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「愛情が欲しければ親の基準を満たさなければならない」という評価的な環境下で育つと、自身の弱さを嫌悪し間違いが許せない完璧主義になることがある。弱さや間違いは「見捨てられ」の恐怖を喚起するため認めることが難しい。「完璧主義はやめよう」としてもできないことで自己不全感が増すことも
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精神疾患は基本的に「治った」と明白に実感できる時が現れることは少ない。「また悪くなった…」というショックや不安を抱え続ける。「もう治ったの?」と聞かれてもそれがいつか一番知りたいのは本人。「治った!」と言えない思えないツラさを抱え、病との「付き合い方」を見出すことはものすごい努力
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「人の気持ちがわからない」という中には自分の気持ちがわからないことが原因であることがある。決して自分のことだけ考えているわけではなく、自分の気持ちが耕されなかった環境だったために、他者の気持ちに実感が伴わないことで自然に共感できず、思考でカバーしていることも。冷たいわけじゃない
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トラウマがあると「ほどよく覚醒する」ことが難しくなり、抑うつなどの「低覚醒」と、イライラや衝動的な行動などの「過覚醒」という両極端を行き来するために、表面的な行動量は少なくても疲労感はかなり重くなる。「何もしてないのに…」ではなく、体は一生懸命調整しようとしている証ゆえの疲労かも
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精神的消耗は、身体的な運動よりもはるかにエネルギーを消費する。だから本当はストレスがあるほど休む時間が必要になる。「休む」とは「眠る」など行動を抑制する対処はもちろんのこと、「遊ぶ」などの精神的な栄養になる行動も大切な対処。「遊べない」状態から「遊べる」状態を目指すのも回復の目標
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決めつけずに「あいまいさを持つ」ためには余力が要る。なのでストレスフルであるほど白か黒かの極端な判断になってしまう。一方、うつ状態であると些細なことも決断できなくなる症状があり、着ていく服も決められなくなることも。判断力や受け止め方に変化が起きていたら、ストレスフルであるサイン。
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被害に遭うと衰弱する。精神的に不安定になって当然。その中で被害の傷と向き合うときには感情的になるのは当たり前。それを「冷静に」などというのは本題のすり替え。感情的になったことが悪いわけじゃない。命に関わる問題を動揺もせずに話せる方が不自然。誰かに動揺を責められても気にすることない
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虐待的な環境で育つと、否定的感情に圧倒されるだけでなく喜びや休息などの肯定的な感情もトラウマになる。喜びや笑いは罰せられ、リラックスは攻撃される隙になってしまったかもしれない。そのため自分の楽しい感覚に気づくことすら傷ついていることもある。肯定的な感情に恐れを抱くことは無理もない
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機能不全家庭で育つと、いつも「我慢」している状態が通常になる。そのため「我慢」に気づきにくいために「小出しにする」「我慢し過ぎない」ができず、限界を超えてから気づくことが珍しくない。「我慢」に慣れてはいても「過去の我慢の苦痛」も伴っていることで自覚している以上に溜まっていることも
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「わがまま」は呪いの言葉。言った側の言うことを聞かせたいためだけで、「わがまま」と責めた方がよほどわがままである場合は多い。自分の思い通りにしたいために相手に自己否定感を抱かせるのに強力な言葉。。自分がどう感じ考えるかは自由。行動を選べばいい。「わがまま」かどうかは判断根拠がない
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精神疾患の方に必要だとされる「休養」は、健康な人の休養とは全く違う。「意識のある重体」のような状態。ツラくて苦しくて自己否定で心はいっぱい、身体は動きたくても動けないし痛いし眠れないし起きれない。。それでもそう過ごすことが治療となる時がある。「健康な人の休養」とは全く違うんです…
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親の機嫌を伺って育つと、他者の不機嫌さに過敏になり、不機嫌の原因を真っ先に自分ではと考えたり、自分への些細な注意を人格否定のように受け取ってしまい、何度も反芻してしまったりするようになる。それはかつて、必死に親を穏やかにしようと考え続け、否定に深く傷つき続けていた現れであることも
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トラウマ的な環境に育つと「目をつけられないように居る」ことと「生きるためには面倒を見てもらわないと」という適応策が混在して育つことで、大人になって「注目されるのが怖い」気持ちと「見てほしい」気持ちとがうまくコントロールできずに現れることがある。トラウマ反応であり自意識過剰ではない
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精神疾患の全てが誰にでもなる病気とはいえない。けれど「適応障害」と「うつ病」は、本当にどんな人でもなる病気。どんなに自信満々でも。どんなに人生うまくいっていても。優しい人もそうでない人も。敏感な人も鈍感な人も。
だから、「なった人が弱い」とか「適応能力がない」とかでは全くない。
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「心の病はメンタルが弱いから」は大誤解。適応障害やうつ病になる人はメンタルが弱いのでなく「我慢強過ぎて、自分にだけやたら厳しい」ことが原因であることが多い。だから「メンタルを強くしなきゃ」は逆効果。「癒し方」や「耐えないスキル」などの「自分への厳しさの緩和」が必要なことが多い。。
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<新規投稿>
機能不全家庭で育つなど幼少期から「我慢することが通常」であった場合の「我慢」について整理しました。
「我慢し過ぎないがわからない」「小出しにするができない」といった場合の自己理解の助けになれば幸いです。
psychologist-neco.com/the-trauma-of-…
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機能不全家庭では、子どもが親に「合わせる」という逆転現象が起きる。そうすると、子ども側は常に「自分の在り方はどこか間違っている」という思いを抱きつづけることになる。自然な感覚を否定して親に合わせ続けたことが、根深い自己否定感の根底であることも。自己否定は過酷な環境を生き抜いた痕跡
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「わがまま」は呪いの言葉。なんの根拠もないのに、たった4文字で一切の事情を無視して罪悪感を抱かせ、希望を完璧に退けさせることができる強烈な言葉…。説明の手間すら省き、相手をコントロールできる罪深い言葉。言葉自体が根拠なきネガティブなので「自分はわがままでは」と考えることは止めたい
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「自分を守る」には、一定以上の体力と自尊心、自己主張できる環境など、実はいくつかの条件が必要になる。だから理不尽な被害に続けて遭ってしまったり傷つく環境から逃げられないこともおかしいことじゃない。「断る」ことは体力や自尊心を奪われたらできなくなる。「断ればいい」で済むことじゃない
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親の機嫌を伺って育つと「場の空気の悪さ」や「人の機嫌の悪さ」に耐えられないほど動揺しがちで「自分がなんとかしなくては」と、攻撃的だったり不安定な人の機嫌を取ろうと自分から関わることを繰り返し、トラウマ記憶を行動として再現していることがある。「今は大丈夫」と自分を安心させてあげたい
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トラウマを抱えていると、自分で自分の調子を整えることが難しくなる。さらに、対人交流においても安心できないために「他者との交流を通して自己調整する」ことも困難さを抱えることが多い。そのため、どうしても孤立してしまうし、苦しみが軽減される機会が得られずに生活が制限されがち。。
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トラウマがあると「人と親密になりたい気持ちと拒絶」や「恥と自己顕示欲」など、矛盾した強い感情を抱え、本当の気持ちが何か分からなくなることがある。けれど、どれも必要な感情で意味があることがほとんど。。自分の中に居る気持ちをそれぞれ見つけてあげることが回復の助けになることも。。
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「死にたい」という言葉を「そんなこと言っちゃダメ」と封じないでほしい。更に追い詰められる…むしろ死を考えることが唯一の気持ちの拠り所となっていて、なんとか生きられているケースは少なくない。「死にたい」と思うのは何も悪くない。「表現できないほどツライ」「それしか希望がない」心の叫び
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子ども時代が苦しい環境であると「耐える」ことしか選択肢がない。そのため、自分の人生の選択意識をしっかり持つことができず「自分の人生は自分以外の他者次第」と無意識に刻まれることがある。意識的には選んでいるかのように「今の環境に耐えてなくては」と自分を叱咤し我慢をし過ぎてしまうことも
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【記事紹介】
トラウマ体験や機能不全家庭で育った場合に失われがちになる「自分の人生の選択権」について整理しました。
嬉しいことや楽しいことを増やしていけるための自己理解の助けになれば幸いです。
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