寝子(@necononegot)さんの人気ツイート(古い順)

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感情を認めてもらえない環境下で過ごすと、気持ちがあやふやなまま蓄積され、言語化する機会も少ないためによく分からないモヤモヤが心を占めていることがある。そのためいざ出そうとすると端的な言葉では追いつかないほど複雑でたくさんの苦しい気持ちが雪崩を起こし、コントロールできないことがある
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自傷行為や暴食などの一見は不適応的行動は「関心をひきたいから」「ストレスからの逃げ」ではない。強い自己否定感や羞恥心などの耐え難いストレスの強烈性を、衝動的な行動で緩和することで心身を麻痺させる"ストレス対処"であることが多い。「甘え」や「逃げ」なんかではないと自分を理解し労いたい
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家族療法では、不適応を示した人を「家族内の病理を代表した人」と位置付ける。家族の病理を背負って家族全体のSOSを体現した人。だから「まともだから病んだ」は真実である場合がある。「弱いから病んだ」わけでも「自分の病気のせいで家族が」でもなく、「一家の病理を1人で背負った」ということ。。
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無意識の衝動が行動化することを「アクティングアウト」というが、それが内に向かうことを「アクティングイン」という。強い自己否定感や自己嫌悪、厳しい内省などを指している。それはトラウマ反応ともいえ、内面を傷つけ続けることでなんとか生き延びた現れかもしれない。今からしっかり癒したい。。
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大切な親が酷いことをしてきたり、して欲しいことをしてくれなかったりすると、子どもはそのショックをコントロールするために心理的に距離を置くことで「大丈夫な自分」でいようとする。そのことが大人になっても自分の悲しみや喜び等の感情を感じにくくしていることがある。過酷な環境で適応した証
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「褒め言葉」や「励まし」などの他者からの言葉を疑ってしまう場合「自己否定が強いから」だけではなく、かつてそういったポジティブな言葉を、自分をコントロールするために使われてきたという経験ゆえの不信であることもある。「人の言葉を信用できない」としたら、そうする理由がちゃんとあるのかも
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虐待など理不尽な暴力に遭うと、注目されることを無意識に恐れるようになり「目立たないように居る」ことが生存スキルになることがある。そのため人前に出る機会では強い恐怖や不安感に襲われてうまくできなかったり、皆の前で褒められるという注目も恐怖を喚起するため、"成功"を自ら避けていることも
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「やりたいこと」なんて、なくたっていい。自分を好きになれなくても、自己肯定感が高くなくても自信が持てなくても、人に感心されるような目標などなくても、何も悪くない。「今よりも苦しみが少なく穏やかに生きていきたい」「現状維持」だって充分に素晴らしい方向性。
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心が苦しい人は「適切に」人を頼ることができない。全て自分で抱え込んでしまったり、頼る時は「爆発」して極端な頼り方になってしまったり、「病」となってそれでも頼れなかったりする。。「人に頼る」というのは健康な人が思ってるほど簡単ではない。必死に頼って傷つけられたら致命傷になってしまう
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幼少期の親との体験が「危険と安全」が両方存在していると、葛藤や矛盾を深く抱えてしまうことが多い。その苦しみを緩和しようと自分の体験や感覚は断片化される。まとまりを持てないために中間がなく「白か黒か」や「見てほしいけれど消えたい」といった極端になっていたらそれだけ傷ついたということ
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トラウマ的状況を生き延びるとは、異常な体験をしながらも、何事もなかったかのように日々の課題をこなしながら日常を過ごすことである。それがどれほど過酷であることか、まして子どもに背負えることではない。。それでも大人にたどり着くことができた。。なんて凄いことだろう。。。
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機能不全家庭で育つと自分の気持ちを感じる余地がなかったために、大人になって出来事に対する感情を感じるまでタイムラグがあることがある。自分の気持ちを瞬時に理解することは、たくさん経験して慣れていないとその場では分からないことはおかしくない。それだけツライ環境の中で頑張ったという証…
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トラウマの傷は深いほど自分の感情からは遠ざからないと生きていけない。「自分の気持ちを大事に」「自分に優しく」ということは、かつては被害の危険性にすらなったかもしれない。だから自分を否定し優しくできないとしたら、その能力がないのではなく、かつて精一杯自分を守った強さの証であることも
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無力な子ども時代に、暗黙のうちに家庭内で何かの役割を課せられて、「それを果たさないと居てはいけない」というような恐怖を体験していたら、大人になって他者からの些細な指摘を「全否定された」「嫌われた」等と受け取ってしまうことがある。。それは子ども時代の恐怖の自動反応かもしれない。。
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親の機嫌を伺って育つと、他者の不機嫌さに過敏になり、不機嫌の原因を真っ先に自分ではと考えたり、自分への些細な注意を人格否定のように受け取ってしまい、何度も反芻してしまったりするようになる。それはかつて、必死に親を穏やかにしようと考え続け、否定に深く傷つき続けていた現れであることも
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機能不全家庭に育つと、誰かが褒められていると責められてる気がしてしまうことがある。かつて家庭で「それに比べて」と貶められたことで大人になっても遠回しの自己批判と反応してしまうことが少なくない。そんな自分に更に嫌気が差すことも…。でもそう感じることは無理もないことかもしれない。。
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人に嫌われることを非常に恐れてストレスを抱える場合、子どものころに親の機嫌に振り回されていたからであることも。親に嫌われたら生きていけない。「そこに居るためには好かれないと」という切迫した生存スキルが対人関係全般で反応していることがある。「気にしない」という軽いレベルでないことも
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無理し続ける状態が小さい頃から日常であると「無理しない」が分からない。「無理しない」ためには自分を知ることが必要。でも自分より他人を気遣わないといけない環境であったら、自分のことも何が無理かも分からない。だから「病」は懸命な知らせで、自分で自分を助けようとしたからであることも。。
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自己評価が低いと「断ったら必要のない人間になってしまうんじゃないか」という恐怖心からかなりの負担を引き受けてしまいがち…。できなければ「自分がダメなんだ」とさらに自己否定してしまう。。無意識に「自分には断る権利がない」と思っていることもあり、慢性的な過労状態になりがち。。
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人は「理由や意味のないことは耐え難い」という特性がある。だから苦しみには特に無意識的に理由や意味を作ろうとする。その代表的な理由づけが「自分が悪かったから」。耐えるためにそう理由づけしていたのかもしれない。。それはそのとき必要だったかもしれないけど、もう手離していい誤解かも。。
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傷つきの中でも羞恥心を伴うものは心に深く刻まれ、その後にかなり影響する。「喜びの否定」や「嘲笑や見下し」「心身への暴力的な侵入」などは、受けた側は「恥」の意識を持つ。恥は自己嫌悪や存在否定に繋がりうる。何より「人に隠さなくてはいけない」と思うから癒しにくくなり、傷のままになりがち
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たくさん傷つき被害に遭った人ほど加害意識を持つことがある。「何か悪いことをしたんじゃないか」「人を傷つけたんじゃないか」等と、強い加害意識に縛られていることがある。これは「自分のせいだ」「自分がダメだから…」などの自責感や罪悪感を植え付けられたトラウマ反応であることがある。。
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「怒り」をその場で感じるには身の安全や体力や慣れなどいくつも条件が必要。だから深い傷ほど怒りは遅れて感じられることがある。「なんで言い返さなかったのか」等と悔しい思いを強めることも。でもその時は身を守るために最善を尽くしたはず。。そこから少し回復し、やっと怒りまで辿り着けたのかも
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「自分を守る」には、一定以上の体力と自尊心、自己主張できる環境など、実はいくつかの条件が必要になる。だから理不尽な被害に続けて遭ってしまったり傷つく環境から逃げられないこともおかしいことじゃない。「断る」ことは体力や自尊心を奪われたらできなくなる。「断ればいい」で済むことじゃない
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トラウマがあると「乗り越えないと」「あの時に比べたらマシ」といった思考になることで自分を酷使してしまいがち。自分の痛みに鈍感なために病気になるほど頑張っても「大したことじゃないのに…」と自己否定を強めてしまう…。「大したことない」という思考より微かな不快感を信じていいかもしれない