殭屍の史林堂(@Jiangshi2020)さんの人気ツイート(新しい順)

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宋代中国では足踏式の輪船が盛んに造られた。 オールで漕ぐより速く、大型船を動かせるほどにパワーがあったため、特に軍船として利用された。宋金戦争や対モンゴル戦でも、造船技術に劣る敵の軍船を大いに破ったという。
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いつ見ても「誰?」ってなる。
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作品一つ作り上げるのは能力以上に「狂気」がいる。 脳内の完成像に程遠い不格好な出来。それを敢えて見過ごし、長い時間かけて完成させる、その根気。 完璧主義は創作の敵だと知っていても、こればっかりは心にクる。一枚絵のイラストより、漫画のほうがその苦痛が長く続くから。 twitter.com/anosasaoka/sta…
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火縄銃の恐ろしさは、扱いやすさよりも殺傷力の高さにある。 【ジュール比較】 ロングボウ:約100J クロスボウ:約200J 火縄銃  :約3000J 運動エネルギーは必ずしも破壊力ではないが、火縄銃の威力は文字通り桁が違うので、まともに当たると命はない。威力だけなら現代のライフルと遜色ないし。
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ベトナム共産党は本当にサイレント。 中国共産党のビックネームに隠れているが、1億人弱の国民、面積は日本と同等という侮りがたい規模の国家で一党独裁やっているダークホース。
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「誰に対しても優しい恋人と一緒にいたいか?」と聞かれて、「そんな素晴らしい人の隣にいられるなんて幸せです」と答えるのが墨家。 「パートナーを優先できないような人間は、結婚しても職場や友人との約束を優先する」と苦い顔をするのが儒家。 墨家が滅び、儒家が勝ったのはつまりそういうこと。
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「儒教に対等はない」というのは間違いだが、他の思想に比べて「平等」であることのみを評価しない思想ではある。 兼愛を説く墨家と論争した孟子は「赤の他人と父母を同じように扱うのか」と反論したが、儒教は愛情のランク付けこそが人の道と考えるフシは確かにある。
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昨日、日清戦争前に中国へ渡った日本人スパイの報告についてまとめた論文を発見したが、まぁ予想以上に国情がヒドくて日本に惨敗する理由もわかる。 監視役の役人に賄賂を渡すと、逆に色々と教えてくれたという。軍事基地まで案内してくれたとか。小銭で敵味方が入れ替わる程度の職業倫理。
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デスゲーム主催者 「私は人間の醜い本性が見たいのだ…。」ククッ 五胡十六国・南北朝 「どうぞどうぞ、ご覧になってください。」 デ主「もう十分堪能したよ…(300年間)」
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よくスパルタと薩摩武士はバーサーカー(戦闘狂)扱いされるが、国家として「戦争狂」なのはローマや秦だろう。 前線が何度崩壊して、現場指揮官が何人討死にしようが、後からどんどん補充される。体制そのものが崩壊しない限り、ほぼ無限に兵力を供給できるシステムがある。
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ゲリラ戦で国盗りに成功した集団がかかりがちな病気だ…。まれに、ゲバラみたいな最高指導者レベルまでこれにかかってしまう。 でもわかる。最高にスリリングなRPG&戦争ゲームなんだから、脳内麻薬で溺れてしまうのだろう。おまけに「正義」まで掲げられるときたもんだ。 twitter.com/Moskva_Daisuke…
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清朝末期の軍隊ってどんな軍装だったのだろうか?→検索結果 曰く、画一化された軍装はなかったので、司令官が各々好き放題に用意したものを着ていたという。 八旗の色分けみたいな理念先行の軍装はどんどん崩壊して、なぁなぁになっていくところがリアル。 軍閥の時代の萌芽はここからも分かる。
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【古代中国のギフテッド】 皆が神童だと囃子立てて皇帝の耳にまで届くと、「童科」と呼ばれる子供用の科挙を受けることができた。 けれど、蓋を開けたら早熟なだけというケースがほとんどで、大人に振り回された可哀想な子供を生むだけだから次第に行われなくなったという。 宮崎市定『科挙』より
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マリー・アントワネットがヴェルサイユ宮殿で毎日舞踏会を開いても、それよりも軍事費のほうがはるかに高かったという話を思い出す。 フランス王国はルイ14世の頃から軍事大国で、16世の頃には米国の独立戦争支援でさらに出費がかさんでいた。 感情は別にして、軍事費の前に個人の贅沢は塵に等しい。 twitter.com/hally_sen/stat…
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一応、歴史書にも函谷関の高さは66m(漢代)と書かれていたりするけど、自然の地形も高さに加味されてそうではある。 鉄筋コンクリートもない時代、版築だけで66m積み上げるのはさすがなキツい。 ずっと時代の下った明代の万里の長城、あれを考慮すれば函谷関も現実的な姿だっただろうと思われる。
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理想の函谷関が、2つの意味で「高すぎる」。 古写真のほうの函谷関は、曹魏時代のものが度重なる修復を得ながら20世紀前半まで残ったもの。函谷関は秦代のだけじゃなく漢代のもあったりと、度々場所を変えて建てられている。 ただ、そのどれもが切通しを塞ぐようにして建てられたことは想像できる。
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←理想の函谷関  実際の函谷関→
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【今知った中国語】 厚礼蟹(hòu lǐ xiè) →holy shitの音訳 厚く御礼申し上げる蟹とかではない。
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「科挙の倍率、10万倍。」 合格者数の10万倍も不合格者がいれば暴動が起きるんじゃ…? ⇒最終合格の途中に生員や挙人という身分が存在する。ドロップアウトしてその地位で満足することも可能だった。 「科挙」は一発試験ではなく、昇級試験なのだ。 #中国史沼にハマる前に誤解していたこと
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ある総撫(地方長官)が困窮する寡婦を憐れんで「彼女らのために福祉施設を設立したいです」と雍正帝に上奏した。 雍正帝は上奏文に赤字で返答した。 「それは良い案だが、お前はその施設を維持できるのか?後任はそのまま続けてくれるのか?」 リアリストな名君と名高い雍正帝らしい逸話である。
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偏りのない歴史観を持つことは学者ですら難しい。むしろ、歴史を語る者なら誰しもが何かのバイアスにかかっているという認識が必要。 政治的に中立な歴史観を自称するのは、小僧が少し座禅を組んだだけで「色即是空の境地に達しました」と喜んで和尚に報告するようなもの。
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内藤湖南「明代はつまらん」 宮崎市定「明代はナマコのように特徴がない」 司馬遼太郎「明代は古代よりも古代らしい」 どうしてこうなった?
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科挙といえば文官向け任用試験だけど、その裏では武官向けの武科挙も行われていた。 基本的に騎射、歩射、重量挙げといった実技と、兵法書の知識を試す学科の二本立て。首席合格者は武状元と呼ばれる(科挙の状元に相当)。 いわずもがな、文>武のお国柄なので、武科挙の注目度はかなり低かった。
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113万人もの大軍を起こした煬帝による第二次高句麗遠征。 隋書に記載があるとはいえど流石に盛り過ぎだと思ってたけど、歴史学者が大真面目に検証すると、最低でも80万人以上の大軍で遠征した可能性が高いらしくてビビった。
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軍事史好きなら知ってるであろう「戦史の探求」さんのblogリンクを置いておくとして、ムハンマドの戦術はとにかく泥臭い。 士気以外に取り柄のない寡兵がどうやって大軍を相手するかの一点を現実的に導き出している。無理を絶対しない秀才タイプの名将。 warhistory-quest.blog.jp/18-Mar-06 twitter.com/Jiangshi2020/s…