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カウンセリングや心理療法も含めて心のケアをすることそのものに疲れてしまうことがある。そもそも回復していく過程は決して楽でも楽しくもないし右肩上がりに良くなっていくものでもなくて、地道な努力の積み重ねだから。疲れて「もういいや」って投げ出したくなったらそれだけ真剣に取り組んできた証
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「1人で抱え込まずに相談しましょう」とよく聞くけれど、相談できなかったから行き詰まったのではないことがほとんど。助けを求めても助けてもらえなかったから、相談したらもっと傷ついたから行き場がなくなったケースの方が多い。相談する側よりされる側である支援者や親などが注意されなければ(自戒
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「自己嫌悪するのは自己評価が高いから」ということは実際は少ない。自分を過大評価してるからできないと嫌悪するんじゃない。できないことが許されなかったから、自分に対する「寛容さ」が持てないためであることが多い。自己評価の上下でなく、自分に対する不寛容さを理解して寄り添っていきたい。。
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機能不全家庭に育つと、大人になってからも意見や気持ちを聞かれても「何でもいい」と思う。本当に「何でもいい」ことが多い。自分の気持ちを感じ大事にできる体験が少なかったために、自分の気持ちや意志はとっさに言葉に出てこない。とにかくその場が穏便に済むことを自分の気持ちより優先しがち。。
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子ども時代に「助けを求めても誰も助けてくれない」という体験をすると「自分は何もできない」というような圧倒される無力感と「人に頼らず自分で何とかしなけば」という両極端の苦しい世界観を抱かざるを得ないことがある。「無気力」と「衝動」といった両極を行き来するために相当な疲労を抱えがち
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【記事紹介】
機能不全家庭で育つなど幼少期から「我慢することが通常」であった場合の「我慢」について整理しました。
「我慢し過ぎないがわからない」「小出しにするができない」といった場合の自己理解の助けになれば幸いです。
psychologist-neco.com/the-trauma-of-…
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「精神的健康のためには依存先をたくさん持つ」と聞くけれど、人それぞれ「適度な刺激の量」は異なる。「依存先」を複数持てるほどの気力体力がなければできないしトラウマがあると「楽しむ」ことそのものが難しくなる。だから頼れる他者や趣味がなくてもなにも悪くない。助言が呪いになりませんように
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トラウマ的な環境で育つと「愛情と恐怖」や「苦痛と快感」などの区別がつかず、混乱する。そのことが「恥」や「自己嫌悪」を強めてしまうことがある。喜びや楽しみ、親密さに恥や自責がセットで感じられてしまうことで、自分がわからなくなったり自己不信を強めたりし、何をしても苦しみが伴ってしまう
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トラウマの傷は深いほど自分の感情からは遠ざからないと生きていけない。「自分の気持ちを大事に」「自分に優しく」ということは、かつては被害の危険性にすらなったかもしれない。だから自分を否定し優しくできないとしたら、その能力がないのではなく、かつて精一杯自分を守った強さの証であることも
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幼少期から感情を抑えていると、心の傷があやふやなままいくつも蓄積されてしまう。気持ちを聞いてもらえなかったからいざ表現するとなると「黙るか半狂乱か」といった両極端になってしまうことも。「自分の気持ちを認知して言葉にする」というスキルはハイレベルなのに自然に備わっている前提がつらい
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大人になって大切な人に「依存してはいけない」と気にし続けている場合、依存しなければ生きられなかった子ども時代に充分な安心を得られず不安な中で自分を叱咤してきたことに起因していることが多い。だから「今の自分」に依存するなと厳しくするのではなく、「かつての自分」に優しい言葉をかけたい
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「白黒思考」にならず「グレーを持つ」ためには余力が要る。なのでストレスフルであるほど極端な捉え方になってしまう。些細な指摘を「全否定された」と感じるほど傷ついてしまったら、それほどいっぱいいっぱいの状態で限界のSOSであることも。捉え方の修正より、労りと休息が何より必要かもしれない
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「自分が考えているほど他人は自分を気にしていない」と思っても人目を気にしてしまう場合、安心感がないからであることが多い。なので「自意識過剰」と捉えてしまうと自己否定が強まるだけのことも。「今いる所に安全感が持てていない」なら危機に備えて過敏になるのは当然。適切に自分を見つけたい…
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人に嫌われることを非常に恐れてストレスを抱える場合、子どものころに親の機嫌に振り回されていたからであることも。親に嫌われたら生きていけない。「そこに居るためには好かれないと」という切迫した生存スキルが対人関係全般で反応していることがある。「気にしない」という軽いレベルでないことも
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機能不全家庭で育つと自分の気持ちを感じる余地がなかったために、大人になって出来事に対する感情を感じるまでタイムラグがあることがある。自分の気持ちを瞬時に理解することは、たくさん経験して慣れていないとその場では分からないことはおかしくない。それだけツライ環境の中で頑張ったという証…
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機能不全家庭で育つと、親との間に起きる感情は「この人が必要だけど嫌い」であったり「一番身近な人だけれど恐ろしい」等といったアンビバレンスな感情を抱く。それが大人になって他者に親しみを感じると、かつて「親しみ」と同時に起きた苦しい感情も連れてくるため強い怒りや不安などが生じてしまう
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「トラウマを繰り返す無意識の傷つき行動」である『再演』について、加筆修正しました。
「どうして危険な人や場所に関わってしまうのか」といった苦しみを理解する助けになれば幸いです。
psychologist-neco.com/trauma-reactio…
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「他人は変えられない」って聞くと「じゃあ自分が変わらなきゃ」ってなぜか思っちゃうけど、自分も変わらなくてもいい。どっちも変わらなくていいし、自分もそう簡単には変えられない。変えるべきか真っ先に検討すべきは他人でも自分でもなく環境。次にストレス源となる人との接触回数などの距離。。
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幼少期から苦労が多いと「普通になりたい」「普通にならなきゃ」と強く思うことがある。「普通」って基準がないから頑張っても報われない。そのうち許容範囲を超えて頑張る「過剰適応」が自分の「普通」になってることがある。それがおかしいのではなく、世の中の「普通」圧力がとてつもないということ
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「人のせいにしてはいけない」と教わりましたが、自分のせいではないことがほとんど。特に理不尽な目に遭ったらしっかり「この傷は人のせい」とすることが回復には必要。自分の人生だけど自分だけで回ってないしコントロールできない。自分に起きることの全責任を自分に課してしまうのは苦しい間違い。
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精神疾患は基本的に「治った」と明白に実感できる時が現れることは少ない。「また悪くなった…」というショックや不安を抱え続ける。「もう治ったの?」と聞かれてもそれがいつか一番知りたいのは本人。「治った!」と言えない思えないツラさを抱え、病との「付き合い方」を見出すことはものすごい努力
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無力な子ども時代に、暗黙のうちに何かの役割を課せられて「それを果たさないと居てはいけない」というような体験をしていたら、子どもにとっては生命の危機的恐怖になる。そのトラウマによって大人になって他者からの些細な指摘が「全否定された」「自分は価値がない」等と存在の否定感が伴ってしまう
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トラウマは重層化する。幼少期の体験がトラウマ的であれば、その後はその影響を受けながら自分の力では環境を変えられない時代を過ごすため、安全な環境でなければさらにトラウマを重ねてしまう。渦中に居るとどれほど過酷であったか分からないからこそ「今」まで辿り着いてくれた過去の自分を労いたい
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【記事紹介】
機能不全家庭で育つなど幼少期から「我慢することが通常」であった場合の「我慢」について整理しました。
「我慢し過ぎないがわからない」「小出しにするができない」といった場合の自己理解の助けになれば幸いです。
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虐待的な環境で育つと、否定的感情に圧倒されるだけでなく喜びや休息などの肯定的な感情もトラウマになる。喜びや笑いは罰せられ、リラックスは攻撃される隙になってしまったかもしれない。そのため自分の楽しい感覚に気づくことすら傷ついていることもある。肯定的な感情に恐れを抱くことは無理もない