殭屍の史林堂(@Jiangshi2020)さんの人気ツイート(リツイート順)

26
阿房宮(秦代)→未央宮(漢代)→大明宮(唐代) ここに紫禁城(明・清代)も入れたとして、時代を下るごとに主殿が縮小していく謎の減少が起きる。その理由として挙げられるのが「木材不足」。 大規模建築には巨木が不可欠。皇帝の権力をもってしても、木材がなければどうしようもない。
27
それらも含めて、SNSが普及した現代の選挙は、『ならず者候補者』への規制は考えなければならないだろう。オールドメディア時代に比べて、泡沫立候補のコスパが良すぎる。 選挙が税金をかけた大人の遊びになれば、近い未来に国民へと返ってくる。市場の失敗ならぬ、民主主義の失敗とならぬように。
28
宋代中国では足踏式の輪船が盛んに造られた。 オールで漕ぐより速く、大型船を動かせるほどにパワーがあったため、特に軍船として利用された。宋金戦争や対モンゴル戦でも、造船技術に劣る敵の軍船を大いに破ったという。
29
出典は忘れたが、宋代の朝廷で 「天災は天子不徳の現れというのは眉唾。陛下は憂う必要はありません。」 と進言する者があって、それを聞いた老齢の家臣が 「地上の全てを治める皇帝が、天を恐れなくなれば一体何を以って身を律するのか。」と諫言した、という話は非合理性のなかに合理性を感じて好き
30
ある総撫(地方長官)が困窮する寡婦を憐れんで「彼女らのために福祉施設を設立したいです」と雍正帝に上奏した。 雍正帝は上奏文に赤字で返答した。 「それは良い案だが、お前はその施設を維持できるのか?後任はそのまま続けてくれるのか?」 リアリストな名君と名高い雍正帝らしい逸話である。
31
ベトナム共産党は本当にサイレント。 中国共産党のビックネームに隠れているが、1億人弱の国民、面積は日本と同等という侮りがたい規模の国家で一党独裁やっているダークホース。
32
【古代中国のギフテッド】 皆が神童だと囃子立てて皇帝の耳にまで届くと、「童科」と呼ばれる子供用の科挙を受けることができた。 けれど、蓋を開けたら早熟なだけというケースがほとんどで、大人に振り回された可哀想な子供を生むだけだから次第に行われなくなったという。 宮崎市定『科挙』より
33
113万人もの大軍を起こした煬帝による第二次高句麗遠征。 隋書に記載があるとはいえど流石に盛り過ぎだと思ってたけど、歴史学者が大真面目に検証すると、最低でも80万人以上の大軍で遠征した可能性が高いらしくてビビった。
34
#まだ信じられている迷信 「儒教は権力者に都合がいいから東アジアの国教になった。」 →儒者は度々弾圧されます。筋を通して権力者に弾圧されることを名誉だと思っているので。孔子も孟子も朱子も生前は不遇。 そもそも、権力者に都合がいいという一点で採用されるなら「法家」が選ばれるはず。
35
友人が畑に囲まれた孤立集落に暮らしているが、曰く村人はヨソ者が来ると軽く後をつけて何用か調べたりするし、路駐にも各人のエリアが暗黙に決まっていて、知らない車が停まっていると騒然とするらしい。 当然のごとく、村人全員の家族構成も知れ渡っている。都市民にはまず理解できない空間。 twitter.com/5ejwRThPHUqe4G…
36
逆に、中世日本史界隈がマヤとアステカを混同したツイートをすればメソアメリカ界隈からボロクソに叩かれる。 間違った知識を披露されるとゲバ振いたくなるけど、少なくとも悪意がないなら吊るし上げるのは…。 明日は我が身なので。ホントに。
37
よくスパルタと薩摩武士はバーサーカー(戦闘狂)扱いされるが、国家として「戦争狂」なのはローマや秦だろう。 前線が何度崩壊して、現場指揮官が何人討死にしようが、後からどんどん補充される。体制そのものが崩壊しない限り、ほぼ無限に兵力を供給できるシステムがある。
38
いまだ感覚的に理解できないもの。 ソ連邦の中に共和国(構成共和国) ここまでは分かる。 その共和国の中に、さらに複数の共和国(自治共和国)があるのはなぜなのか。 さすがマトリョーシカの国だなと。
39
末期の印象から「ビザンツ帝国は弱い」というレッテルを貼られがちだけど、こういう見方は中国史でも多い。 毎度のように万里の長城を破られて北方から侵略されてる印象があるけど、実は人間の一生よりも長い期間、侵略を防いでいることのほうが多い。 歴史が長いと神の目線で結果から逆算しがち。
40
伊達政宗の骨←これがあの偉人の遺骨か!と歴史ロマンを感じる 張之洞の骨←写真まで残っている偉人の成れ果てがこれか…と諸行無常を感じる
41
「現行犯なら冤罪は起きないから拷問してもいいのでは?」 我らの陳徳さんも当然拷問された訳だが、そんなしょうもない理由で皇帝が狙われたと調書に書けない役人達は、黒幕をでっち上げようとやっきになって拷問をかけたそうで。 拷問を使えはどんなことも「自白」させられるのでアテにならない。 twitter.com/Jiangshi2020/s…
42
デスゲーム主催者 「私は人間の醜い本性が見たいのだ…。」ククッ 五胡十六国・南北朝 「どうぞどうぞ、ご覧になってください。」 デ主「もう十分堪能したよ…(300年間)」
43
1803年、嘉慶帝暗殺未遂事件が発生。犯人の陳徳を取り押さえ首謀者を聞き出すべく拷問にかけると、衝撃の事実が判明した。 「仕事がクビになって死に場所が欲しかった。皇帝を襲えば派手に死ねると思った。」 これには皇帝も「狂犬に咬まれたようなものだ」とコメント。無敵の人はどこにもいるのだ。
44
「儒教に対等はない」というのは間違いだが、他の思想に比べて「平等」であることのみを評価しない思想ではある。 兼愛を説く墨家と論争した孟子は「赤の他人と父母を同じように扱うのか」と反論したが、儒教は愛情のランク付けこそが人の道と考えるフシは確かにある。
45
皇帝の住まう紫禁城も、結局は巨大な四合院。二里頭遺跡の頃から確認される伝統様式。 しかし、個々の建造物は小さく、そのサイズは欧州はおろか日本建築にすら見劣りする。 長年疑問だったが、曰く屋根の構造上巨大化が難しいことと、日照の問題から小型建築を連結させたほうが良いからだという。 twitter.com/nurhici_null/s…
46
マヤ・アステカ(中米)と同列に語られがちなインカ(南米)には、リャマという大型哺乳類が存在していたので、日常的な生贄はリャマで間に合っていた。 貴人の殉葬や年に一度の豊穣祈願みたいな特別なときに人間が生贄になるのは旧大陸でもあるが、毎日の生贄に人間を使うのは古代の中米文明くらい。
47
詳しい人が指摘しているけど、辮髪はただ後ろに縛ればいいというわけではなく、束ねる箇所以外を剃りあげる必要がある。 清初はワンコインの大きさしか剃り残さなかったが、嘉慶以後はこぶし大まで残すように。末期は前髪だけ剃る程度。 twitter.com/DucDeVinny/sta…
48
朝鮮でも科挙は実施されていたが、中国のように監獄みたいな貢院に詰められることはなく、王宮や官庁の庭で広々と試験が行われていた。 地べた座りなのは、椅子文化の無かった朝鮮の特徴といえる。
49
同じ紫禁城でも明代と清代ではこんなに大きさが違う。長さ95m、現存していれば東大寺大仏殿を超えて世界一の木造建築物だった。 ※東大寺も現存のものは江戸時代に建てられた縮小版。木材不足は日本も例外ではない。
50
生まれたときから近代国家の価値観を刷り込まれた我々が、前近代の諸制度をそのまま理解しようとすると混乱する。 国境や国籍が曖昧で、財源は公私混同が前提で、政府は福祉や教育にほとんど関与しない…。 現代と比較して何かを語ることがバカらしくなるくらいに前提条件が違う。