殭屍の史林堂(@Jiangshi2020)さんの人気ツイート(新しい順)

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東アジア史の薫陶を受けてきた人間なら中国の歴史の深さに誰もが驚かされてきただろうけど、オリエント史に触れると更に遡るモノの多さに腰を抜かす。 中国の代名詞である官僚制すら、古代エジプトでは中王国時代(紀元前2000年前後)に実力主義の書記による文書主義国家が築かれていたほどなので。
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【清朝八代「知道了」】 皇帝の下に無数にやってくる奏上文。読んだら読んだでコメントを残さないといけない。そのなかでも最頻出なのが「知道了(了解した)」。 お手本のような字にクセのある字。 あなたの好きな「知道了」はどれ?
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#まだ信じられている迷信 「儒教は権力者に都合がいいから東アジアの国教になった。」 →儒者は度々弾圧されます。筋を通して権力者に弾圧されることを名誉だと思っているので。孔子も孟子も朱子も生前は不遇。 そもそも、権力者に都合がいいという一点で採用されるなら「法家」が選ばれるはず。
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同じ紫禁城でも明代と清代ではこんなに大きさが違う。長さ95m、現存していれば東大寺大仏殿を超えて世界一の木造建築物だった。 ※東大寺も現存のものは江戸時代に建てられた縮小版。木材不足は日本も例外ではない。
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阿房宮(秦代)→未央宮(漢代)→大明宮(唐代) ここに紫禁城(明・清代)も入れたとして、時代を下るごとに主殿が縮小していく謎の減少が起きる。その理由として挙げられるのが「木材不足」。 大規模建築には巨木が不可欠。皇帝の権力をもってしても、木材がなければどうしようもない。
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1803年、嘉慶帝暗殺未遂事件が発生。犯人の陳徳を取り押さえ首謀者を聞き出すべく拷問にかけると、衝撃の事実が判明した。 「仕事がクビになって死に場所が欲しかった。皇帝を襲えば派手に死ねると思った。」 これには皇帝も「狂犬に咬まれたようなものだ」とコメント。無敵の人はどこにもいるのだ。
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シーマオ遺跡。 アンデス地方で発見された城塞…じゃなくて、なんと中国陝西省の遺跡!石峁(シーマオ)と読む。 4000年以上も昔に建てられてたもので、夏王朝以前の先史時代に相当。にしてもレリーフが全く中国らしさを感じさせない。現代人に馴染みのある中国文化は漢代以降に成立したに過ぎない。
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末期の印象から「ビザンツ帝国は弱い」というレッテルを貼られがちだけど、こういう見方は中国史でも多い。 毎度のように万里の長城を破られて北方から侵略されてる印象があるけど、実は人間の一生よりも長い期間、侵略を防いでいることのほうが多い。 歴史が長いと神の目線で結果から逆算しがち。
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曾侯乙墓から出土した棺。 約2400年前に存在した曾(現在の湖北省)という小国の君主がこの棺の中で眠っていたが、その図柄は私達が想像する中国らしさとは無縁の禍々しいイラストで埋め尽くされている。 先秦時代の文化に思いを馳せるときは明清代の延長で考えてはいけない。
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#中国史沼にハマる前に誤解していたこと 「なんで華北に国が集まるのかなぁ?福建省や湖南省辺りがガラ空きだと思うんだけど。」 ※衛星写真を見れば一目瞭然。意外と平地は限られているのだ。