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大切な親が酷いことをしてきたり、して欲しいことをしてくれなかったりすると、子どもはそのショックをコントロールするために心理的に距離を置くことで「大丈夫な自分」でいようとする。そのことが大人になっても自分の悲しみや喜び等の感情を感じにくくしていることがある。過酷な環境で適応した証…
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感受性が強い人は「他人の感情がそのまま伝染する」から「気にしない」では済まない。場合によっては本人以上に痛みを感じている。感情の中でも「不機嫌」「攻撃性」は特に波動が強いから近くにいるだけで傷ついてしまう。でもそれは自分のせいじゃない。痛みが分かるから優しさも人一倍なことが多い。
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親との間に起きた感情が「この人が必要だけど嫌い」であったり「一番身近な人だけれど恐ろしい」等といった相反する感情を多く体験すると、それが大人になってトラウマ反応として現れる。他者に親しみを感じると、かつて「親しみ」と同時に起きた不安や怒りなどの苦しい感情も連れてくることがある。。
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「他人は変えられない」って聞くと「じゃあ自分が変わらなきゃ」ってなぜか思っちゃうけど、自分も変わらなくてもいい。どっちも変わらなくていいし、自分もそう簡単には変えられない。変えるべきか真っ先に検討すべきは他人でも自分でもなく環境。次にストレス源となる人との接触回数などの距離。。
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大切な親が酷いことをしてきたり、して欲しいことをしてくれなかったりすると、子どもはそのショックをコントロールするために心理的に距離を置くことで「大丈夫な自分」でいようとする。そのことが大人になっても自分の悲しみや喜び等の感情を感じにくくしていることがある。過酷な環境で適応した証
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無力な子ども時代に、暗黙のうちに何かの役割を課せられて「それを果たさないと居てはいけない」というような体験をしていたら、子どもにとっては生命の危機的恐怖になる。そのトラウマによって大人になって他者からの些細な指摘が「全否定された」「自分は価値がない」等と存在の否定感が伴ってしまう
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トラウマ的な環境で育つと「愛情と恐怖」や「苦痛と快感」などの区別がつかず、混乱する。そのことが「恥」や「自己嫌悪」を強めてしまうことがある。喜びや楽しみ、親密さに恥や自責がセットで感じられてしまうことで、自分がわからなくなったり自己不信を強めたりし、何をしても苦しみが伴ってしまう
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本当にしんどくて、もう無理ってときは「何がつらい?」と聞かれても分からない。何がツライかも分からなくなるほどツラくてどうしていいか本人も分からない。だから「わからない」ことは変なことじゃない。それくらい苦しさを我慢してたということ。いろいろなことは少し休んでからできっと大丈夫。。
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トラウマがあると「人と親密になりたい気持ちと拒絶」や「恥と自己顕示欲」など、矛盾した強い感情を抱え、本当の気持ちが何か分からなくなることがある。けれど、どれも必要な感情で意味があることがほとんど。。自分の中に居る気持ちをそれぞれ見つけてあげることが回復の助けになることも。。
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「大人への支援」も子ども支援と同じようにすごく大事。大人になったからって子ども時代のことがリセットされるわけじゃない。子ども時代の延長で大人になってる。「大人なのに」ではなく、なんとか生き延びて「大人」になったからこそやっと支援に辿り着ける、やっと治療が始められることはとても多い
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幼少期から苦労が多いと「好きな物事」が少ない。趣味を聞かれても困る。。好きなことというポジティブな探索よりも、しんどい状況を生きるだけで必死だったから。。「好きなこと」は安全な環境で初めて広がる。今は少なくても、それを大切に味わっていく中で喜びの深さも増し、他にも見つけていける
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「許すのは自分のため」「親を許すことは自分を許すこと」とかって、過干渉な親が「あなたのためを思って!」って叫ぶのと似てるな…
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トラウマがあると「ほどよく覚醒する」ことが難しくなり、抑うつなどの「低覚醒」と、イライラや衝動的な行動などの「過覚醒」という両極端を行き来するために、表面的な行動量は少なくても疲労感はかなり重くなる。「何もしてないのに…」ではなく、体は一生懸命調整しようとしている証ゆえの疲労かも
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自己評価が低いと「断ったら必要のない人間になってしまうんじゃないか」という恐怖心からかなりの負担を引き受けてしまいがち…。できなければ「自分がダメなんだ」とさらに自己否定してしまう。。無意識に「自分には断る権利がない」と思っていることもあり、慢性的な過労状態になりがち。。
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「怒り」をその場で感じるには身の安全や体力や慣れなどいくつも条件が必要。だから深い傷ほど怒りは遅れて感じられることがある。「なんで言い返さなかったのか」等と悔しい思いを強めることも。でもその時は身を守るために最善を尽くしたはず。。そこから少し回復し、やっと怒りまで辿り着けたのかも
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「なぜその場で断れないのだろう」「嫌だと思っても態度に出せない」といった
『負の感情を出すことの難しさ』について整理しました。
この記事は「その場で出す場合」の困難さに注目しています。
自己理解の助けになれば幸いです。
psychologist-neco.com/difficulty-in-…
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機能不全家庭に育つと、誰かが褒められていると責められてる気がしてしまうことがある。かつて家庭で「それに比べて」と貶められたことで大人になっても遠回しの自己批判と反応してしまうことが少なくない。そんな自分に更に嫌気が差すことも…。でもそう感じることは無理もないことかもしれない。。
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トラウマがあると、不快な出来事が起きたときに自分の感情をその場で感じることが難しくなっていることがある。出来事からタイムラグをもって違和感や不快感がようやく感じられる。感覚の遅れに不信や自己嫌悪などを抱いてしまうけれど、その感覚は大切に拾ってあげたい大事なサイン。。
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「ツライときにツラいと言うともっとツラくなるから言わないように」というのは、程度が軽い場合で、気晴らしが可能で言語化できるという条件下で有効。程度が重かったり、自分の感覚に気づき始めたときには「なんとなくしんどい」「ツライ」と言葉にした方がいい。もちろん軽い場合だって言っていい。
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トラウマの傷は深いほど自分の感情からは遠ざからないと生きていけない。「自分の気持ちを大事に」「自分に優しく」ということは、かつては被害の危険性にすらなったかもしれない。だから自分を否定し優しくできないとしたら、その能力がないのではなく、かつて精一杯自分を守った強さの証であることも
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幼少期から苦しい環境に置かれると「劣悪な環境下に耐える」ことしか選択肢がなかったことで、大人になってからも「自分のことへの選択権」が低いことがある。自分で選んでいるようで選べない…。「仕方ない」「がんばるしかない」と追い詰めてしまう。自覚している以上に頑張っているし、選んでいい。
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「病気と付き合っていく」のは簡単じゃない。。「治したい」と思うし「この症状がこの先も続くのか…」というのは希望を失ってしまうこともある。ただ、症状を「ゼロに」と目指すと苦しみが増えてしまうこともある。自分なりの「付き合い方」を見出すまでけっこう年月がかかる。ものすごい苦労と努力
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トラウマを抱えていると、自分で自分の調子を整えることが難しくなる。さらに、対人交流においても安心できないために「他者との交流を通して自己調整する」ことも困難さを抱えることが多い。そのため、どうしても孤立してしまうし、苦しみが軽減される機会が得られずに生活が制限されがち。。
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「わがまま」は呪いの言葉。なんの根拠もないのに、たった4文字で一切の事情を無視して罪悪感を抱かせ、希望を完璧に退けさせることができる強烈な言葉…。説明の手間すら省き、相手をコントロールできる罪深い言葉。言葉自体が根拠なきネガティブなので「自分はわがままでは」と考えることは止めたい
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親の機嫌を伺って育つと、相手の態度や反応に疑問を持ったとき、自然に聞くことができない。自分が感じた違和感を咄嗟に飲み込んでしまう。「聞いたら悪いかな。傷付けてしまうかな」と遠慮するから。自分より他人の心に繊細な配慮をしている。ただ「聞かずに読み取らねば」は呪い。聞いていい。。