル」などの「自分への厳しさの緩和」が必要なことが多い。。
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無理し続ける状態が小さい頃から日常であると「無理しない」が分からない。「無理しない」ためには自分を知ることが必要。でも自分より他人を気遣わないといけない環境であったら、自分のことも何が無理かも分からない。だから「病」は懸命な知らせで、自分で自分を助けようとしたからであることも。。
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「バズったら宣伝」に憧れていたので便乗してすみません🙇♀️
心理に関するブログ書いてます!
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幼少期に被害に遭うと「人生を楽しむ」という発想がない。どういう感覚かも分からない。「人生は楽しんだ者勝ち」的なフレーズにぽかんとし、周囲との差に孤独感を強めてしまう。自分の苦しみが客観的にはどの程度なのかも健康を知らないから分からない
だから本当に生きてるだけでがんばってる。。
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小さい頃から苦しみが多いと、何をどうやっても「自分は何か劣ってるんだ」という意識がつきまとう。どんなに頑張っていても、どんなにできていても。「認めてもらえない」というのは劣等感を植え付ける…。だから大人になってから自分で自分を認めることは時間と労力をかけるだけの意味がある。。
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「自分で選んだんだから」といって、合わないのに我慢し続けなくていい。また選べばいい。一度選んだら変えちゃいけないなんてことはない。誰かに「自分で選んだんでしょ」と詰められたかもしれませんが、未来予知などできないんだから、やってみて違うというのは何も悪くない。1つの経験になった。
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感受性が強い人は「他人の感情がそのまま伝染する」から「気にしない」では済まない。場合によっては本人以上に痛みを感じている。感情の中でも「不機嫌」「攻撃性」は特に波動が強いから近くにいるだけで傷ついてしまう。でもそれは自分のせいじゃない。痛みが分かるから優しさも人一倍なことが多い。
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精神疾患の方に必要だとされる「休養」は、健康な人の休養とは全く違う。「意識のある重体」のような状態。ツラくて苦しくて自己否定で心はいっぱい、身体は動きたくても動けないし痛いし眠れないし起きれない。。それでもそう過ごすことが治療となる時がある。「健康な人の休養」とは全く違うんです…
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自己肯定感が低いこと自体よりも「自己肯定感が低い自分はダメ!高めないと!」という考えのほうが自分を追い詰めていることがある。
自己肯定感なんて結局のところなんだっていい。振り回されなくていい。
「自己肯定感低いけどなにが悪い」くらいに思えたら、素晴らしい自己肯定。
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「良いことが起きるともっと悪いことが起きる気がする」というのは、かつて嬉しいこと楽しいことを否定されて深く傷ついた経験に因ることが多い。「否定された」ことが「悪いこと」なのだけれど「喜ばなければ傷つくこともなかった」と自分のせいにして、また傷つくことがないように気をつけようとする
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精神疾患の全てが誰にでもなる病気とはいえない。けれど「適応障害」と「うつ病」は、本当にどんな人でもなる病気。どんなに自信満々でも。どんなに人生うまくいっていても。優しい人もそうでない人も。敏感な人も鈍感な人も。
だから、「なった人が弱い」とか「適応能力がない」とかでは全くない。
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「逃げ癖がつく」って聞くけど、「傷つき癖」「耐え続ける癖」「"自分が悪い"思考の癖」の方がよほど心身に悪い。
「逃げる」だけに「癖」つけないで欲しい。
「癖」ってつくだけで悪いイメージになる。「逃げる」のネガティブキャンペーン反対。
「逃げる」は簡単なことじゃない。立派な対処の1つ。
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家族療法では、不適応を示した人を「家族内の病理を代表した人」と位置付ける。家族の病理を背負って家族全体のSOSを体現した人。だから「まともだから病んだ」は真実である場合がある。「弱いから病んだ」わけでも「自分の病気のせいで家族が」でもなく、「一家の病理を1人で背負った」ということ。。
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毒親やDVする人ほど被害者意識が強く、被害に遭ってる人ほど「自分が悪い」という罪悪感や加害意識が強い傾向がある。だから、それぞれがどう思ってるかに従ってしまうと危険。。加害者ほど被害意識が強いこと、罪悪感で動かされる関係性は健全ではないこと、知人が同じ立場だったらどうかを気にしたい
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「体力のあるなし」は実生活にすごく影響する。精神疾患を抱えると体力が少なくなり、かつ一定に保つことが難しくなる。さらに刺激に敏感になるため消耗しやすい。体力は気力にも当然影響する。なので「頑張れ」等の精神論は衰弱するだけ。。精神疾患は精神症状だけではない。背負うハンデが大き過ぎる
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親の機嫌の悪さに傷つく経験が多いと、「不機嫌は人を深く傷つける」と心に刻まれて、自分の負の感情を少しでも出すことができなくなる。。いつも笑顔で明るくいようと頑張り続ける。。でも、八つ当たりではない「負の感情」は出していい。。拒否しても相談してもいい。全世界の機嫌を伺わなくていい。
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「辞めるのは簡単」というのはただの根性論…。「辞めるのは簡単で、続けることは難しい」とは限らない。けれど「辞めるのは簡単」と思えば、本心や現実から目を背けられ「困難なことをやり続けている」と錯覚できる…。そもそも「楽はダメ。苦しい方が偉い」みたいな価値観、いい加減なくなってほしい