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「心の病は忍耐力がなくメンタルが弱いから」は大誤解。精神疾患になる人は忍耐力がないのではなく「我慢強過ぎて、自分にだけやたら厳しい」ことが原因であることが多い。だから「メンタルを強くしなきゃ」は逆効果。「癒し方」や「耐えないスキル」などの「自分への厳しさの緩和」が必要なことが多い
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トラウマがあると「人と親密になりたい気持ちと拒絶」や「恥と自己顕示欲」など、矛盾した強い感情を抱え、本当の気持ちが何か分からなくなることがある。けれど、どれも必要な感情で意味があることがほとんど。。自分の中に居る気持ちをそれぞれ見つけてあげることが回復の助けになることも。。
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大人になってやっと自我を取り戻してきたとき、「遅れた反抗期」のような時期がある。自分のことをわかって欲しくて仕方がなくなったり、信用してる人を疑ったり、正しさに敏感になったり。イライラしたり不安になったり感情が激しく乱高下する。
悪化ではなく、自尊心を取り戻して回復している証。。
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「過剰適応」とは、自分の許容範囲を越えてまで適応すること。いわゆる「良い子」に多く、本人はすごくツライのだけれど周りには気づかれにくい。自分がツライことが周りに知られることも罪悪感を感じるので、隠して笑顔で元気に振る舞うけれど本当は限界。。なので「あの人は大丈夫」というのは危険。
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子ども時代は「逃げる」という選択肢がない。どんなにつらい環境であっても生きるために居なければならない。そこから逃げることは家や食事も失ってしまう恐怖である。そのため大人になって苦しい環境に置かれても逃げることに無意識に恐怖を感じ引止めようと反応するため耐え続けてしまうことがある…
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よく「お互いさま」とか「人を責めても仕方がない」とか言いますがそんなことはない。理不尽な被害に遭った場合は、一度ちゃんと被害者にならないと回復が妨げられてしまう。逆にいえば、ちゃんと人のせいは人のせいとできると次に進める。。自分のせいじゃないことを理解するってすごく大事。。
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「白黒思考」にならず「グレーを持つ」ためには余力が要る。なのでストレスフルであるほど極端な捉え方になってしまう。些細な指摘を「全否定された」と感じるほど傷ついてしまったら、それほどいっぱいいっぱいの状態で限界のSOSであることも。捉え方の修正よりまず休息が何より必要かもしれない。。
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機能不全家庭に育つと、愛情や優しさを受けられなかったために心が飢餓状態になり、後に出ることがある。「人に評価されたい」「分かってほしい」と強烈に思い、他者に委ねているために不安定になってしまう…。かつての自分が心を満たそうと知らせていると捉え、大人の自分ができることをしてあげたい
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人間は社会的な生き物だから、対人関係で深い心の傷を負うと根本的な安心感も失われてしまうことがある。その傷つきにより世界観が否定的になってもおかしいことじゃない。「治さなくてはいけない歪み」とすると更に苦しくなるとしたら、「修正」よりも「安心」をどう増やせるかが大切であることも。。
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何かを辞める理由で「他にやりたいことがある」とかの「次のアテがある」だけが「辞める理由として前向き」と評価されるのは変。
「苦しいから」「合わないから」「給料が安いから」などという理由も「自分の心身と生活を守るため」という充分に前向きな理由。
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幼少期から感情を抑えていると、心の傷があやふやなままいくつも蓄積されてしまう。気持ちを聞いてもらえなかったからいざ表現するとなると「黙るか半狂乱か」といった両極端になってしまうことも。「自分の気持ちを認知して言葉にする」というスキルはハイレベルなのに自然に備わっている前提がつらい
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自傷行為や暴食などの一見は不適応的行動は「関心をひきたいから」「ストレスからの逃げ」ではない。強い自己否定感や羞恥心などの耐え難いストレスの強烈性を、衝動的な行動で緩和することで心身を麻痺させる"ストレス対処"であることが多い。「甘え」や「逃げ」なんかではないと自分を理解し労いたい
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体力が少ないと適切な防御もしづらくなる。精神を消耗しやすい「八方美人」とされる人の中には「好かれたい」というより「他者からの攻撃に耐えられないから未然に円満な関係を築く」であることもある。ただそれが更なる傷つきや消耗になってしまうことも多く、「自分を守る」とは簡単なようで難しい…
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「もっとつらくても頑張ってる人もいるんだから」と自分に言い聞かせるときは、かなり危険な状態。心も体も限界だから「根性」に頼るしかなくなってる証。自分を救えるのは自分だけ。「もっと辛くても頑張ってる人」なんて全く同じ人は居ない。今の自分のツラさは誰と比べることはできない大事なサイン
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理不尽を受け入れ我慢することを「メンタルが強い」というように良しとする風潮に惑わされないようにしたい。理不尽な苦しみで強くなることなんてない。尊重され、心身が安全であることが健康の最低限の条件。自分だと分からなくなるので「知人だったらどうか」と考えた答えを頼りにしたい。
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精神疾患は基本的に「治った」と明白に実感できる時が現れることは少ない。「また悪くなった…」というショックや不安を抱え続ける。「もう治ったの?」と聞かれてもそれがいつか一番知りたいのは本人。「治った!」と言えない思えないツラさを抱え、病との「付き合い方」を見出すことはものすごい努力
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「頑張ってるかどうか」ということよりも「食べたい物は浮かぶか」「今日の天気はどうだったか覚えているか」といった感覚を気にしてあげる方が大事なことがある。「物の味がしなくなっていないか」「気温が分からなくなるほど思い詰めていないか」など、何か分からなくなっていたらかなり危機的サイン
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トラウマの傷は深いほど自分の感情からは遠ざからないと生きていけない。「自分の気持ちを大事に」「自分に優しく」ということは、かつては被害の危険性にすらなったかもしれない。だから自分を否定し優しくできないとしたら、その能力がないのではなく、かつて精一杯自分を守った強さの証であることも
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感情を認めてもらえない環境下で過ごすと、気持ちがあやふやなまま蓄積され、言語化する機会も少ないためによく分からないモヤモヤが心を占めていることがある。そのためいざ出そうとすると端的な言葉では追いつかないほど複雑でたくさんの苦しい気持ちが雪崩を起こし、コントロールできないことがある
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「死ぬわけじゃないんだから大丈夫」という言葉は本当に苦しんでいる人の励ましにはならない。むしろ死を考えることが唯一の気持ちの拠り所となっていて、なんとか生きられているケースは少なくない。「死にたい」と思うのは何も悪いことじゃなく「表現できないほどツライ」「助けてほしい」の究極形…
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大切な親が酷いことをしてきたり、して欲しいことをしてくれなかったりすると、子どもはそのショックをコントロールするために心理的に距離を置くことで「大丈夫な自分」でいようとする。そのことが大人になっても自分の悲しみや喜び等の感情を感じにくくしていることがある。過酷な環境で適応した証…
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無力な子ども時代に、暗黙のうちに家庭内で何かの役割を課せられて、「それを果たさないと居てはいけない」というような恐怖を体験していたら、大人になって他者からの些細な指摘を「全否定された」「嫌われた」等と受け取ってしまうことがある。。それは子ども時代の恐怖の自動反応かもしれない。。
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親の機嫌を伺って育つと「場の空気の悪さ」や「人の機嫌の悪さ」に耐えられないほど動揺しがちで「自分がなんとかしなくては」と、攻撃的だったり不安定な人の機嫌を取ろうと自分から関わることを繰り返すことがある。「人の機嫌を直す役目は自分」は呪い中の呪い。。人より自分を1番大事にしていい。
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子ども時代に「助けを求めても誰も助けてくれない」という体験をすると、その場でできる精一杯の対処をしても「自分は何もできない」というような無力感と「自分の人生は他者次第」という世界観を抱かざるを得ないことがある。それこそがトラウマ反応であると気づくことが癒しにつながることもある。。
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心が苦しいほど「適切に」人を頼ることができない。全て自分で抱え込んでしまったり、頼る時は「爆発」して極端な頼り方になってしまったり、「病」となってそれでも頼れなかったりする。。「人に頼る」というのは健康な人が思ってるほど簡単ではない。必死に頼って傷つけられたら致命傷になってしまう