寝子(@necononegot)さんの人気ツイート(リツイート順)

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「トラウマを繰り返す無意識の傷つき行動」である『再演』について、加筆修正しました。 「どうして危険な人や場所に関わってしまうのか」といった苦しみを理解する助けになれば幸いです。 psychologist-neco.com/trauma-reactio…
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回復していく最中に「良くなりたいけど良くなるのも怖い」というジレンマを抱えることがある。それは「病気でいることにメリットがあるから」ではなく「良くなった状態がわからない」という「分からなさ」ゆえの不安や不慣れさからの恐怖であることが多い。矛盾する気持ちを抱えられることはすごいこと
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トラウマの傷は深いほど自分の感情からは遠ざからないと生きていけない。「自分の気持ちを大事に」「自分に優しく」ということは、かつては被害の危険性にすらなったかもしれない。だから自分を否定し優しくできないとしたら、その能力がないのではなく、かつて精一杯自分を守った強さの証であることも
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「頑張ってるかどうか」ということよりも「食べたい物は浮かぶか」「今日の天気はどうだったか覚えているか」といった感覚を気にしてあげる方が大事なことがある。「物の味がしなくなっていないか」「気温が分からなくなるほど思い詰めていないか」など、何か分からなくなっていたらかなり危機的サイン
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トラウマの傷は深いほど自分の感情からは遠ざからないと生きていけない。「自分の気持ちを大事に」「自分に優しく」ということは、かつては被害の危険性にすらなったかもしれない。だから自分を否定し優しくできないとしたら、その能力がないのではなく、かつて精一杯自分を守った強さの証であることも
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「頑張る」っていうのはけっこうな呪いなのかもしれない。頑張ってなくてもいいのに、「頑張っていないとダメ」という風潮があり、誰より自分がそう思っている。。「頑張ってるかどうか」なんて本当はなんの基準もないのに人を追い詰める。「頑張らないと」と思う分だけ「本当は苦しい」の裏返しかも…
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虐待的な環境では、嬉しいことやうまくいっていることは親の怒りをかうことが多い。そのトラウマが、大人になって安定し幸せになり始めたときに「自分なんて幸せになれるはずがない」とフラッシュバックが続くことがある。「人生がうまくいく」ことが危機をつれてきた過去に脅かされているということ
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機能不全家庭に育つと、誰かが褒められていると責められてる気がしてしまうことがある。かつて家庭で「それに比べて」と貶められたことで大人になっても遠回しの自己批判と反応してしまうことが少なくない。そんな自分に更に嫌気が差すことも…。でもそう感じることは無理もないことかもしれない。。
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「やりたいこと」なんて、なくたっていい。自分を好きになれなくても、自己肯定感が高くなくても自信が持てなくても、人に感心されるような目標などなくても、何も悪くない。「今よりも苦しみが少なく穏やかに生きていきたい」「現状維持」だって充分に素晴らしい方向性。
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小さい頃から苦しみが多いと、何をどうやっても「自分は何か劣ってるんだ」という意識がつきまとう。どんなに頑張っていても、どんなにできていても。「認めてもらえない」というのは劣等感を植え付ける…。だから大人になってから自分で自分を認めることは時間と労力をかけるだけの意味がある。。
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【記事紹介】 トラウマ体験や機能不全家庭で育った場合に失われがちになる「自分の人生の選択権」について整理しました。 嬉しいことや楽しいことを増やしていけるための自己理解の助けになれば幸いです。 psychologist-neco.com/life-choice/
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虐待的な環境で育つと、否定的感情に圧倒されるだけでなく喜びや休息などの肯定的な感情もトラウマになる。喜びや笑いは罰せられ、リラックスは攻撃される隙になってしまったかもしれない。そのため自分の楽しい感覚に気づくことすら傷ついていることもある。肯定的な感情に恐れを抱くことは無理もない
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【記事紹介】 虐待や性犯罪などの被害に遭うと失われる「基本的信頼感」についてまとめました。 「基本的信頼感の欠如」は、病の原因になるなど心身に多大な影響を及ぼします。 被害の傷がどれほど深いか世の中の人の理解にもつながれば幸いです。 psychologist-neco.com/basic-trust/
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トラウマがあると「乗り越えないと」「あの時に比べたらマシ」といった思考になることで自分を酷使してしまいがち。自分の痛みに鈍感なために病気になるほど頑張っても「大したことじゃないのに…」と自己否定を強めてしまう…。「大したことない」という思考より微かな不快感を信じていいかもしれない
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「怒り」を感じるには体力がいる。だから理不尽な被害に遭った直後に怒りが出てこなかったとしてもおかしいことじゃない。尊厳を踏み躙られたら心身は傷だらけで衰弱する。ちゃんと怒りを感じられるまで何年もかかることもある。でも遅れた怒りは「今更」ではない。その怒りから取り戻せる尊厳がある。
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カウンセリングや心理療法も含めて心のケアをすることそのものに疲れてしまうことがある。そもそも回復していく過程は決して楽でも楽しくもないし右肩上がりに良くなっていくものでもなくて、地道な努力の積み重ねだから。疲れて「もういいや」って投げ出したくなったらそれだけ真剣に取り組んできた証
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「もっと人の気持ちを考えろ」「そんなつもりじゃない」「真面目過ぎる」等と言ってくる相手の主旨は「黙って言う通りにしてくれればいいのに」ということがほとんど。こちらを思うようにコントロールするために罪悪感や自己否定感を抱かせる言葉をいう。だから事実じゃない。相手より自分を信じたい
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被害に遭うと衰弱する。精神的に不安定になって当然。その中で被害の傷と向き合うときには感情的になるのは当たり前。それを「冷静に」などというのは本題のすり替え。感情的になったことが悪いわけじゃない。命に関わる問題を動揺もせずに話せる方が不自然。誰かに動揺を責められても気にすることない
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トラウマを負うということは「何もできなかった」という「自分自身に裏切られた」という感覚が根深く刻まれることになる。そのために自分を信用できず嫌いにすらなってしまう。だからこそ「当時は適応的な対応だった」と生き延びた身体反応を理解して労い、"今"を意識しながら生来の強さに気づきたい…
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精神疾患は基本的に「治った」と明白に実感できる時が現れることは少ない。「また悪くなった…」というショックや不安を抱え続ける。「もう治ったの?」と聞かれてもそれがいつか一番知りたいのは本人。「治った!」と言えない思えないツラさを抱え、病との「付き合い方」を見出すことはものすごい努力
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機能不正家庭に育つと、大人になってからも意見や気持ちを聞かれても、「何でもいい」と思う。本当に「何でもいい」ことが多い。何か思っていても、自分の気持ちや意志はとっさに言葉に出てこない。とにかくその場が穏便に済むことを自分の気持ちより優先しがち。。
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幼少期に親の機嫌を伺って日々を過ごすと、大人になって他者の機嫌の悪さに深く傷つきがちで「私が何かしたからかな?」と自分のせいだと思ってしまうようになる。幼少期に誰かの不機嫌さにとても傷付き、なんとかしなきゃと思ってたということ。。けれど他人の機嫌の責任は負わなくていい。。
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【記事紹介】 「気持ちを言おうとしても固まってしまう」「泣き喚いてしまってうまく伝えられない」等といった極端な表現に焦点を当て 『感情表現の難しさ』について整理しました。 「うまく言葉にできない…」等と悩む場合の自己理解の助けになれば幸いです。 psychologist-neco.com/difficulty-in-…
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トラウマの傷は深いほど自分の感情からは遠ざからないと生きていけない。「自分の気持ちを大事に」「自分に優しく」ということは、かつては被害の危険性にすらなったかもしれない。だから自分を否定し優しくできないとしたら、その能力がないのではなく、かつて精一杯自分を守った強さの証であることも
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虐待など理不尽な暴力に遭うと、注目されることを無意識に恐れるようになり「目立たないように居る」ことが生存スキルになることがある。そのため人前に出る機会では強い恐怖や不安感に襲われてうまくできなかったり、皆の前で褒められるという注目も恐怖を喚起するため、"成功"を自ら避けていることも